小柴大造&エレファント「テル・ミー」


先週の土曜日、立教大学に行ってきた。
「未来の声を聴こう」というシンポジウムに参加してきたのである。
このシンポジウムには
3年連続して参加させていただいている。
一昨年の講師はは立花隆氏、昨年は姜尚中氏と香山リカ氏、
そして今年は茂木健一郎氏であった。

司会者に紹介されて茂木健一郎氏が壇上に登場したとき、
僕はある違和感を覚えた。
スボンの裾が異様に短いのである。
僕は最初ワザとこういうズボンをはいているのかなと思ったのだが、
実はそうでなかった。

茂木氏は先週の木曜日、
ワシントンでの学会を終えて帰国したという。
そして帰国後、
ズボンを洗濯したら見事に丈が縮んでしまったという。
茂木氏のそのあまりにもな仰天話に、
会場から大爆笑がまき起こったことはいうまでもない。

このズボンの話をマクラに茂木氏は
シンポジウムのタイトルである未来について
「まさかズボンが縮むとは予測できないように、
未来もまた予測できない」と語った。
立花隆氏も
2年前、同じように語っていたことを憶えている。

ビートルズやミスターチルドレンの歌ではないが
「トゥモローなんて、ネバーノウズざますよ」なのである。


予測できない未来を抱えながら現代を生きている我々について
茂木氏は「現代における覚悟」として
「楽観主義」ということをキーワードに挙げていた。
さらに別の言葉として「根拠なき自信」ということを語っていた。

脳科学者である茂木氏にいわせれば、
脳の指令塔である前葉頭は楽観主義のほうがよく働くのだという。

自慢じゃないが僕はノーテンキな楽観主義野郎である。
根拠なき自信だけで生きているような人間である。
僕はこの時点で早くも「いいこというぜ、茂木健一郎♪」と
ホクホク顔で壇上の茂木氏を見ていたことはいうまでもない。

さらに茂木氏は「人生は不確実性が避けられない」という話をした。
たしかにそうである。
人生は不確実性の連続だ。
思ってもみなかったことがある日突然やってくることは、
僕自身のささやかな人生をふり返るまでもない。


人生における不確実性といってもいろいろある。
それは恋かもしれないし、病気やケガかもしれない。
宝くじに当たるかもしれないし、
サイフを落としてしまうことかもしれない。
そんな悲喜こもごもの不確実性に対し、茂木氏は
「それを楽しみに思えるか否かが人生の分かれ目だと思う」と話していた。
そして「どうなるかわからない状態を楽しめることこそが
自分の原動力である」と話していた。

茂木氏は一昨年よりNHK
“プロフェッショナル 仕事の流儀”というテレビ番組でキャスターをされているが、
このオファーが来たときも茂木氏は即座に引き受けることを決めたという。
茂木氏はこの番組のなかで取り上げた某ビール会社の人の話に触れ
「コンビニなどでビールを買うとき、
人々は
2秒以内にどの銘柄にするかを決めている」ということを語っていた。
ビールメーカーの人たちが
何か月もヘタしたら何年もかけて新商品を開発しているというのに、
消費者はわずか
2秒で決断してしまっているのだ。
あれこれ迷ったり、ああだこうだと考え込まないのである。

これに対し茂木氏は
「熟考というのは未来がわかっていることを前提にしているワケだから、
そんなことをしても意味がない」といって
話題をビール選びから人生論へと昇華させた。

茂木氏の話はさらに続いた。

前述の「根拠のない自信」についてだが、
これを自分のなかにもつためには「安全基地
=Secure base」が必要であるという。
茂木氏曰く「安全基地」とは子どもが発達していく上でとても重要な概念で、
わかりやすくいえば「親が子どもをいつも見守り助ける」ことだという。
親にいつも見守られているという安心感があるからこそ、
子どもは自我の発達の過程で安心して世の中を探検し、
学ぶことができるというのだ。

逆に、この「安全基地」をもたないとどうなるか?
これはあくまで統計的でしかないが、
問題行動を起こす子どもは「安全基地」をもたずに育った場合が多いという。

この話を聞いた夜、
一連の元厚生労働事務次官にまつわる事件で自首してきた男が、
子どものころかわいがっていた犬を
父親によって保健所に引き渡されたことが動機と供述していることをニュースで知り、
なんとなく複雑な思いにかられた。
もちろん動機が供述どおりとは一概にいえないと思うし、
やったことはまったくもって理解しがたいことではあるが、
自首してきた男にとってこの経験は
その後の人生に大きな影を落としたのではないかと思えたのだ。

以前にもチラリと書いたことがあるが、
僕もかわいがっていた猫を父親が激しく手で払いのけた際、
猛烈に抗議をしたところ逆上され、
激高した父親に思いっきり殴られたうえに
「ぶっ殺すぞ」といわれたことがある。
僕が中学
3年生の春のことだった。

僕はこの日のことをたぶん一生忘れないと思う。

この日の夜、僕はあるテレビ番組を朝から楽しみにしていた。
長門裕之さんと南田洋子さんが司会をしていたミュージック・フェアに
ツイスト、もんた
&ブラザーズとともにシーナ&ロケット、
小柴大造
&エレファントが出演することになっていたのだ。

