能瀬慶子「アテンション・プリーズ」


去る426日の日記に
「ドラマの
TBS」と謳われたTBS史上に残るバカドラマ“赤い嵐”について書いたが、
今月その“赤い嵐”が
CSで再放送されていた。
興味はあったもののどうしても観たいというところまではいかず、
ずっとスルーしていたのだが先週の木曜日が最終回だったので、それだけは観ることにした。

“赤い嵐”はいま観ても強烈であった。
とにかく柴田恭兵の芝居がクサイ。
能瀬慶子の台詞まわしは素人すらも裸足で逃げ出すほど。
ある意味、貴重なモノを観させてもらった気分になった。

能瀬慶子は第3回「ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝。
1979年に浜田省吾の作曲による『アテンション・プリーズ』でデビューした。
その年の
11月から翌年3月まで放映されていたのが“赤い嵐”である。

能瀬慶子は20歳で芸能界を引退し、
いまでは
2児の母親になっているという。
何年前だか忘れてしまったが、
かなり前に湯島天神で太鼓を叩いている姿が放映され、話題を集めた。

“赤い嵐”の最終回が放映された翌日の夜、僕は花園神社にいた。
この日は二の酉。
そうである。またまた見世物小屋見物に出かけたのだ。
僕が花園神社に着いたのは
6時ぐらいだった。
一の酉の前夜祭のときは、
見世物小屋は
7時スタートだったので余裕を見て花園神社に着いたつもりだったのだが、
ためしに見世物小屋の前に行ってみたら興行はもう始まっていた。
慌てて会場に入ったところ
1回目の興行は終了し、
多くのお客さんが出口へと向かっていた。

混雑する狭いテントの中を巧みに移動し、
僕はいつものように最前列をキープした。
蛇女の小峰太夫と小雪太夫は僕の
1メートル前であった。

この日は混雑していたからかどうかわからないが、
見世物の内容はだいぶはしょられていた。
子犬のウーロンくんたちの芸もなく、
双頭の牛のミイラや子どもニシキヘビのチョロ松くんも舞台に登場しなかった。
ニシキヘビの大蛇は登場したのだが、前夜の寒さのためすっかり弱っていて、
毛布にくるまれてのお披露目であった。
ふだんはこの大蛇に触らせてくれるのだが、
この日はさすがに触らせてもらえなかった。
その分、大蛇の脱皮した皮はいつもどおり配っていて、
僕も運良くもらうことができた。

大満足で会場の外に出た後、
しばらく会場の入口前で呼び込みをしている
威勢のいいお姐さんの名調子に聞き惚れた。
見世物小屋は、
この呼び込み
(業界用語では「タンカ」というそうだ)の名調子も醍醐味のひとつである。
今年も十二分に見世物小屋を堪能し、僕は帰路についた。

途中、ケータイの留守番電話にメッセージが残されていることに気がついた。
再生してみたら、以前勤めていた会社の後輩デザイナーであった。
その声は、いまにも死にそうなぐらい落ち込んでいた、
なんだなんだ!?どうしたどうした!?とすぐさま折り返したところ、
留守番電話につながったので、
いま移動中だからあとでまた電話するねとメッセージを吹き込んだ。

帰宅してしばらくしたあと、その後輩からメールが入っていた。
今日はもうヘロヘロなので明日また電話しますとのことだった。

土曜日の朝、僕は後楽園の場外馬券売り場にいた。
僕は競馬はほとんどわからないのだが、
日曜日のジャパンカップは
1口乗ろうと思い、
馬券を買いに行ったのである。
なぜかというと、
ペリエという騎手がジャパンカップに出場するからである。
23年前、
たまたま競馬中継を見ていて僕はこのジョッキーのファンになったのである。
ペリエというジョッキーは、フランス人である。
なのでふだんはフランスで活動している。
フランスの競馬のオフシーズンだけ来日し、
日本のレースに出場するのだ。
そして今回のジャパンカップにも出場するという話を聞いて、
これは僕も馬券を買わねばと思った次第である。

