ニール・ヤング「イマジン」

先日、おちまさとの話を聞く機会があった。
はじめて知ったのだが、彼も
41歳なのだそうだ。

おちまさとといえば、
僕は
TBSの番組“学校へ行こう”を思い浮かべる。
で、“学校へ行こう”といえば、
タイトル名は忘れたが、
素人参加型のラップコーナーを真っ先に思い出す。

各参加者がオリジナルのラップや替え歌を披露するコーナーで、
このコーナーから軟式グローブとか、
Co.慶応とか、
チゲ&カルビとか、尾崎豆などといった人気者が現れたが、
僕がいちばん印象に残っているのがジョン・レノソである。

『イマジン』のメロディラインに乗せて、
「あんまり意味がない○○○○○」という替え歌を唄っていた男なのだが、
いまは芸人として“エンタの神様”などにも出演しているという。

僕は128日になると『イマジン』ばかりが流されるのに、
ずっと違和感を覚えてきた。
たしかにいい歌だし、そのメッセージ性は普遍的だとは思うが、
『イマジン』のイメージだけが膨張して、
ジョンを「愛と平和の人」と語るのがイヤなのだ。

たしかにジョンはそういう側面もあったと思う。
しかし、それがすべてではない。
僕がジョンに抱いているイメージはズバリ、狂気のロックンローラーである。


尊敬する音楽評論家の松村雄策氏が、
ジョンが亡くなった直後、追悼番組の選曲をした際、
ジョンはロックンローラーだったのだからという理由で
まず『パワー・トゥ・ザ・ピープル』を選んだという。
このセンスは正しいと思う。
アホなヤツは『イエスタデー』をかけたヤツもいるというから、
1980年当時どれほど日本で
ジョン・レノンが正しく理解されていたのか実にあやしい。

かの大滝詠一も山下達郎とのラジオトークで、
ジョンを追悼するならジョンが好きだった
ロックンロールをかけるのが一番なのではないかというような発言をしていた。

いまから34年前、
サザンの桑田がラジオでリスナーとジョンについて語っているのを聴いたことがある。
「ジョンって、どんな人だったと思う?」という桑田の問いに対し、
そのリスナー
(若い女性であった)は例によって「愛と平和の人」と答えた。
僕はそれを聞いて、またかよ、とうんざりした気分になった。
しかしその直後、桑田は「うーん、オレはならず者だったと思うけどね」といった。
僕は土曜日の夜の部屋で、桑田に拍手喝采を送った。

2001911日に起きたニューヨークのテロのあと、
どういうワケか『イマジン』が放送禁止になった。
そんななか、アメリカ同時多発テロの犠牲者の追悼と寄付を呼びかけ、
全米4大テレビネットワークが共同製作したチャリティ番組
“アメリカンヒーローたちへのトリビュート”において、
ひとりの男が大観衆の前で高らかに『イマジン』を唄った。
ニール・ヤングである。

エンケンこと遠藤賢司を評して「日本のニール・ヤング」とよくいわれるが、
エンケンとニール・ヤングに共通するのは、
「言音一致のロケンローラー」ということである。
なにかに決しておもねない、骨太で筋の通ったものを僕はこの二人から感じる。

以前、この欄にも書いたボブ・ディランのデビュー
30周年記念コンサートにおいて、
観客の歓声がいちばん多かったのがニール・ヤングである。
僕はそれを見て、いかにニール・ヤングが人々から愛され、
信頼されているのかがよくわかった。

20017月、フジ・ロック・フェスティバルに出演したときは、
ニール・ヤングを知らない若いファンにも鮮烈な印象を与えた。
残念ながら僕はそのステージは観ていないのだが、
その話を聞いてすごくうれしくなった。

ニール・ヤングとはいち面識もないが、
僕はニール・ヤングという人は人間的にもすごく信用できる人というイメージがある。
なだけに、ニール・ヤングについていい話を聞くと、
自分までもが褒められたようでついついうれしくなってしまうのだ。

ニール・ヤングは今年で62歳になる。
まだまだ、現役だ。
2001年のあの時期に『イマジン』を唄い上げた持ち前の反骨精神で、
もっともっとパワフルな演奏をたくさん聴かせてほしい。

200311月。
ニール・ヤングは来日し、日本武道館でコンサートを行った。
僕は所用でいけなかったのだが、
伝え聞くところによるとすごくいいコンサートだったらしい。
うーん、実に残念だった。

次に来日するときは、
願わくば武道館でエンケンとニール・ヤングの轟音対決を観てみたいものだ。
きっとロック史上に残る、
すさまじいガチンコ勝負になると思うけどな。


2007.03