中島みゆき「悪女」


昨日の夕刊を見て驚いた。
モデルの山口小夜子さんの訃報が載っていたからだ。
死因は急性肺炎。
享年
57歳であった。

僕が驚いたのは、
単に山口さんの訃報に触れたからだけではない。
ちょうど先週の土曜日、
偶然山口さんのことを考えたばかりだったからだ。

土曜日の夜、ふと久々にジュリーの歌が聴きたくなった。
そこで「電撃のジュリー・ベスト・ヒッツ」なるベタなキャッチコピーが帯に記された
“ロイヤル・ストレート・フラッシュ”という
CDを引っ張り出し、聴いた。
『危険なふたり』『時の過ぎゆくままに』『勝手にしやがれ』
『あなたに今夜はワインをふりかけ』『カサブランカ・ダンディ』
『ヤマトより愛をこめて』など
まさに「電撃のジュリー・ベスト・ヒッツ」を聴きながら歌詞カードを眺めていたら、
ジュリーの隣に山口さんが写っていたのだ。

山口小夜子というモデルが活躍し出した1970年代、
僕はまだまだ子どもであった。
CMで観た山口さんは、
そんな子どもをもハッとさせるオーラを放っていた。
妖艶などという言葉を当時はまだ知らなかったが、
ブラウン管に映し出された山口さんは、
まさにこの世のものとは思えないほど艶かしく、そして美しかった。

山口さんはモデルとしてのみならず舞台や映画の世界でも活躍されたが、
なかでも印象に残っているのが、
寺山修司が監督を務めた映画“上海異人娼館”である。
これは官能文学の最高傑作として名高いポリーヌ・レアージュの
O嬢の物語”の続編“城への帰還”をもとに、
O嬢が上海に売られたらという設定で寺山が脚色し、1981年に公開された。


時は
1920年代末。
上海の娼館「春桃楼」を舞台としたこの映画で、
山口小夜子さんは娼婦の一人を演じた。
とはいえ、山口さん自身のエロチックなシーンはなかった。
「春桃楼」の女主人はピーター
(!!)
さらに寺山作品の看板女優だった新高けい子さんや、
寺山の秘蔵っ子でのちに“ふぞろいの林檎たち”で知られる高橋ひとみも
娼婦役で出演していた。

“上海異人娼館”はハードコアということでも話題を集めた。
しかし大島渚監督の“愛のコリーダ”同様、
性的描写をめぐる検閲でズタズタに編集され、
なんだかワケのわからない映画になってしまったのが悔やまれる。

“上海異人娼館”の公開前後、
深夜にラジオを聞いていると「こんばんは、寺山修司です。
もしあなたの恋人が娼婦だったら、あなたはどうしますか」
といった
CMがよく流れていた。
寺山の独特の語り口に加え、
あなたの恋人が娼婦だったらという問いかけは、
高校
1年生の僕にとってすごくインパクトのあるCMであった。

僕は娼婦を恋人にしたことはないが、
僕の高校時代の親友の一人は、
好きだった女性が娼婦になったという経験をもつ。

僕がこの話を聞いたのは、高校を卒業してからのことだ。
この親友は大学入試に失敗し予備校に通っていたのだが、
真面目に予備校通いをすることもなくプラプラしていた。
僕もせっかく入学した学校へはほとんど行かず
バイト以外のときはプラプラしていた。
僕らはよくつるんで歌舞伎町にある居酒屋“大都会”に行き、
1250円のカルピスサワーを飲みながら、
いつ実現できるともわからない将来の夢について語り合ったものだ。

この親友は常々「オレは絶対ブルジョアになる」といっていた。
彼は父親が早くに亡くなり、母と弟と
3人暮らしだった。
お金を儲けて母親に恩返しをしたい。
僕は彼の言葉をそう理解していた。

そんなある日、いつもよりちょっとだけ酔っぱらった彼が、
実は好きだった女性が借金のカタにソープ嬢にさせられたと語り出した。
その女性は、とある
ブティックを経営していたのだが、
経営が行き詰まりそのような結果になったという。

僕はそのあまりにもな話の展開に言葉を失った。
その女性が何歳なのかも聞けなかった。
年上であることは間違いない。
しかし何歳年上で、彼と付き合っていたのか、
それとも彼が憧れていただけなのか、
そんな基本的なことを何ひとつ聞けぬまま、
僕は黙って彼の話に耳を傾けた。

「オレは絶対ブルジョアになって、彼女の借金を全部払ってやる。
そして彼女を助け出してやるんだ」と彼はいった。
その口調は真剣そのもので、
とてもウソとか空想の世界の話ではないと思わずにはいられなかった。


その後、彼は大学入試にも受かり、ちゃんと
4年間で卒業し、
とある大手建設会社に就職した。
彼が新入社員研修を新宿の本社で受けていたある日、
僕らは
2人でささやかな就職祝いを行った。
場所はもちろん歌舞伎町である。

それからしばらく連絡がなかったのだが、
ある日、転職をしたという連絡を受けた。
サラリーマンをやっていてもブルジョアにはなれないから、
保険の外交でひと旗あげてやると語っていた。
まあ、彼らしいといえば彼らしいなと思った。

数年前、彼は結婚し、いまでは子どももいる。
一家の大黒柱となっても、彼のブルジョアになるという夢は健在である。

彼がかつて恋した相手については、
その後まったく聞いていない。
なのでいまとなっては事の経緯も真偽も確かめようがないのだが、
それはそれでいいと思う。
人間、触れられたくない話題のひとつやふたつは誰だったあるだろうし、
知らないでいた方がいい話だってたくさんある。

知らないでいた方がいいという話といえば、
彼から聞きたくもない話を聞かされたことがある。
僕が高校時代に付き合っていた彼女と、
付き合ったというのである。
そのとき僕はもう、
その彼女に対して何の感情も抱いてなかったのだが、
やはり内心は穏やかではなかった。
自分が好きだった女性が誰かと仲良くしているなんてことは、
想像もしたくなかった。

映画“上海異人娼館”は、
自分への愛をより高めるために愛する女性を娼婦にし、
他人に抱かせることで
精神的に絶対の愛を確立しようとするという男の話であった。


僕には絶対無理である。
「もしあなたの恋人が娼婦だったら」という寺山の問いかけに対し、
僕は耳を塞ぎ、首を振って「
No!!」というだろう。
相変わらずのジェラス・ガイなのである。
悪女となど、とてもじゃないが付き合えそうもない。

1981年秋、“上海異人娼館”が公開された頃、
よくラジオから流れてきたのが中島みゆきの『悪女』である。
この曲、タイトルこそ『悪女』であるが、
歌の主人公は悪女になりきれないかわいい女性である。

そんな女性だったら別に悪女ぶらなくたっていいのにな、と思う。
きっとそのほうが男性にとっても魅力的に映ると思うのだ。

「無理に背伸びしなくたって、素敵な女性の前では、オトコはひざまずくものさ」


僕が若い頃、愛読していたマンガ“右曲がりのダンディー”の主人公、
一条まさともそういっていた。

山口小夜子さんのプライベートについては、ほとんど知らない。
でも思うに、きっといろんな意味で素敵な女性だったのだと思う。合掌


2007.08