ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」


いまから15年前、僕はF1の予想屋をやっていた。

といっても、
読者諸君はいったいなんのことだかさっぱり分からないと思うので、
少し解説したい。

1993年、当時勤めていた会社の営業マンと
F1レースの優勝者について賭けをはじめた。
最初は誰が勝つかを予想し、
当たったら新宿三丁目にある居酒屋「呑者家」で
大ジョッキ
1杯をごちそうしてもらえるというルールではじめたのだが、
このルールだと当たるときもあれば外れるときもあるし、
どちらも外れの場合もあるので、賭けとしては単調で今ひとつつまらない。

そこで僕は考えた。
競馬のように枠順を決めて勝負しようと思ったのだ。
さっそく僕は仕事そっちのけで、この
F1トトカルチョのルールづくりをはじめた。

1枠から4枠は1人ずつ。
マクラーレン・ホンダを駆るアイルトン・セナ、
当時最強マシンといわれたウィリアムズ・ルノーをドライブするアラン・プロスト、
そのプロストのチームメイトのデーモン・ヒル、
そして進境著しいミハエル・シューマッハの
4人である。

ただし、この
4人についてはオッズが違う。
プロストは
1倍、セナは2倍、ヒルは3倍、シューマッハは4倍とした。
さらに他のドライバーについては、
マシンの性能やドライバーの実力によって
5枠・6枠を2人ずつとしそれぞれ5倍、
7枠・8枠を3人ずつとしそれぞれ7倍、
さらに残りのドライバーを
9枠・10枠に分けオッズを10倍と15倍とした。
この
10の枠のなかから2つを選び、
その枠のドライバーが獲得したポイントに
それぞれの倍率をかけて得点を競うというものだったのだが、
1枠から4枠に関しては1つの枠しか選べないというしばりを設けた。

当時のF1のポイント制度は現在とはルールが異なり1位が10ポイント、
2位が6ポイント、3位から6位までがそれぞれ41ポイントであった。
そのため仮にプロストが
1位になったとしても
タカハシ式
F1トトカルチョ上では10ポイントにしかならないが、
5枠のドライバーが4位に入れば3ポイント×5倍で15ポイントとなるし、
さらには大穴狙いで
10枠のドライバーが5位に入れば
それだけで
30ポイントになることから、かなり予想をするのが複雑となった。

この素晴らしい遊びを考えたことについて大いなる満足感を覚えたのだが、
さらにおもしろそうなことを思いついた。
それは、毎レース前に僕の予想コラムを書くことだった。

寺山修司が生前、
競馬の予想コラムを書いていたというのは有名な話である。
このコラムは寿司屋の政やミストルコの桃子ちゃんなどが
寿司屋の店内で予想を語り合うというシチュエーションをとり、
競馬の予想とは別に読み物として大人気を博した。
事実、競馬についてはまったくのド素人の僕でも、
このコラムは実に読んでいて楽しいものだった。

このシチュエーションをアレンジして(というかそのままパクって)
僕もF1の予想コラムを書こうと思ったのだ。

まず舞台は新宿三丁目にある「やきとりまえだ」という居酒屋にした。
マスターには菅原さんという人物をあてた。
当時、勤めていた会社で取り引きのあった印刷会社と
担当営業の名前を拝借したのだ。

この「やきとりまえだ」に主人公の僕やその親友のキクチ、
さらにテヅカ酒店の親父や古美術商のナカジョウさん、
早稲田界隈で封筒貼りの内職を斡旋しているイデさん、
ブルセラショップ店長のイチハシさん、占い師のアタさん、
ヌードカメラマンのウメダさん、そしてファッションマッサージ嬢の桃子ちゃん、
といった怪しげな人間が夜な夜な集い、
F1の予想を語り合うという内容にしたのだが、
登場人物は職業こそ微妙に変化をつけているものの、
桃子ちゃん以外はすべて仕事関連の実在の人物をモデルとした。

このコラムのタイトルはズバリ“勝利へGO!(爆笑)

寺山修司の競馬コラムは競馬とは全然関係のない話をうまく絡ませつつ、
1つの予想物語に仕上げられていので、僕もそれを意識して書いた。

たとえば車体が赤のフェラーリと黒のザウバーについて予想を書いたときは
桃子ちゃんがスタンダールの名著“赤と黒”を読んでいるところから話をはじめ、
雨が降ることで有名なベルギー
GPの予想を書いたときは
BGMで三善英史の『雨』が流れているところからはじまり、
ベルギー
GPが行われるスパ・フランコルシャンというサーキットの
名物コーナーであった「バスストップ・シケイン」にあやかり
平浩二の『バスストップ』を
BGMに話を締めるなど、
小ネタ満載のバカ文章を得意になって書きまくっていた。