このときすでにツイストは大スターで、
もんた
&ブラザーズは『ダンシング・オールナイト』が大ヒットしていた。
なのでツイストやもんた
&ブラザーズはテレビでいくらでも観ることができたが、
シーナ
&ロケットと小柴大造&エレファントはそうではなかった。
いまのようにロックバンドを頻繁にテレビで観られる時代ではなかったのである。

小柴大造&エレファントは198055日、
シングル
5枚を同時リリースという過去に例のないスタイルで
衝撃的なデビューを飾った。
そのなかの
1枚『テル・ミー』がヒットしかけていて、
僕もいい曲だなと思っていた。
他の男性にチヤホヤされ、うつつを抜かしているガールフレンドに対し
Tell me,Tell me your mind これが最後さ Last chance,Tell me
  (
) おまえのホントの気持ちをTell me(作詞:小柴大造)という内容の歌であった。


まさに人生の不確実性を唄った歌である。

結局、僕はこの夜、
小柴大造
&エレファントを祖父母の部屋で観ることができた。
当時の我が家には、茶の間と祖父母の部屋にしかテレビはなかったのである。

楽しみにしていたテレビを観ることは観られたが、
全然楽しくなかった。

次の日、殴られた左のアゴは少し腫れていて、
口を動かすと痛かった。

こんなイヤな想い出もあるが、
もちろんイヤな想い出ばかりが過去ではない。
楽しい経験もいっぱいしてきたからこそ、
僕はこうしてノーテンキに生きていられる。

話を茂木氏の講演に戻すと、
茂木氏は「原理・原則が自分のなかにあれば柔軟になれる」ともいっていた。
それはちょうどパスタのアルデンテのようなもので
原理・原則という芯があるから表面はやわらかくていいのだが、
逆に芯がフニャフニャだと表面を固く、
つまり柔軟性のないカラに閉じこもった考え方になってしまうというようなことをいっていた。

さらにこの原理・原則の話を発展させ、
茂木氏は「偶有性」というキーワードを挙げていた。
「偶有性」とは確実なものと不確実なものが交じっている状態をいうらしく、
それがバランス良く交じっていることが人生において重要らしい。
原理・原則という確実なものと、
柔軟性という不確実なものを指しているのだろう。
そして、もちろん「偶有性」のパイが大きければ大きいほど
人生は楽しくなるに違いない。

この「偶有性」は、
自分の過去のなかからそれを見つけ出すことができると茂木氏は語っていた。
「過去は育てられる」と語っていた。
そして「過去を見つめれば、どんな人の人生にも偶有性はある」と語っていた。

また「負けることで自分自身の芯が見えてくる」とも語っていた。

人生の常勝将軍を目指している僕ではあるが、
過去には何度も手痛い敗北を喫している。
三角関数でつまずき、受験競争では早々に一敗地にまみれた。
おまけに、これは自分が悪いのだが、中退野郎なので
公的な学歴は高卒ということになる。
が、僕はそれを人生のハンディとは思っていない。
知恵と知識面で僕は大学出の人たちに負けているとは思えないのだ。
これは負け惜しみでもなんでもない。本当にそう思っている。

勉強なんて、しようと思ったらいくつになってもできるのである。

事実、茂木氏もいまは著名な学者の論文もいくらだってネット上で公開されているし、
講義だって動画サイトでいくらでも見ることができるといっていた。
学習環境面ではもはや学生であるか否かなどは大したことではなくなっているのである。
もし、学ぶということで大きな違いがあるとすれば、
それは○○大学の学生かそうじゃないかの違いである。

そんな時代に生きているにもかかわらず多くの子どもたちが、
親の意向で自らの「偶有性」のパイを広げるような経験を重ねることもままならず、
読みたいマンガや聴きたい音楽、観たいコンサートやお芝居などをガマンして
○○有名校に入るただそれだけのために日々勉強させられているとしたら、
それは余計なことではあるが、やはりかわいそうだなと思う。


勉強は
40過ぎてもできるのだ。
でも
40過ぎて、10代のころと同じ感性で経験を積むことはできない。

子どもの受験に躍起になっているお母さんたちはそのことを知っているのだろうか?
余計なことついでに「脳は強制されても動かない仕組みになっている」という
茂木氏の言葉をつけ加えておこう。

ということで、実に実りある1日入学であった。

この週末は、土曜日に立教大学に行っただけではなく、
日曜日は日曜日で我らが東京ヤクルトスワローズのファン感謝デーのために
神宮球場に遊びに行っていた。

今朝までに片づけなければならない仕事が3つあったにもかかわらず
土・日はまったく働かなかったのである。
が、僕に不安はなかった。
「大丈夫、大丈夫、オレは天才だから」という超楽観主義と
根拠なき自信のなせるワザである。

しかし、時間は限られていて仕事は待っていてはくれない。

昨日、僕は朝の4時半から仕事をするハメになった()
そして昨夜は10時過ぎに、崩れ落ちるように寝た。


2008.11