ニール・ダイヤモンド「ハートライト」


いまを去ること19年前の今日、
僕は人生最大の体調不良をおぼえた。
ちょうど日曜日で、
午後の早い時間にガールフレンドを最寄りの駅まで送った後、
力つきたようにそのまま翌朝まで眠り続けた。

以前からちょっと息苦しいと感じることがあったのだが、
この日はまさに息も絶え絶えの息苦しさで、
とても起きていられず帰宅するや否やベッドに倒れ込んだ。

翌朝、月曜日。
起きようと思ったら、背中が痛くていたくて力が入らない。
僕は転がり落ちるようにベッドを抜け出て、立ち上がった。
息苦しさは昨日以上で、とにかく具合が悪かった。
しかし、会社を休むわけにはいかない。
とりあえず身支度をし、ヨタヨタと駅に向かって歩き出した。

が、どう考えてもおかしい。
尋常な具合の悪さではないのだ。
僕は出社前に病院に寄って行こうと思った。

診察室に呼ばれ、息苦しいことをドクターに訴えたところ、
すぐさま胸のレントゲンを撮られた。
再び診察室に呼ばれ、僕はドクターから左の肺に穴が空き、
ベッシャンコにつぶれているということを告げられた。
肺に穴
!? しかもベッシャンコ!!
さすがのノーテンキ野郎の僕もこの事実にはビビッた。
そしてドクターの指示ですぐさま心電図をとられ、
ただちに入院→手術しなければならない旨を告げられた。
破れた左の肺から漏れた空気を抜く手術だという。

すぐに入院→手術といわれても困る。
なんてったって僕は会社に行こうとしていたのだ。
洗面道具もパジャマもない。
しかし、そんなことはおかまいなしに僕は看護婦さんに、
すぐ手術に入りますからと急かされた。

とりあえず会社にだけは電話を入れた。
僕自身、状況が把握できてなかったので、
とりあえずすぐに手術しなければならないらしいということを告げ、
慌ただしく電話を切った。

この緊急事態からして、
相当やっかいな病気なのだろうと覚悟した。
このとき僕はまだ
22歳。
やりたいことは山のようにあった。

しばらくして部分麻酔で左胸にメスが入れられ、
そこから空気を抜くためのチューブを入れられた。
このチューブはベッドに固定されていたので、
僕はこの瞬間から自分の足でトイレにも行けなくなった。

手術後、ドクターから受けた説明によると、
僕の病気は自然気胸というものであった。
若くて、やせ形の男性に多い病気という。
聞いたこともない病名であった。
「で、いつぐらいに治るんですか
? 大丈夫なんでしょうね」と、
初めての入院体験に動揺している僕は、
震える声でドクターに病気の真実を尋ねた。
ら、ドクターは軽薄な声で、こう答えた。
「自然気胸なんて、盲腸ぐらいの軽い病気ですから心配いりませんよ。
しばらく様子を見て、破れた肺の穴を塞ぐ手術をするかどうか決めましょう」

ドクターいわく、穴が自然に塞がることもあるのだという。
できれば手術は怖いのでしたくなかった。
僕は自然に穴が塞がることを祈りながら、
8人部屋の病室で目を閉じた。
痛みで寝返りも打てず、その夜はほとんど眠れなかった。

結局、開いた穴は自然に塞がりそうもないとのことで手術することになった。
手術日は奇しくもジョン・レノンの命日と同じ
128日だった。

入院してからこの日まで、僕はオシッコこそ溲瓶にしたものの、
大の便意を催すことがなかった。
とてもじゃないが、
8人部屋のベッドの上でなどできるものではない。
僕は自分のカラダのコントロール能力に自分で拍手をした。

手術前、いろんなことを考えながらベッドに横たわっていたら、
これから浣腸をしますと看護婦さんに告げられた。
胸に入れられたチューブの先をハサミのようなもので塞ぎ、
僕は
3日ぶりに自分の足で歩き、
看護婦さんのあとを追いながらホテホテとトイレへと向かった。

個室の前に到着すると看護婦さんは、
僕にトイレの壁に手をついてお尻を突き出すように命じた。
読者よ
! 友よ!!
22
歳の青年がだ、トイレの壁に手をついて女性にお尻を突き出している光景を想像してみてほしい。
まるで女王様と奴隷の世界である。
僕はそれまでの人生で体験したことのない屈辱感を味わった。

その後、ベッドに戻り、今度は下半身をあらわにするように命じられた。
またしても屈辱的な命令である。
しかも看護婦さんは、どう見ても僕の母親より年上だった。

そういうことは違うシチュエーションで、
違う女性に命じられたいもんだぜウッシッシ・・・などと冗談をいっている場合ではない。

僕はいわれるがまま、下半身を看護婦さんに晒した。

晒された僕のチョロ松くんを手にとり、
看護婦さんから「じゃあタカハシさん、
ちょっとラクにしててくださいね〜」と声をかけた次の瞬間、
それまで体験したことのない激痛が、僕のチョロ松くんから脳天へと突き抜けた。
尿道カテーテルなるものを入れられたのである。

浣腸に尿道カテーテル。
僕はトホホな気分で手術台へと向かった。
しかも歩いて。
ナント、手術室が病室の前にあったため、
僕は歩いて手術室に向かわされたのである。

手術は無事に成功し、僕は手術から1週間後に退院できた。

以来、おかげさまで入院するような大病はしていない。

あれから19年。
その後の人生において浣腸以上の屈辱を味わったことがあるので、
再び同じ姿勢で浣腸をされてもあのときのような情けない思いはしないだろう。
しかし、尿道カテーテルだけはイヤだ。
あんなものは
2度とされたくない。

寺山修司が亡くなる前、
尿道カテーテルをされる際に「やめろ」といったという。
これが生前の寺山の最後の言葉になったといわれている。

今日、あらためて健康であることの大切さ、
ありがたさを噛みしめている次第である。


ついでに今日はどんな日なのかをウィキペディアで調べてみたところ、
映画“
E.T.”が日本で公開された日だという。
高校
2年生の冬、
僕も当時のガールフレンドとともにこの映画を観にいったものだ。

この“E.T.”に感動したニール・ダイヤモンドがこの時期に発表したのが
『ハートライト』という曲である。
ニール・ダイヤモンドは、かのビルボード誌によれば
エルトン・ジョン、バーブラ・ストライザンドに次いで史上
3番目の、
アダルト・コンテンポラリー系のアーティストにランクされているという。

この曲は実にハートウォーミングなメロディラインで、
僕も熱心に聴いた
1曲である。
この曲のメロディラインを思い浮かべると、
冬の寒い日の暖かい室内の空気を想い出す。

かつて少年少女だった人々、
そして現代を生きるすべての少年少女にぜひ聴いてもらいたい珠玉の
1曲である。

2007.12