松井常松「あの頃僕らは」

ボウイといっても、デビッド・ボウイではない。
氷室京介・布袋寅泰・松井恒松・高橋まことの
4人組のほうのボウイである。

僕はボウイに関しては『ノー・ニューヨーク
』と
『わがままジュリエット』はよく聴いたが、
それ以上の思い入れは何もない。
解散すると聞いたときも、
解散コンサートのときも、まったくの他人事だった。

解散後、氷室京介はソロとなり、
布袋寅泰は吉川晃司とコンプレックスを結成し、
高橋まことはデラックスというバンドに加入した。
松井恒松に関しては、何の情報もなかった。

そんな松井恒松のソロアルバムがかなりいいと知ったのは、
例によって雑誌“ロッキング・オン”にてだ。
松井恒松といえば、いつも仏頂面をしている
ボウイのなかでも一番地味な人というイメージしかなかったので、
ソロデビューというのにまず驚いた。
評論を読んで大いに興味をもったのだが、
そのデビューアルバム“よろこびのうた”は結局買わなかった。

その後しばらくは松井恒松のことを忘れていたのだが
1993年の秋、NHK-BSで放映されていた音楽番組で
ソロアーティストとなった松井常松
(このころ松井恒松から“常松”へと改名したらしいのでこれ以降はそう表記する)
のパフォーマンスを初めて観た。

演奏されたのは『あの頃僕らは』という曲であった。

 あの頃僕らは抱えきれない夢の

退屈におびえて真夜中を走ってた

 あの頃僕らはわけもなく集まって

 わけもなく笑い わけもなく泣いていた

  (作詞・松井常松)

いわゆる青春回想ソングといっていい詞の内容ではあるが、
僕を夢中にさせたのは、そのサウンドのドライヴ感である。
さすがはベーシストがつくった曲だけにベースがビンビン鳴っており、
それがなんともカッコよかったのだ。

ボウイ時代から松井の「ダウンピッキング
8分弾き」と呼ばれる奏法は
彼の代名詞となっていたが、それにさらに磨きがかかり、
完全に自分独自のサウンドをつくり上げていた。

僕はそれを観て、いまさらながら
松井常松をもっと早くチェックしておくべきだったと後悔した。
そしてアルバム“あの頃僕らは”と“よろこびのうた”を購入した。

「あの頃僕らは」という言葉は、なんとも甘酸っぱい言葉である。

僕が観た番組のなかで松井常松本人も語っていたが、
この曲は高校生の頃を思い浮かべてつくったらしい。
僕も「あの頃僕らは」と聞いてまっさきに浮かんだのは、高校生の頃である。

大人ではないが、かといって子どもでもない。
夢や怒りをいっぱい抱えながら、まだ何者でもなかったあの頃。
楽しかったこともたくさんあったけど、
イヤなことやつらいこともいっぱいあったあの頃。
あの頃、一緒に遊んでいた仲間たちともここ数年会っていない。
みんなもう、いいオヤジなんだろうな。
早く結婚したヤツなんか子どもはもう成人式を迎えたはずだ。
あの頃から考えたら、なんか信じられないけど事実なのである。

僕が勤務する会社の経理を担当している女性は、
僕と同い年で来月誕生日を迎える。
彼女と接していると、
自分がまだ高校生でクラスメイトと話しているような気分になるときがある。

しかし、それは現実ではない。
我々はもはや高校生ではないのだ。
武田鉄矢率いる海援隊の歌ではないが、
思えば遠くまで、きたものである。

2007.02