が、僕は馬券の買い方を知らない。
ので、教えてもらうことにした。
本当はペリエが騎乗する馬に単勝で賭けようと思ったのだが、
念のために複勝にしといたほうがいいとアドバイスされ、
それに従った。
さらにペリエが乗る馬の
1枠と3枠・5枠の枠連も買うことにした。
500円ずつ(爆笑)
合計1500円の投資であった。

馬券を買って馬券売り場をあとにしようとしていたら、
例の後輩デザイナーから電話がかかってきた。
聞けば、新しいコピーライターが入社したのだが、
これがダメダメで全然仕事が進まないという。
3回ほど書き直してもらったのだがどうにもこうにもイマイチで、
この後輩ももはやなにをどう指示して修正してもらえばいいのかわからないというのだ。
しかし、週明けにはクライアントに提出しなくてはならない。
そこで困り果てて、
僕にチェックしてもらえないかと連絡してきたワケである。

辞めた会社のことなど知ったことではない。
そんなダメダメな人間を採用する経営陣に問題があるワケで、
辞めたあともそこまで面倒を見る義理はない。

が、「お人好しのトシ」という異名をとる僕のこと。
頼られてしまえば、なんとかしてあげようと思ってしまう。
僕はついつい「しょうがねえなぁ」といいつつ引き受けてしまった。
しかもタダで。
「ありがとうございます♪」と後輩は声を弾ませた。

土曜日の夜、その原稿を送ってもらった。
たしかにダメダメな内容であった。
こんな人間を採用してしまう前の会社の経営陣に対し腹立たしい思いを抱きながら、
僕は修正を要する箇所に片っ端からマーカーで印しをつけていった。
今回の仕事を頼むにあたって後輩は
「タカハシさんに頼む以上は会社に掛け合って、
いくらかでも払ってもらえるようにします」といってきた。
が、利益最優先の社内事情を知っているだけに僕は、
そんなことは認められないと思ったし、
さらにいえばそんなことを勝手に申し出ることで、
その後輩にイヤな思いをしてほしくなかった。
きれいごとをいうようだが、
お金はあとからいくらでもついてくる。
僕はそう信じている。

逆に、お金のことだけを最優先させてばかりいては、
いずれなにかの歯車が狂ってくるように思うのだ。
僕が辞めた会社は、多分にその傾向があるように思えてならない。

昨日は別の仕事を2つこなす予定だったのだが、
さらに後輩に頼まれた修正作業をしなければならなくなったため、
週末恒例の早朝ジョギングにも出かけず朝から馬車馬のごとく必死に働いた。

10
時過ぎ、自宅前の春日通りから
「ガンバレ〜♪」という子どもたちの声が聞こえてきた。
ん、何だろうと思って、仕事の手を休めて窓の外に目をやったら、
奇しくも僕が
426日の日記において参加を表明していた
文京区の「礫石マラソン大会」が行われていた。
今年の年頭から絶対に出ようと心に決めていたのに、
うっかり申し込みを忘れていて気がついたら締め切られていた大会である。

日曜日の午前中の心地よい陽光を浴びながら走るランナーたちを見ながら、
来年こそは絶対に出るぞとあらためて心に誓った。
来年の
11月は見世物小屋に東京国際女子マラソン、
そして礫石マラソン大会と早くも予定が目白押しである。
忙しい月になりそうだ。ちょっと気が早いけど。

仕事をなんとか終えて、僕は2時半からの競馬中継に見入った。
結果は僕が買ったペリエの馬は
2着に入り、5枠の武豊の馬は3位。
優勝したのは
2枠の馬だった。
実に惜しい結果ではあったが、
ペリエの馬が
2着に入ったということは複勝は当たりである。
僕はホクホク顔で配当を見た。
ら、ペリエの馬の複勝は
1.8倍の払い戻し。
ということは
500円で900円にしかならない。
トータル
1500円の投資に対して、600円の赤字である。

競馬に勝つことは勝ったが、勝負に負けた。
でも、十分に楽しめたのだ。
それでいいのである。
競馬でお金を儲けようなんて、僕はサラサラ思わない。

負け惜しみではなく、楽しめればそれでいいのだ。

2007.11