サディスティック・ミカ・バンド「タイムマシンにおねがい」

2006年の音楽シーンで、ビックリさせられたことのひとつに
サディスティック・ミカ・バンドの再々結成が挙げられる。
そして、もっとビックリさせられたのは、
彼らの代表曲『タイムマシンにおねがい』が
21世紀の今日においても、まったく古さを感じさせないことだった。

この曲を含むアルバム“黒船”が発表されたのは1975年。
“黒船”は、ビートルズの通称ホワイトアルバムや
ピンク・フロイドの狂気などを手がけたクリス・トーマスを東京に招き、
400時間とも450時間ともいわれる膨大なスタジオ作業を経て発表、
海外でも高い評価を受けた。

まさに日本のロックヒストリーを語る上で、
絶対に欠かすことのできない名盤中の名盤である。

聞くところによると、ミカ・バンドの1stアルバムは、
日本ではイマイチだったがロンドンで評判となり、
その評価が逆輸入のかたちで日本に入ってきたという。
いうなればチープ・トリックの逆パターンである。

この
1stアルバムを聴いたクリス・トーマスがミカ・バンドに興味をもち、
自ら売り込んでプロデュースしたのが“黒船”である。

その後、ロック界の伊達男ブライアン・フェリー率いる
ロキシー・ミュージックのオープニングアクトをつとめ、
イギリスツアーを大成功させたのだが、
加藤和彦とミカ夫妻の離婚によりバンドは解散した。

このとき僕は9歳。
長嶋茂雄とアントニオ猪木と先代・貴ノ花が僕の
3大ヒーローだった。
このころの僕は、将来プロ野球の選手になるべきか、
プロレスラーになるべきか悩んでいた。
その後、僕はプロ野球選手を断念し、
将来はプロレスラーになろうと誓った。
そして小学校の卒業文集に将来の夢として、
当時世界最高峰のプロレス団体であった
NWAの世界チャンピオンになる」と書いた。

1989年、ミカ・バンドは
桐島かれんをヴォーカリストに迎えて、再結成した。
このとき僕は
23歳。

そして2006年、ミカ・バンド再々結成。
この間、楽しいことも辛いことも、うれしいことも
腹立つこともたくさんあったが、それもすべて過去のこと。
ジョージ・ハリソンが歌ったように“
All things must pass”なのである。

いまは今年僕を支えてくれた人たち、
そして今年出会った人たち、すべてに感謝したい。


2006.12