ミス花子「河内のオッサンの唄」


先週の土曜日の朝、靖国神社に行ってきた。
先日、この日記で映画“靖国”についての私見を述べさせてもらったが、
その後もこの映画に関するニュースは後を絶たず、
状況はますます混沌としている。
そこで、人気の少ない週末
&早朝の靖国神社をひとり訪れ、
この国のデモクラシーと表現の自由について、
じっくり腰を据えて考えようとした次第なのである。

というのはウソで、
実はトイレを借りにいったのである。
わざわざ靖国神社まで。
しかも〈大〉のほうをば。

「なんで、アンタのそんなハナシを読まされなきゃいけないのよ!!」と
鋭いツッコミを入れた読者よ
! 友よ!! まあ、黙ってしばらく僕の話を聞いてほしい。

土曜日の朝は、6時半ぐらいに目が覚めた。
昔から春眠暁を覚えずという言葉があるように、
僕もここずっとなかなか朝起きられなくて、
気がつけば
8時をまわっていたことも珍しくはなかった。

が、しかし、土曜日は違った。
まさにパッチリと目が覚めたのである。
しかもカーテン越しに明るい春の日差しが差し込んでいる。
実に外は気持ち良さそうであったのだ。
こうなると僕は寝てなんかいられない。
転がり落ちるように急いでベッドから出、
イソイソとジャージを着るなどして身支度をし、
そしてジャージのポケットに
近所の公園にいる猫ちゃんたちにあげるゴハンを押し込み、
弾むような足どりで人も車もまばらな春日通りへと出た。

さすがにまだ時間が早いので猫ちゃんたちのゴハンは帰りにあげようと思い、
僕は春日通りを右折し、飯田橋方面へと安藤坂を下った。
一路、武道館を目指そうと思ったのだ。
気がつけば、待ちに待ったチープ・トリックの武道館公演まで、
あと
2週間を切っているのである。
ここはなんとしても武道館を訪れ、
翌々週に迫ったチープ・トリック武道館公演の心の下準備をしようと考えたのだ。

快調に安藤坂を下っていたそのとき、異変は起きた。
お腹のなかに一瞬、稲妻が走ったのである。
こりゃイカン。そのとき僕は思った。
僕の
42年間の人生の経験上、
このテの稲妻は必ずや遅かれ早かれ暴れ太鼓を奏で出す。
それは間違いなく、時間の問題であるということを僕は悟った。

まだ自宅を出てから5分ぐらいだったので、戻ろうと思えば戻れた。
しかし、子どもの頃から源義経をヒーローの1人として崇め、
義経と梶原景時の「逆櫓の争い」における義経の言動を人生訓として育った僕は、
後戻りするということを潔しとしない。
平家物語における名場面のひとつである「逆櫓の争い」と僕のトイレ話では、
まさに月とスッポンほどの差があるのだが、ご勘弁願いたい。

かくして僕は、義経がその後、
悲劇の生涯を送ることなったことなどどこ吹く風で先を急いだ。

それから10分後、
飯田橋駅に出たあたりで、僕のお腹はかなりヤバい状況になっていた。
痛みが寄せては返す波のように訪れ、その間隔は徐々に短くなっていた。
僕が安藤坂の途中で「もはや時間の問題」と悟ったことが、
早くも現実のものとなっていたのである。

それでも僕は歩くのをやめなかった。
そんなにヤバいんだったら、
コンビニで借りればいいのにと思う読者諸君もいるだろうが、
どういうワケか僕はコンビニでトイレを借りるのを「良し」としない。
これこれこうだから僕はコンビニではおトイレを借りません、
という明確な理由などナニひとつないのだが、
とにかく僕はコンビニで用を足すのを拒むのである。

頻繁に襲ってくるお腹の痛みに耐えながら武道館へと向かっていたそのとき、
ある文章が僕の脳裏に浮かんだ。
その文章とは、冒頭に書いた
「先週の土曜日の朝〜わざわざ靖国神社まで。しかも〈大〉のほうをば。」の一文である。