ちなみにテヅカ酒店の親父とは当時勤めていた会社の社長がモデルで、
ヒトが話しているのに途中で口をはさんできたり、
反論されると「聞いて
! ボクのハナシを聞いて!!」と
真っ赤な顔をして大声を張り上げたりという
限りなく実在の人物に近い描写がまず話題を集め、
“勝利へ
GO!”は発表と同時に一大センセーションを巻き起こし、
大人気コラムとなった。

大人気といっても、新宿三丁目にある広告代理店を中心とした、
ごくごく小さな世界だけでのセコイものなのだが、
当時いかにこの“勝利へ
GO!”が
読者を惹きつけていたかを証明するエピソードがあるので紹介したいと思う。

“勝利へGO!”に登場する親友キクチは、当時の同僚であった。
彼の結婚式に招かれ、はじめて新婦にご挨拶した際、
彼女は「あー“勝利へ
GO!”のタカハシさんですね」とのたまったのだ。
彼女にとって僕は、少なくとも夫の同僚である前に
“勝利へ
GO!”の作者だったのである。
それほどインパクトのあるコラムであったのだ。
と、別に偉そうにいうほどのことでもないが
()

数々の話題を集めた“勝利へGO!”であるが、
1993年のF1最終戦・オーストラリアGPを最後に惜しまれながら(?)連載を終えた。
一部の熱烈な読者からはぜひ、
1994年シーズンも書いてほしいといわれたのだが、
僕が飽きてしまったのだ。

しかし、一度だけ1994年にカタチを変えて復活したことがある。
“勝利へ
GO!”と同じシチュエーションで
サッカー
W杯アメリカ大会の決勝予想を書いたのだ。
タイトルは“勝利へ
GOAL!”とした()

以来、この“勝利へGO!”シリーズは書いていない。
この原稿もいまでは手元にないので幻の作品となってしまったが、
“勝利へ
GO!”は僕のなかでは間違いなく僕の代表作のひとつである。
趣味というか、遊びで書いた文章を代表作に挙げるのも
プロとしていかがなものかと思うが、
まあいま書いているこの文章だって遊びの延長線上で書いているものなので、
好き勝手な自画自賛もご容赦願いたい。

寺山修司の競馬コラムを読んでいた当時はまったく興味がなかった競馬も、
いまではご存知
!!ターフィーくんのおかげですっかりやる気になっている。

先週の日曜日、膝の痛みもだいぶ和らいだので
後楽園の
WINSへと出かけた。
地方の競馬場を舞台にした夏競馬が終わり、
いよいよ秋の競馬シーズンがはじまるので、
ひょっとしたら
ターフィーくんがらみの何かいいことがあるのではと思ったのだ。

せっかく
WINSまで出かけるのだから、
秋の
G1レースに向けてのウォーミングアップを兼ねて馬券を買おうと思い、
前日の夕刊を見た。
そこには阪神競馬場で行われる「朝日チャレンジカップ」というレースに出走する
馬の枠順が書いてあった。

僕はまず福永祐一騎手が騎乗する12番のキャプテンベガをチェックした。
次に
2番のニルヴァーナという馬をチェックした。
ニルヴァーナといえば、
90年代前半のロックシーンを席巻したグランジロックの雄、
故カート・コバーン率いるニルヴァーナを想い出す。
ロックンロール音楽を愛する者の
1人として、この馬は外せまいと思ったのだ。
さらに、根拠は何もないのだがなんとなく気になった
8番のアドマイヤメインをピックアップし、
複勝と馬連ワイドで勝負しようと思い勇んで出かけた。

僕がはじめてニルヴァーナのCDを聴いたのは、
同僚キクチから借りてであった。
ニルヴァーナの『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』という曲は知っていたのだが、
当時、世のロックファンの間で話題になっているオルタナティブ・ロックとか
グランジロックというものがいまひとつわかっていなかった僕に、
「それは勉強不足だ」といって貸してくれたのだ。
このとき、オアシスとブラー、ティーンエイジ・ファンクラブの
CD
貸してくれたことを憶えている。

結論からいえば、僕はそれほど夢中にはなれなかった。
たしかにニルヴァーナもオアシスも、ティーンエイジ・ファンクラブもいい。
好みとしては僕好みのロックである。
が、たとえばジャムやクラッシュほどに夢中にはなれなかった。

