マドンナ「マテリアル・ガール」


マドンナの初期のヒット曲に『マテリアル・ガール』がある。
物欲主義にまみれた「お金がすべてよ」という女性を唄った歌で、
いかにも
1880年代半ばの空気を感じさせる曲である。

たまたま先日、テレビを観ていたところ、
このプロモがフルコーラスで放映されていた。
僕はこのプロモをたぶんリアルタイムで観ているはずなのだが、
内容を忘れてしまっていた。

プロモのなかでは、マドンナ演じるところの物欲主義の女性に向かって、
まわりにいる男性たちはプレゼントをはじめ、
さまざまなチヤホヤ攻勢に出るのだが、
ラストでマドンナを落としたのは、
テレビ局のプロデューサーらしきおっさんであった。

しかも口説きに使ったのは、
そのへんから持っていたと思われる花。
花束ではなく、むき出しの花なのだ。
そして、オンボロのトラックに乗せてマドンナを連れて行く。

僕はこのプロモのおやじを心からカッコいいと思った。
まさに素の自分で勝負しまっせ、というところがいい。
カッコつけないカッコよさがあると思ったのだ。

最近、早川義夫さんにまつわる話題が多くて恐縮なのだが、
早川さんがジャックス解散後、
1969年に発表したソロアルバムのタイトルが
“かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう”である。

たしかにカッコつけることは、カッコ悪いなと僕も思う。
しかし、そう思えるようになったのは、
僕がだいぶ年齢を重ねてからである。

街を歩いていると
「こいつ精一杯カッコつけてんな」と思う男性を見かけることがあるが、
僕だって昔はそんな風に見られていたかもしれない。
僕が
10代の後半から20代の前半を過ごした1980年代は、
まさにマテリアルワールドだった。
多くの人々が競って一着何万円もする
DCブランドの洋服を買い込み、
その没個性な個性を競い合っていた。
無論、僕もそのなかの1人であった。
そして目一杯着飾って、街を闊歩していたものだ。

食にも骨董品にも飲み歩きにも興味がない僕は、
いまもどちらかといえば着道楽でる。
しかし、そのベクトルは、
10代・20代の頃のそれとはかなり異なる。

いまの僕の洋服選びの基準は、
ずばり「いかに相手の度肝を抜くか」である(笑)

「ちょい不良オヤジ」を目指していま、
雑誌で見たまんまのコーディネートでキメている
40代・50代が多い。
しかし、僕にはどうも没個性に見えてしょうがない。
まるで昔の
DCブランドブームの頃の僕らのように思えてしょうがないのだ。
もちろん本人がそれでカッコいいと思っているのだから、
僕がとやかくいうことではない。

先日も書いたように
僕は「ちょい不良」なんかに興味はない。
目指すなら、ホンモノのワルである。
どっかからひょいと持ってきた花で口説いてしまうようなオヤジである。

「口説けるちょい不良プレゼント術」なんて雑誌の特集には目もくれず、
自分の感性と言葉で勝負できるような
40代・50代を目指したいものだと、
マドンナの『マテリアル・ガール』のプロモを見ながら、あらためて思った。

2007.07