西田佐知子「東京ブルース」


昨日、このブログに飲料水のことを書いた。
書き終えて、やれやれとホッとした気分で夕刊をめくっていたら
ミネラルウォーターのボルヴィックから
消毒液のような異臭がするといった苦情が寄せられたことを受けて、
57万本を自主回収するという記事が載っていた。

最近はとにかく食に関するこういったニュースが多すぎる。
そうしたニュースに対し、
マスコミや消費者が過敏に反応するのもいかがなものかとは思うが、
それにしてもミネラルウォーターは
水道水に比べて安全で美味しいと思って人々は買っているワケなので、
このニュースはまさに「ボルヴィックよ
! おまえもか!!」という印象を受けた。

記事によるとこの異臭の原因は、
輸入の際に使ったコンテナ内部のペンキの臭いがペットボトルにうつったためらしく、
また健康被害も出ていないとはいうが、
やはり食に関するものなだけに
商品を取り扱う企業は細心の注意を払ってもらいたいななどと考えながら
上の記事に目をやったところ、
今度は「ウインナーからトルエンを検出」という見出しが目に飛び込んできた。
最近なにかとお騒がせの伊藤ハム・東京工場で製造されたウインナーの一部から
トルエンが検出されたというのだ。

いまも売られているのかどうかは知らないが僕がまだまだ若いころ、
新宿駅のまわりでトルエンが売買されていた。
栄養ドリンク
1本分が3,000円ぐらいで取り引きされていた。
トルエンを買ってどうするのかといえば、吸うのである。
いわゆるシンナー遊びである。

などと知ったかぶりをして書いているが、
この話は伝聞によるもので僕自身は買ったことがない。
なぜなら、シンナーの臭いが大嫌いだからである。
ので、僕は一度もシンナー遊びはしたことがない。

が、別の禁止薬物の経験はある。
たまたま飲み屋の隣にいた女の子とドラッグの話をしていたら、
なんとその子がもっていたのだ。
自称ボヘミアンの僕はさっそく好奇心まんまんで、
その結晶状のものを譲り受けた。
その子は親切にも、タダでくれた。

で、やってみた。
けど、思ったほどのエフェクトは来なかった。
ただ、妙に脂っこい汗がいっぱい出てきて、
やたらノドが乾いただけだった。
なんだ、大したことないじゃないか、
公共広告で「人間やめますか」などとはチャンチャラ可笑しいと思いながら、
僕は夜が明けるまで新宿でウダウダしていた。

徹夜明けだというのに全然眠くはなかった。
というより、シャキッとしていた。
アタマのなかに氷の柱が入っているような感じで、
妙に感覚が研ぎすまされているようだった。
自分がそうは思っていないだけで、
僕はキッチリとラリっていたのである。

せっかく朝まで新宿にいたことだし、
このまま帰るのももったいないので歌舞伎町を散歩して帰ることにした。
そしてコマ劇場の前を歩いていたら、
ヤクザ風の若いオトコと目が合った。
オトコは僕を見るやいなや、
僕に向かって
10メートルぐらい先からダダダダダッと突進してきた。
ヤバイと思った僕は、
殴られる前に向かってくるオトコの足下を払ってやろうと身構えた。
オトコはなおも僕に近づいてきた。
もうすぐ射程圏内だなと、さらに身構えた次の瞬間、
オトコは突然僕の
1メートルぐらい前で立ち止まった。
そして、ひと言「冗談だよ」といって背を向けた。

僕は唖然としながら、その後ろ姿を見送った。

いまになって思えば、たぶんオトコは僕の目を見て
一瞬でイッちゃってることがわかったのだろう。
それで警告を送りがてら、からかったのだと思う。

夜中じゅう、ずっと出ていた汗は帰宅しても止まらなかった。
僕はシャワーを浴び、
冷たいミネラルウォーターをボトルごとゴクゴクと飲んだ。
この日は休日だったので、僕は少し眠ろうと思った。
しかし、まったく眠くならないのである。
アタマのなかの氷柱も全然溶けていない感じだった。

眠れないままゴロゴロしているうちに、
猛烈な飢餓感が襲ってきた。
カラダがクスリを欲して欲して仕方がないのである。
しかし、もう手元にクスリはない。
けど、欲しい。
欲しくて欲しくて、まさに居ても立ってもいられなくなったのだ。

辛抱たまらなくなった僕は薬箱から鎮痛剤を取り出し、それを砕いた。
そして粉末状にした鎮痛剤をスプーンにのせ、
下からライターであぶって吸った。
煙たいだけで、なんのタシにもならなかった。

このたった1度の経験で、僕は薬物の怖さを知った。
このときもし僕の手元にクスリがあったら絶対にやっている。
それは間違いない。
そして、ズルズルとハマっていったに違いない。

