ネーネーズ「ノー・ウーマン ノー・クライ」

昨日、企画書用のホルダーケースを買いに
午後から新宿へと出かけた。
新宿へは大江戸線で春日から新宿西口に出るというのが
僕のいつものルートである。

新宿西口から東口に向かう地下道をホテホテと歩いていたら、
上のほうから勇壮な太鼓の音が聞こえた。
大のお祭り好き、東京ワッショイの僕は、
こういう音には瞬時に反応する。
そして、頭のなかの東京お祭りデータを開く
(ウソ)

僕はその太鼓の音に向かって歩を進めながら、
今日は新宿エイサーまつりだったことを想い出した。

沖縄は僕にとって、
(たぶん)血縁的にゆかりの土地ではないと思うのだが、
不思議と魂が反応するところである。

僕が最初に沖縄を意識したのは小学3年生のとき。
学芸会でどういうワケか沖縄の代表的な民謡
『安里屋ユンタ』を踊ることになったのだが、
その稽古のためはじめてこの曲を聴いたとき、
いいようのない郷愁を覚えたのだ。
もちろん、このとき沖縄に行ったこともなければ、
『安里屋ユンタ』を聴いたこともなかった。

のに、どこか懐かしい感じを覚えたのである。

沖縄の音楽というのは、不思議な魅力がある。
何かを惹きつけ、何かを揺さぶるのだ。
具体的にそれが何かというのを言葉で表現するのはむずかしい。
まさに魂レベルで反応するとしかいいようがない。

実際、僕のように感じる人も多いのではないだろうか?

以前、チラリと書いたように
僕が最後に沖縄に行ったのは
1999年のことだ。
以来、ことあるごとにまた沖縄に行きたいなと思ってはいるのだが
実現にはいたっていない。

僕が先日まで務めていた会社に沖縄出身の男性がいるのだが、
退職祝いにみんながしたためてくれた色紙に彼は
「ぜひとも又、沖縄に行って下さいね」と書いてくれていた。

在職中、僕は彼とよく沖縄について話していた。
その何気ない会話のなかで、
きっと彼は僕が心から沖縄を愛していることを感じ取ってくれたのだと思う。
そう思えばこそ余計に、
彼が書いてくれた一文は、とてもうれしかった。

基本的に僕は沖縄の音楽は
すべて大好きといっても過言ではないほどの島唄野郎なのだが、
なかでも僕がいいなあと思っていたのがネーネーズである。
女性
4人組のヴォーカルグループで、
その歌唱力・表現力は他に類を見ないものだった。

ネーネーズの歌はハーモニーではなく、
4人すべてが同じメロディラインを唄うユニゾンである。
にもかかわらず、
1人ひとりの声の個性がしっかりと出ていて、
厚みのあるヴォーカルを聴かせてくれていた。

ネーネーズの代表曲を1曲挙げるとすれば、
僕は『ノー・ウーマン ノー・クライ』を推す。
あのボブ・マーリーの名曲を島唄風にアレンジし、
歌詞もウチナーグチ
(沖縄言葉)のラブソングにしたこの曲をはじめて聴いたのは
1993年の秋だった。
古今東西さまざまなカバーソングがあるが、
僕のなかではあらゆるカバーソングのなかで、
これがベストである。

ボブ・マーリーの原曲も、
もちろん名曲で僕自身も大好きな
1曲であることは間違いが、
その身びいきを差し引いても、
このネーネーズ版『ノー・ウーマン ノー・クライ』は素晴らしい、
素晴らしすぎる。
はじめて聴いてからすでに
14年が経たんとしているいま聴いても、
その輝きは薄れない。

1998年に沖縄に行った際、
僕はネーネーズが本拠地としているライブハウス「島唄」に行こうとしていた。
たしか宜野湾市内にあったと思う。
昼間コザにいた僕は、いい感じで日が暮れたころ宜野湾を目指し、
那覇行きのバスに乗った。
が、僕が乗ったバスは宜野湾経由のバスではなかったのだ。

なんたること
! おっちょこちょいで、すっとこどっこいにもほどがある。
僕は右手に見える宜野湾方向を横目に、
トホホな気持ちでそのまま那覇に向かった。

で、その足で那覇にある喜納昌吉さんのお店に行き、
喜納さんをはじめ多くの人と友だちになったのだから
人生は皮肉なものである。

ネーネーズはメンバーこそ変わったものの、いまも活動を続けている。
僕が行きそびれたライブハウス島唄は、この
4月から那覇市内で営業している。
今度沖縄に行ったら、ぜひ立ち寄ろう。
そしてまた、素敵な想い出をいっぱいつくってくるのだ。

そのためにも、まずは仕事仕事である()

2007.07