美輪明宏「ヨイトマケの唄」


今週の月曜日、クライアントと打ち合わせの際、
いま世間を騒がせているグッド・ウィル・グループの話から、
ジュリアナ東京→芝浦インクスティック→芝浦
GOLD
→日清パワーステーション→渋谷ジァンジァン→銀巴里と話題は広がっていった。

渋谷ジァンジァン、銀巴里といえば、
美輪明宏さんがかつてホームグラウンドにしていた場所である。
銀巴里は銀座
7丁目にあったシャンソン喫茶で、
1990年に惜しまれながら閉店した。
僕は店内には一度も入ることがなかったのだが閉店した後、
そのお店の跡地まで行ったことがある。

一方、渋谷の公園通り沿いにあった渋谷ジァンジァンは、
ライブや芝居を観に何度も足を運んだ懐かしい場所だが、
2000年にこれまた惜しまれながら閉館した。
たしか最後の公演は寺山修司作・流山児祥演出の
“血は立ったまま眠っている”だったと思う。
寺山フリークの僕はぜひとも観にいきたいと思っていたのだが、
残念ながら行くことは叶わなかった。

寺山の芝居以上に、観たい観たいと思っていたのが、
美輪さんのジァンジァンでのコンサートである。
美輪さんは毎月のようにジァンジァンのステージに立っていたのだが、
いつかいつかと思っているうちに、その機会は永遠に失われてしまった。
実に惜しいことをしたものである。

美輪さんといえば、やはり『ヨイトマケの唄』が代表作となるだろう。
男たちに交じって土木工事に従事する母親の姿を唄った名曲だ。
この曲が発売されたのは
1966年。
ちょうど僕が生まれた年である。
しかし、この曲は大ヒットしたにもかかわらず、間もなく放送禁止となった。
歌詞のなかにある「土方」という言葉が差別用語であるという理由からだった。

この歌詞を読めば、
「土方」と蔑んでいる歌でないことは容易に理解できる。
にもかかわらず、
単語だけをとり上げて放送禁止にしてしまうというのは、
この曲の作詞者である丸山
(美輪)明宏さんに対する冒涜といっても過言ではない。

「土方」という言葉が差別用語だと知ったのは、
僕がすっかり大人になってからだった。

「土方」という言葉は、僕が子どもの頃、
周囲で日常的に使われていた。
さらに僕が子どもの頃は、近所のお母さんたちが
『ヨイトマケの唄』のように土木作業に従事していた。
たしかヤッケ姿のお母さんたちが朝の
7時ぐらいに集合して、
マイクロバスに乗り込んでいたことを憶えている。

その姿に対して誰もバカにする子どもはいなかった。
本当にそれは日常的な、当たり前の光景だったのだ。

『ヨイトマケの唄』は
美輪さんのベスト盤を持っていたので
CDで何度も聴いたものだが、
実際に美輪さんが唄っている姿を生で体験したことがなかった。
なので、いつか渋谷ジァンジァンにと思い続けていたのである。


いつのことかは忘れてしまったが、
美輪さんがこの唄をフルコーラスで唄ったテレビ番組を観た。
それはまさに、魂の叫びという表現がぴったりの、
聴く者の心を揺さぶる熱唱だった。


2007.06