槇原敬之「もう恋なんてしない」


4月の第2月曜日。
今日、お子さまが入園式や入学式を迎えるという方も多いと思う。
わが友・猫さんもその一人である。
猫さん、おめでとう。
ハルくん、がんばれ!
これからワイルドサイドをいっぱい歩いて、
カッコいいオトコになれよー
!!

と、個人的なエールはこれぐらいにして。

1992年の4月にスタートした“子供が寝たあとで”は、
幼稚園の入園式の前日に、
憶えのない女性から突然「あなたの子よ」といって
男の子を預けられた独身の童話作家に柴田恭兵、
「区役所に行ってきます」と書き残したまま
娘を置いて妻に家出されたホテルマンに三浦洋一、
最愛の妻に先立たれ男手ひとつで
娘を育てているバーテンダーに風間トオルが扮し、
ひょんなことから縁もゆかりもない男
3人が、
ひとつ屋根の下で子どもたちと共同生活を送るという
コメディタッチのドラマであった。

僕はこのドラマの初回をたまたま観たところ、
あまりに面白いので毎週楽しみに観てしまった。
それどころか、再放送をビデオに撮ってまで熱心に見た
“子供が寝たあとで”フリークなのである。

柴田恭兵は1978年に放映された“大追跡”以来、
三浦洋一は
1980年に放映された“池中玄太80キロ”以来、
風間トオルは“メンズノンノ”のモデル以来、
それぞれに好きな俳優
(タレント)であったが、
3人ともこの“子供が寝たあとで”での演技がベストアクトだったと思う。

“子供が寝たあとで”の主題歌
『もう恋なんてしない』を唄っていたのが槇原敬之である。
この歌、フラれた彼女に対し、
強がって「もう恋なんてしないなんて いわないよ絶対」
(作詞・槇原敬之)
という思いを込めたものだが、
「もう恋なんてしない」と思った経験は、実は僕もあったりする。

ところが人間弱いもので、また誰かを好きになる。

僕の大好きな寺山修司は
「人生
70年のうち恋人になり得る期間というのは、
大雑把にいうとわずか
10年程度しか許されていない。
愛は人生のうち、一切禁じられる期間はないのですが、
恋の有資格はたった
10年足らずなのです」と書いていたが、
いかに大好きな寺山といえどこれには異論がある。

僕が思うに、恋なんていくつになってもできるし、
実際いくつになってもすればいいのだ。
その恋が実って、愛に発展するか否かはその人次第。
運と実力の世界である。

暴論かも知れないが、人を好きになることの前では
結婚していようがしていまいが、そんなことは関係ない。

俳優の石田純一が「不倫は文化だ」と発言したとされているが、
それは正しくはない。
たまたまそのときのインタビューを見ていたのだが、
彼はゴルフのプレー中にまでしつこく付きまとう芸能レポーターの
「不倫は許されないことですよね」という発言に対し、
「許されないことなんですか
!?
そういう忍ぶ恋があったっていいじゃないですか。
そういう中から生まれた文学作品などの文化もある」
というような趣旨の発言をしたように憶えている。

実際、世界に誇る日本文学の最高峰
“源氏物語”だってそうである。

以来、現代にいたるまで、
いわゆる不倫を題材にした小説や映画、ドラマなど
星の数ほどあろうってなもんだ。

だから僕は、石田純一の考えには賛同する。
だいたい人を好きになるのに、倫理もへったくれもないのだ。

ただストーカー的な恋はよくない。
それはもう犯罪の領域だからだ。

基本的に僕は恋というのは自由競争だと思っている。
弱肉強食の世界なのだ。
その競争に負けて愛しい人を誰かに奪われたくなければ、
愛する人が他の異性に目もくれないような人間になるしかない。
それは一生懸命に愛することかもしれないし、
誰にも負けない魅力を身につけることかもしれない。

でも、きっとそんなオトコだったら、
他の女性から見ても魅力的に映るのだろうなと思う。
しかし、どんなに素敵な女性が言い寄ってきても、
そんな誘惑にはいっさい目もくれず、
自分の愛しい人だけを愛し続けるオトコ。
うーん、実にカッコいい。
カッコよすぎるぞ
!!

ハルくんをはじめ、
この春幼稚園に入園した男の子たちも、
これからいっぱい恋をするだろう。
そう、いっぱい恋をすればいいのだ。
いっぱい恋をして、
喜んだり悲しんだり苦しんだりしながら、
カッコいいオトコになっていけばいいのだ。

ガンバレ新入園児。
キミたちの未来は、楽しいことがいっぱい待ってるぞ♪


2007.04