くるり「ワンダーフォーゲル」

一昨日の113日はエンケンこと
遠藤賢司の誕生日であった。
エンケンも
60歳・還暦なのである。
エンケンを見ていると、
60歳なんてまだまだ老け込む年じゃないなとつくづく思わされる。

エンケンはバンド演奏をする場合、
元頭脳警察のトシ
(Dr)
元子供バンドの湯川トーベン
(B)とともに活動しているのだが、
昨年の
11月に行われた法政大学でのライブでは
ベースに曽我部恵一バンドの大塚謙一郎、
そしてドラムに元くるりの森信行という編成で演奏した。

くるりといえば、
『ワンダーフォーゲル』という曲が大好きである。
ラジオから流れていたのを聴いて好きになったのだが、
あらためてこの曲は何年前の曲だっただろうと思い調べてみたら、
20001018日発売であった。

あれからもう
6年半も経つのかと思うと、
つくづく時の流れは早いなと思わされる。
この調子では、僕の還暦なんていうのも、
そう遠い将来のことではないように思えてしまう。

『ワンダーフォーゲル』は、
男女のすれ違い→別れを歌った曲である。
「ハローもグッバイもサンキューもいわなくなって
 こんなにもすれ違ってそれぞれに歩いてゆく」(作詞・岸田繁)
というサビの部分の歌詞が特に印象的だ。

僕はよく職場で「ホスピタリティ」という言葉を口にする。
広告屋たるもの相手に対するおもてなしの心を持たなくては、
絶対にいい仕事はできないからだ。
しかし、残念なことに、それを実践できている社員は少ない。

僕は下請けという言葉が大嫌いである。
仕事には上も下もない。
仕事とはひとつの輪だと思う。
上下軸の直線で仕事をするのではなく円で仕事をしなければ、
すべてのスタッフが共通意識をもって取り組むことができないのではないかと考えるのだ。

だから僕はクライアントにも、
たとえばイラストレーターやカメラマン、
印刷会社の人たちといった外部スタッフにも同じ態度で接している。
そして、常にある種の距離感をおいて仕事をしている。
そうじゃないと、甘えが生じてしまうような気がするからだ。

僕が勤務している会社は、まだ設立6年目の若い会社である。
専務を除き、年齢も僕より下の人間ばかりである。
そういう若い人間が、陥りやすい罠がある。
仕事を発注する側に立つと、
ついつい自分が偉い人間になったかのような錯覚をおぼえてしまうのだ。

その一方ではクライアントに媚びることだけをおぼえ、
一人前になった気分でいる。
僕は、そういう人間をたくさん見てきた。
そういう人の最終形は
「仕事もできないクセに偉そうなヤツ」という評価になってしまう。

「この人のためなら多少の無理もしてやるか」などとは
絶対に思ってもらえない。
それは、不幸なことである。

基本的に広告屋というのは、
商品と消費者を結びつけるための口説き代行業だと思う。
どうすればこの商品を消費者は好きになってくれるか?
そのために広告屋はさまざまな策を練るのだ。

図式としては好きな女の子に、
どうしたら自分とつき合ってくれるかを考えるのとなんら変わりない。
つき合ってほしいと思ったら、
ありとあらゆるおもてなし方法を考えると思う。
そして、ずっとそばにいてほしいと思ったら、
その後も真心こめたおもてなしをするはずだ。
そういう不断の心遣いがなければ、
人の気持ちなどとらえ続けられない。

『ワンダーフォーゲル』に歌われている世界は、
その心遣いがなくなったばかりに離れていってしまう男女の世界である。
「ハロー」「グッバイ」「サンキュー」
どれも人間関係の根幹をなす大切な言葉である。
それすら素直にいえなくなったとしたら、
たしかにもうおしまいだと思う。

今日からまた新しい1週間が始まる。
今週もホスピタリティを説き続けるとともに、
自らもしっかりと実践しよう。
そうすれば、結果はおのずとついてくるはずだ。


2007.01