MEN’S 5「とってもウマナミ


昨日、そして先週の日曜日と
2週連続して後楽園WINSに行ってきた。
いわずと知れた場外馬券売り場である。

昨日は皐月賞、その前は桜花賞ということで馳せ参じた次第なのだ。
が、目的は馬券ではない。
JRAのマスコットキャラクター、ターフィーくんに会いにいってきたのだ。

古今東西、競馬ファンは数多くいれど、
ターフィーくんに会う、ただそれだけのために
WINSまで足を運ぶヤツはそういまいて。

このターフィーくん、実は2代目である。
初代のターフィーくんは
1984年に行われたロス五輪のキャラクターである
イーグルサムなども手がけた元ディズニーのデザイナー、
ロバート・ムーア氏によるもので
1989年から2003年まで使用された。
なんて、知ったかぶりして書いているが、
僕は初代ターフィーくんの現役時代をまったく知らない。
ターフィーくんについて調べていたら、
初代ターフィーくんがいたということをはじめて知ったのだ。

しかし、この初代ターフィーくん・・・
僕の目にはどうにもイケてなく思えて仕方がない。
もちろん高名なデザイナーの方が手がけた作品に対し、
僕がとやかくいうのも気がひけるのだが、正直にいえばダサい。
まるで、
1996年から97年にかけて放映されていたテレビアニメ
“みどりのマキバオー”に出ていたヘンな顔をした脇役のウマのように思えたのだ。


僕は“みどりのマキバオー”を毎週は観てはいなかったのだが、
たまに観るとハナの穴が大きくふくらんだヘンなウマたちが出ていたものだ。
どうもその印象が強すぎて、初代ターフィーくんに対しても、
ついついそんなことを思ってしまったのだ。
ロバート・ムーア氏、悪く思わんでくれたまえ。

ところで“みどりのマキバオー”のエンディングテーマ
『とってもウマナミ』を唄っていたのが
MENS 5というグループである。
このグループの『ヘーコキましたね』という歌をラジオで聴いたときは、
あまりの衝撃に思わず仕事の手が止まってしまったことを憶えているが、
この『とってもウマナミ』も負けず劣らずのキョーレツな歌だった。

 ウマナミナノネー あなたとっても

 ウマナミナノネー わたしは虜

  (作詞・淡谷三治)

という唄い出しではじまるこの歌をはじめて聞いたときは、
子ども向けのアニメでこんな歌を使って大丈夫なのかと思ったものだが、
聴いているうちに「太い」「長い」「固い」「黒い」という
オトナからすれば別のウマナミなモノを想起させるようなキーワードを使いながら、
巧みにオチをズラした歌詞を構築している名作だと思うようになった。

ネットで初代ターフィーくんの顔を見たら、
どうにもこうにも“みどりのマキバオー”が懐かしくなり、
ついついニコニコ動画で探してしまった。
MENS 5の『とってもウマナミ』を本当に久しぶりに聴いたが、
名曲だなとあらためて思った。
初代ターフィーくん、そして
MENS 5の『とってもウマナミ』
・・・興味がある人はぜひチェックしてみてほしい。

そんな、ウマナミな(!?)初代ターフィーくんを引き継いだ2代目ターフィーくんは
2004年、JRAが発足50年を迎えるにあたり、
サンリオとの共同企画により新たにつくられたキャラクターである。


過去にもガチャピンやカータンについて、
この日記で熱く語ったことがあるが、僕はどうもこういうキャラクターには弱い。
いま僕は、すっかりターフィーくんに夢中なのだ、いい歳をして。

最初はネット上でさまざまなターフィーくんグッズを探し、
購入してはホクホク顔で喜んでいたのだが、
どうもそれだけではモノ足りなくなってきたのだ。
どうしてもターフィーくんに会いたい。
そこで思いついたのが、大きなレース開催日に後楽園の
WINSに行けば、
ターフィーくんに会えるのではないかということだった。

僕の狙いはピタリと的中し、まずは13日の日曜日、
桜花賞当日に出かけたところ、ターフィーくんがいた。
ということは、絶対に皐月賞当日もいるだろうと思って、
昨日もイソイソと出かけていった。

桜花賞のときは11時ぐらいにWINSに着いたところ、
すでにターフィーくんがいたので、
昨日もその時間を目処に出かけていった。
入口のところでは、桜花賞のときと同じように、
ガチャポンのおみくじサービスが行われていた。
大きなレースがあるときは先着何十名様かは知らないが、
ガチャポン形式のおみくじを無料でひかせてくれるのである。
大吉が出ると
JRAのグッズがもらえるというのだが、
僕にとってはそんなことはどうでもいい。
こちとら目的はターフィーくんに会う、ただそれだけなのだ。