この、いやはやなんともな状況をギャグにして笑いをとろうという自虐的な気持ちが、
お腹の痛みとは別のところからムクムクとわき上がってきたのである。

かくして僕は、武道館ではなく靖国神社を目指した。
状況はますます逼迫している。
僕はハロホレいいながら、九段の坂を登った。
もはや事態は一刻を争っていた。
そういうときに限って、邪魔が入る。
赤信号であった。
靖国神社の大鳥居前の信号が赤だったのである。

もう、辛抱たまらんと僕は、
車がこないことを確認し、急ぎ足で赤信号を渡った。
が、この急ぎ足がいけなかった。
足先から伝わった振動が、暴れ太鼓を奏でているお腹を直撃したのである。

大鳥居の先に、大村益次郎の銅像が見えた。
戊辰戦争において、いわゆる新政府軍の総司令官を務めた長州出身の大村は、
新撰組や会津藩を愛してやまない僕からすれば不倶戴天の敵である。
しかし、さすがにこのときは大村益次郎の銅像を見てホッとした。
あと少しだ、ガンバレガンバレと僕は自分を励ましながら、
靖国神社のなかへと入った。
土曜日の早朝ということもあり、境内にはほとんど人がいなかった。
もし眉を吊り上げ、口を真一文字に結び、
ジャージ姿で靖国神社の境内に入ってきた僕を誰かが見たら、
その人はいったいナニを思ったであろう
?

僕はすぐさまトイレを探した。
が、だいたいにして靖国神社でトイレに入ったことがないので、
どこにあるのかさっぱり見当がつかない。
思わず、昨年
107日の日記に書いた神田明神でのトイレ探しの一件がアタマをよぎる。
一瞬、ここは諦めて武道館に向かおうかと思ったのだが、
もはやその猶予もない。
僕は血眼になってトイレを探した。
ら、あったのだ。僕は「男子便所」という文字が、
これほどまでありがたく感じたことはない。
僕はお腹に刺激を与えないよう十分注意をしながら急ぎ足で、
その「男子便所」へと向かった。
そして個室に入り、やれやれとホッとしようとした次の瞬間、
あることに気がついた。
トイレットペーパーがないのである。

僕はあわてて個室を出、
入口付近にあった自動販売機でティッシュを買った。
100円だった。
サイフを持っていたこと、そしてサイフのなかに
100円玉が入っていたことに安堵しつつ、
僕は用を足した。

かつて、かの大槻ケンヂくんは自著のなかで、
焼き肉屋さんのチープな紙でできた前掛けと、ハヒハヒと辛いカレーの前では、
どんなに地位のある人も金持ちも情けない姿に変わり果ててしまう。
焼き肉屋さんとカレー屋さんの前にあっては、
「人間平等」であるという珍説を説いたことがある。
しかし、僕は思う。
たしかに焼き肉屋さんの前掛けも人間を平等にする。
辛いカレーの前でもしかり。
だが、思想も人種も地位も貧富も関係なく、
もっとも人間が平等となるのは便器の前においてではなかろうか
?

そんな珍説をアタマのなかで考えながら、
すっかり心もカラダも軽くなった僕は、靖国神社をあとにしようとした。
その瞬間
! 目の前にこんなヤツがいた。
上から下までサッカー日本代表のユニホーム姿で、
バックパックを持ったオトコが神社のなかで写真を撮っていたのである。
土曜日の早朝にである。
これだけでもビックリものなのだが、
ナントその男は「日本軍」と手書きされた白いヘルメットをかぶっていた。

「靖国神社とは、いったい何ぞや!?