そうこうしているうちに19944月、
カート・コバーンの死によりニルヴァーナは事実上解散した。
カート・コバーンの死後、
こんなことになるんだったらもっとちゃんとニルヴァーナを
リアルタイムで聴いておけば良かったと思ったことを憶えている。

話を日曜日に戻す。
ニルヴァーナの『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』を
アタマのなかでガンガン鳴らしながら
WINSに着いた。
幸い途中で膝が痛くなることもなかった。
こりゃ幸先いいぞと思い、
WINSのなかに入ろうとしたら、
この週末に開催される主だったレースの出走時間が張り出してあった。
僕は見るともなしに、その張り紙に目をやった。
ら、てっきり今日だと思っていた「朝日チャレンジカップ」は、
翌日の
15日であることがわかった。
夕刊にもちゃんと書いてあったはずなのに、
僕はてっきり日曜日だとばかり思い込んでしまったのである。

おっちょこちょいにもほどがある。
この性格はなんとかならんものかと自分を罵った。

とはいえ、せっかくここまで来たんだからと気をとり直し、
前日発売でお目当ての馬券を買った。

その日の午後。馬券こそ買ってはいないものの当日のレースも気になって、
フジテレビの競馬中継を見ていた。
中山競馬場のメインレースは「京成杯オータムハンデ」という
G3レースだった。

テレビに映し出されたパドックの様子を見ていたら、
どうも気になる馬がいた。
4番のステキシンスケクンというへんちくりんな名前の馬だった。
ナニが気になったかというと、この馬のオシリである。
キュッと締まっていて、色ツヤもいい。
まさに「ええケツしとるの、えっへっへ」とでもいいたくなるような、
見事なオシリだったのだ。
こんなことを書くと、また僕の男色疑惑に油を注ぐようであるが、
事実だから仕方がない。
あっ、事実といっても僕が男色というのが事実という意味ではない。
ステキシンスケクンのオシリが見事に思えたというのが事実という意味である。
と、書けば書くほど疑惑は深まりそうなので、
これ以上の弁解はやめておこう
()

どうも、この馬はきそうだな。
そう思ったら、とたんに馬券を買いたくなった。
僕は大急ぎでパソコンを立ち上げ、
JRAのホームページを開いた。
せっかくネットで馬券を買うのだから、
ステキシンスケクンの単勝か複勝だけではつまらないので、
もう
12頭ピックアップすることにした。
816番にキッストゥヘブンという名の馬がいたので、それを選んだ。
キッストゥヘブン。
うーむ、なんともいい響きの馬ではないか。
選んだ理由はただそれだけである。
さらにステキシンスケクンと同じ
2枠の
レッツゴーキリシマという名の馬も気になったのだが、迷いに迷ってやめた。

馬券はステキシンスケクンとキッストゥヘブンの複勝、
そして馬連ワイド、さらにレッツゴーキリシマが気になったこともあるので、
2-8の枠連を買うことにした。各100円ずつ()

レースは僕のカンが見事に的中し、
1位キッストゥヘブン、2位レッツゴーキリシマ、
3位ステキシンスケクンという着順であった。
僕は買った馬券すべてが当たったのだ。
配当は
2-8の枠連が1260円、4-16の馬連ワイドが1140円、
4の複勝が280円、16270円であった。
もし、レッツゴーキリシマの馬券も買っていたら
儲けはさらに大きくなっていたのだが、
まあそこまで欲をかいてもしょうがないと
何かを悟ったようなサバサバした気持ちだった。

そして翌日。
レース日を間違えていた「朝日チャレンジカップ」の中継を
CSで見た。
結果は僕が買ったキャプテンベガが
3位、ニルヴァーナは4位、
アドマイヤベガは
6位であった。
結局当たったのはキャプテンベガの複勝のみ。
配当はわずか
170円というトホホな結果に終わった。

前日の涅槃的な気持ちはどこへやらで、
僕はたちまち煩悩の世界へと引きずり落とされた。

競馬の予想は本当に難しい。
まともに分析してレース予想をしようと思ったら、
チェックすべきポイントがあまりにも多すぎて、
とてもじゃないが僕にはそんな情熱はない。

かつてF1の予想屋をやっていたときはコースやマシンの特性、
チームやドライバーの状況などをもとにいっぱしの予想を立てられたものだが、
とてもじゃないが競馬では無理である。

果たして僕が競馬版“勝利へGO!”を書くことはあるのか? 
それとも僕が書くべきは
“ターフィーくんといっしょのステキな日曜日”という絵本の原作か
?
ヒノエウマ年生まれのタカハシカツトシ42歳のすちゃらか競馬人生はまだまだ続く。


2008.09