桜花賞のときは、
このおみくじコーナーのところにターフィーくんがいた。
皐月賞当日の昨日も、同じようにおみくじサービスがあるということは、
ターフィーくんもいるに違いない。
よしよし、これで今日もターフィーくんに会えると
喜んで建物の奥へと入っていったのだが、ターフィーくんはいなかった。
そうこうしているうちに、
おみくじコーナーはあっという間に終わってしまった。
それでも諦めきれない僕は、そのうち出てくるだろうと思い、
桜花賞のときにターフィーくんがひと仕事終えたあとに入っていった
関係者通用口の前で張っていた。
やっていることはストーカーの一歩手前である。
馬券を買うでもなく、競馬新聞を持っているワケでもなく、
ただじっと同じ場所に立っている僕を、
すぐそばにいた係員の人は不思議そうな顔で何度も見ていた。

結局、20分ぐらい待ったのだがターフィーくんは現れなかった。

トホホな気分で帰ろうとしたとき、
1時からまたガチャポンのおみくじサービスが行われるということを小耳にはさんだ。
ひょっとしたらターフィーくんの今日の出番は
1時からかも知れない。
ならば、いったん帰るのも面倒なのでこのまま待とうと思い、
僕は向かいにあるゲームセンターで時間をつぶすことにした。

ここにはバッティングセンターやボウリング場などに加え、
キックターゲットのゲームがあるのである。
通常のサッカーボールよりワンサイズ小さい
4号級のボールを実際に蹴り、
10メートルぐらい先にある1番から9番までの的にボールを当てていくのだ。
見事ボールが当たると、その部分に点灯しているライトが消えていくという
実にリアルなゲームなのである。

一昨年の夏、僕は何度かこのゲームにトライした。
最高記録は
8枚だった。
どうしても
5番に当てることができなかったのだ。
5番は位置的にはど真ん中で、狙う分にはそれほど難しくはないのだが、
5番だけ的のまわりがフレームで囲まれていて、
ボールより少し大きめにくり抜かれた部分を通さないとはじかれてしまうのである。

恥骨炎という情けない名前の故障を抱え、
サッカーをしなくなってから早
5年近く。
サッカーに未練はないが、どうしてもあの
5番だけはクリアしてみたい。
その積年の悲願を、この機に達成してやろうと思ったのである。

3回プレーができる回数券を買って、
僕は意気揚々とネットで囲われたゲームマシンのなかに入っていった。
1ゲームで12球蹴ることができるのだが、
2回目の挑戦でも5番の的は頑なに僕が蹴ったボールを拒み続けた。
そうこうしているうちに、
ワンサイズ小さいとはいえ久しぶりにサッカーボールを蹴ったので
右足の太ももが痛くなってきた。
ふだん使ってない筋肉を使っている証拠である。
ならばと僕は、左足で
3回目にチャレンジすることにした。

僕は右ききなのだが、左足でもボールを自由にあやつれる。
過去にもチラリと書いたが中学生のときに、
左足でも右足と同じようにボールを蹴れるようになりたくて、
左手でゴハンを食べるようにしたところ、グングン上達したのだ。

何球か左足で蹴ってみたのだが、やはり5番の壁は厚かった。
むむ、やはり
5番を射抜くことは無理かと弱気になりかけたのだが、
まだいくつかボールを蹴るチャンスが残っていたので、
とりあえずムダであってもチャレンジだけはしてみようと思って、
ボールを蹴った。
ら、当たったのである。
あれほど、何度蹴っても通ることのなかった枠をかいくぐり、
ボールは見事に
5番の的に当たったのである。
僕は信じられない思いで、しばし目の前の的を見つめていた。
たしかに
5番のランプは消えていた。

これで、もう僕はこのキックターゲットに対し、
思い残すことはないと思った。
もう二度とここに来ることもあるまいと思った。
それはまるで、やるべきことはすべてやったといって
人気絶頂のなか
JAMを解散したポール・ウェラーのごとき心境だった。
と、書けばかっこういいが、なんてことはない。
もう一度、同じことをやってみろといわれてもできないだけである
()

そんなこんなで大満足な気分でゲームセンターをあとにし、
エレベーターで下に降りたところ、ターフィーくんがいたのだ。
さっそく僕は近寄って、一緒に写真を撮ってもらった。
悲願であった
5番の的を射抜き、そしてターフィーくんに会えた。
なんという人生の素晴らしい瞬間なのであろうか。


ちなみに昨日、ターフィーくんに会えたあと、
せっかくだからと皐月賞の馬券を買ってみた。
大好きなジョッキーであるフランスのオリビエ・ペリエがいないので、
馬の名前で選んで買ってみたのだが見事にかすりもしなかった。
まあ、外れたところで、
キックターゲットの
1回分である400円しか買ってないのだが()

次は54日、春の天皇賞である。
もちろんその日も後楽園
に向かう。
昨日の負けをとり返すためではない。
またターフィーくんに会いにいくのだ♪


2008.04