白ヘルメット姿のオトコの脇を通りつつ、
僕のなかでその疑問がまた大きく膨らんだ。

この日、武道館ではウルフルズのコンサートが予定されていたようで、
正面玄関前には大きな看板が掲げられていた。
しかも、看板には全シングル曲を演奏する旨が堂々と謳われていた。

ウルフルズの曲のなかで、
僕がもっとも唖然とさせられたのが『バカサバイバー』である。
歌詞カードを読まない限り、
とうてい聞き取り不可能な大阪弁が機関銃のごとく連発されるスゴバカソングである。
はじめてこの曲を聴いたとき、
小学校の頃に聴いたミス花子の『河内のオッサンの唄』以来の衝撃を受けたものだ。

帰ってから、さっそく『バカサバイバー』を聴いた。
1度では聴き足りず、2度も3度も何度も聴いた。
そして、出かけた。
本郷三丁目の手前にある骨董品屋さんへと出かけたのだ。
この骨董品屋さんは、
バスで上野方面から我が家に向かう途中、何度も目にしていた。
店頭にはなぜか獅子舞のお面が置いてあり、
妙に心惹かれるお店であった。
行こう行こうと思いつつ、なかなかその機会がなかったのだが、
意を決して出かけたのである。

そこで僕は、ビリケンさんを見つけた。
15センチ・奥行き20センチ・高さ30センチぐらいの堂々とした
陶器製のズシリと重いビリケンさんである。
出がけに『バカサバイバー』を聴き、
『河内のオッサンの唄』に思いを馳せ、
すっかりアタマがコテコテの大阪モードになっていた僕は、
ついついそのビリケンさんを買ってしまったのだ。

僕は帰宅するやいなや、
ホクホク顔でビリケンさんを箱から取り出し、飾った。


そもそも僕がビリケンさんに興味をもったのは、
これまた大槻ケンヂくんの本がきっかけである。
ある本のなかで大槻ケンヂくんが、
中島らもと対談したときのことが書かれていた。
この対談のなかで大槻ケンヂくんは東京タワーの蝋人形館に
フランク・ザッパやピーター・ガブリエルという
マニアしか知らないであろうロックミュージシャンの蝋人形が展示されていることに触れ、
「今一番アホなのは東京タワーじゃないですかねぇ」といったところ、
中島らもは「東京タワーがそんなにスゴイというてもねぇ、
大阪の通天閣にはビリケンさんがいてるからねぇ」と語ったそうである。

後日、大槻ケンヂくんは、
そのビリケンさんに会いにわざわざ通天閣へと向かった。
そして、ビリケンさんをはじめて生で見、得た感想についてこう書いている。


「『これは東京タワーのザッパ人形より、
ただ単純なインパクトにおいて勝ってるかもしれん』と思った。
(中略)東京タワーのザッパ人形が、
『わかる人にはわかる』という、東京的な、
少しだけ嫌みな面白さ、アホさを持つのに対して、
西のアホの代表、ビリケンさんのアホさとは、
『誰にもわからない』という、
(中略)迫力に満ちあふれているのだ。」

ビリケンさんの名前や姿かたちは知っていても、
我が家にビリケンさんを飾っているという人は多くないであろう。
しかも、ましてや東京で。

むふふ、自慢の一品がまた増えたと、僕は喜びを隠せないでいる。

自分のトイレ話を滔々と書き、
ビリケンさんを買ったといっては自慢しているこの僕。

たとえ見知らぬ人に「アホ」とツッコミを入れられても、
返す言葉はない。

 

《追記》
僕が靖国神社で購入したティッシュは100円という値段を納得させようとしてか、
通常のポケットティッシュよりも大判で、紙の質もいい。
しかも表面には「お手拭きとしてもお使いいただけます」と書かれていて、
使い勝手の良さというか商品価値の高さをさりげなくアピールしていた。
僕も含めて、この自動販売機でティッシュを買う人は
非常に、とっても、どうしようもないほど切羽詰まった状況下にあるワケだから、
ナニもそこまで消費者に媚びなくてもいいのではと、
僕はお手拭き案内の一文を読みつつ、ちょっと笑ってしまった。

2008.04