ちょうど同じころ、巷では法で禁じられてはいない、
いわゆるナチュラルドラッグというものが流行り出していた。
懲りない僕は、それも試したことがある。

僕が試したのは、アフリカに原生する木の樹皮だった。
これを煎じて飲むと、かなり気持ちいいらしいというので手に入れたのだ。

あれは忘れもしない、720日の海の日だった。
外は気持ち良く晴れ上がっていた。
僕はいまこそ試すときだと心を決め、その樹皮を煎じて飲んだ。
とにかく不味かった。
逆流しそうになるのを必死にこらえ、
500ミリリットルぐらいを一気に飲んだ。

飲み終えて30分ぐらい後、
全身の血液がブワーッという感じで
下から上へとつき上げられるようなバイブレーションが来た。
そして次の瞬間、手がガタガタガタと震え出した。
その震え方は尋常ではなかった。
僕はこれはヤバイと思って、水を飲もうとした。
震える手で冷蔵庫を開け、なんとかキャップを開け、
こぼさないように注意しながら水を飲んだ。
僕は自分のカラダがコントロール不能になっていることに、
いいようのない恐怖を感じた。

そうこうしているうちに、今度は立ちくらみがしてきた。
さらに心臓が異様な早さで脈打ち出した。
激しい運動をしたとき心臓がバコバコいうが、
そんなレベルのものではなかった。
心臓がカンカンカンという感じで、
16ビートはおろか32ビートぐらいを刻んでいるようだった。

僕は死ぬと思った。
期待していた多幸感も酩酊感もアッパー感もないまま、
僕は横になってひたすら動悸がおさまるのを待った。

僕が煎じて飲んだ樹皮は、媚薬効果もあるというハナシだった。
わかりやすくいえば、チョロ松くんがキングコブラのようになるというのである。
別に僕はそっちはどうでもよかったのに、その効果は絶大であった。
リアルな話で申し訳ないが、
僕のチョロ松くんは見たこともないぐらいカチンカチンに巨大化し、
その先端からは透明な分泌物がダラダラと流れ出していた。

持って行き場がない、というのはまさにこのときのことを指す。
僕は巨大化したチョロ松くんを抱えたまま、
とにかくカラダが落ち着くのを待ち続けた。

その後、なんとかカラダのほうはおさまったのだが、
その日は
1日中体調が悪かった。
さらに立ちくらみと動悸は、約
1週間にわたり続いた。

薬物はいけませんと世の良識派はいう。
僕はこうした自分の経験を通じて、
たしかにその通りだと思う。
しかし、人間の好奇心というのは、
なかなか理屈で抑えられるものではない。
いくらまわりがギャアギャアいったって、
やるヤツはやるのである。
もし本当に薬物に手を出さないようにしたいのなら、
僕は経験者の話を聞かせるのが一番だと思う。
自分が体験もしていないことに対し、
ああだこうだいったところでいまひとつ説得力に欠けると思うのだ。

薬物をやったらこうなりますよ、
こんなに怖いんですよということを十分に理解させた上で、
それでもやるヤツはもう覚悟の上である。
これはもう仕方がない。あとはどこかで踏みとどまれるか、
そのまま堕ちていくか、それはすべて自分の責任にかかっていると思う。

スローガンだけでは、問題解決にはならないのだ。

こうして薬物に懲りたはずの僕ではあるが、
実はまたまた試みようとしたことがある。

ある日、とある薬物を売りますという広告メールが届いたのだ。
この薬物はサッカー・アルゼンチン代表チーム監督就任が噂される、
かのディエゴ・マラドーナもハマったものである。
料金は
4グラムで4,000円という超格安であった。
このころ僕は、いいようのない厭世感に包まれながら毎日を送っていた。
死ぬチャンスをうかがっていたのだ。
そして僕は、この薬物をキメたまま死ねたらいいななどと考えてしまったのだ。

いったん決断すると僕は行動が早い。
さっそくそのメールの主にメールを送り、
8グラム注文した。
すぐさまメールの返事がきて、僕は指定された口座に代金を振り込んだ。

数日後、郵便物が届いた。
ワクワクしながらその郵便物を手にしたところ、
封筒のなかにはたしかに粉末状のものが入っている手触りがあった。

僕は封筒をビリビリと破き、中身を取り出した。
8×4センチぐらいのものが新聞紙にくるまれていた。
本当に届いたんだという喜びをかみしめながら、
僕はその新聞紙を開けた。

入っていたのは、
駄菓子屋で
10円で売っている粉末状のコーラの素だった!!()

「どうせ私をだますなら 死ぬまでだまして欲しかった」とは
西田佐知子の『東京ブルース』の一節
(作詞:水木かおる)だが、
僕はこんなに鮮やかに人に騙されたことはない。

粉末状のコーラの素というのが、なんともシャレが効いている。
ちなみにコーラの素のグラム数は
10グラムであった。

やはり善からぬ考えは起こすもんじゃないなと、
僕は注文より
2グラム多い8,000円のコーラの素を眺めながら、
ゲラゲラと笑った。


2008.10