三原じゅん子「じゃじゃ馬ならし」


昨日、この日記にみんなが健康で楽しい毎日を過ごせることを心から願う、
と書いている最中、友人からメールが入った。
「腰が死んだかも」とだけ書かれていた。

この友人は以前より椎間板ヘルニアを患い、
整骨院に通って治療しながら騙しだまし仕事を続けていたのだが、
昨日は朝から座ることなく働き詰めだったのが祟ってか、
腰に猛烈な痛み走ったという。

心配になった僕はすぐさま電話をしたのだが、
受話器越しに聞こえる友人の声は明らかに痛くて辛そうな声だった。

かくいう僕も去年の9月末、
生まれてはじめて軽いギックリ腰というのを経験した。
木曜日の夜、自宅でヘンな動きをしたら腰に激痛が走ったのだ。
幸いにして歩けないほどの痛みではなかった。

子どものころから具合が悪いときは
「今夜寝れば明日の朝には治っている」と自己暗示をかけていた僕は、
このときも安静にしてグッスリ寝れば次の朝には痛みもとれているだろうと思い、
早々と寝た。
が、痛みは翌朝になっても全然和らいでなかった。
というよりも、その痛みは増していた。

次の日の金曜日、僕はヘロヘロになって当時勤めていた会社に向かった。
座っているときはまだなんとかなったのだが、一歩歩くごとに激痛が走った。
左手と左足を同時に出すようなヘンテコな歩き方をしている僕を見て、
会社の連中は口々に「タカハシさん、どうしたんですか
? 大丈夫ですか?」と声をかけてきた。
普段から若づくりをしていた僕は、
まさか軽いギックリ腰になったとは口が裂けてもいえず、
あいまいな笑みを浮かべながらうわ言のように「大丈夫、大丈夫」と繰り返した。

週末、痛みはますますひどくなり、
室内を移動するにも短い物干用のパイプを杖がわりにしてヨタヨタ歩くというザマだった。


月曜日になっても痛みはいっこうにおさまらず、
僕はその会社に入社してからはじめて欠勤をした。
それまで無遅刻・無欠勤はもちろんのこと、
どうしても外せない私用のため有給休暇を
1日とっただけで代休も取らず
朝早くから夜遅くまで働き続けていたというのに・・・。
欠勤することに対してそんな忸怩たる思いはあったが、
その反面で「いいや、いいや、休んじゃえ」という気持ちも強くあった。

前に勤めていた会社は9月決算なので、10月から新年度がはじまる。
新年度を迎えるにあたって、僕が腰をイワす数日前に新しい人事が発表された。
当時、僕はクリエイティブ・ディレクターとして制作のトップにいたのだが、
新人事では制作の現場を離れ、
新規事業の立ち上げを行うためのポジジョンが用意されていた。
肩書きはたしか企画室室長だったと思う。

僕は広告が好きで広告づくりにずっと携わってきた。
なのに、会社は僕をその業務から外し、
新しい事業の立ち上げ屋に僕を仕立てようとしたのだ。
新しい事業といっても社長たちには何のビジョンもなかった。
とにかく何でもいいから、
広告代理業以外で儲かるビジネススキームをつくってくれと要求されたというワケである。


サラリーマンである以上、会社の命令に従うのは当然なのだろうが、
僕はとうていこの人事を受け入れることができなかった。
僕は別にベンチャービジネスの企画屋ではない。
僕は広告屋なのだ。
クリエイティブ・ディレクターとしての仕事を剥奪されるぐらいなら、
こんな会社にいても仕方がないなと思った。

そんなことがあったので腰痛をおし、
無理してでも会社に行こうという気が起きなかったのである。

ちょうど月曜日に幹部会議があり、
その席上で新年度に向けての決意や抱負を書いたものを役員に提出することになっていた。
僕はそれをメールで送った。
企画室室長なんていっても、何をすればいいのかサッパリ分からないし、
やる気もありませーん、と正直に書いて送った。

結局、火曜日も僕は欠勤し、水曜日にようやく出社した。
痛みはまだ残っていたが、なんとか歩けるぐらいには快復していたので出社したのだ。

出社するなり、さっそく専務から呼び出された。
話の本題は僕がメールで送った新年度の抱負についてである。
僕は思いのたけを正直に話した。
専務は不服そうに「でもそういうことは文書ではなく、
タカハシさんの口から話してほしかった」といった。
文書で月曜日に出せといったのはどこのどいつだと思ったが、
それにはあえて触れなかった。
はじめて僕が、この会社を辞めることを具体的にイメージした瞬間だった。

僕が弟のようにかわいがっていたデザイナーも、
今年いっぱいでこの会社を退社する。
聞いたところによると、
いままでデザイン業務を外注していたとある会社が来年から内製化をはかることになり
その責任者として採用されたという。

彼の前途が明るいものになることを心から願う反面、
まだまだオメエなんかには負けねえんだよ、とも思う。
クリエイティブの世界においては先輩も後輩も関係ない。
あるのはクリエイターとして優れているか、優れてないかだけである。

1606年の今日、シェイクスピアの“リア王”が初演された。
シェイクスピアについては深く学んでいないので、
偉そうなことは何ひとつ語れないが、
それでもいくつかの作品のタイトルはアタマに浮かんでくる。
そういや三原じゅん子が以前、シェイクスピアの戯曲と同名の
『じゃじゃ馬ならし』というタイトルの歌を唄っていたことを憶えている。
メロディも歌詞の内容も忘れた。
憶えているのはタイトルだけである。

三原じゅん子は今年、2度目の離婚を経験した。
ポスト山口百恵といわれた彼女も、来年は
44歳である。
同世代の芸能人の年齢を見ると、妙に自分も
40代なんだよなと思う。
自分には永遠に来ることがないと思っていた
40代も来年は3年目。
だからといって別に老け込む必要はないし、ヘンに落ち着く必要もない。
僕は僕らしく毎日を過ごし、
結果として大過なくまた
1年を送れればいいなと思う。

今年、うまくいった人も、うまくいかなかった人も、
みんな元気に新しい年を迎えられるといいなと思う。


2007.12