近藤久美子「小さな抵抗」


この週末は、美しく光り輝く女性たちを目の当たりにしてきた。
とはいえ、別に合コンに誘われたとか、
夜の繁華街で酒池肉林のひとときを過ごしたとかというウッシッシなハナシではない。


シンポジウムに行ってきたのだ。

まず金曜日の夜。
今月
16日に行われる東京国際女子マラソンの記念シンポジウムに参加させてもらった。
シンポジウムはまず、
1991年の第13回大会で優勝した谷川真理さんによる基調講演ではじまった。
「市民ランナーからトップアスリートへ」と題された
25分ぐらいの短い講演だったのだが、
谷川さんのチャキチャキしたトークに会場は爆笑の渦に包まれた。

谷川さんはご存知の方も多いと思うが、
OL時代に市民ランナーとして皇居のまわりを走りはじめたことがキッカケで
マラソン選手となった。
学生時代に陸上はやっていたものの、その後競技者の道へは進まず、
一般企業の
OL生活を経て世界のトップレベルの選手になったという
異色の経歴の持ち主である。
講演のなかで谷川さんは学生時代をふり返り
「あのころは陸上をやらされていたという感じだった」と語っていた。

勤めていた会社が皇居近くだったことから、
お昼休みに皇居のまわりを走っている人たちを見ているうちに
自分も走りたくなった谷川さんはさっそくその思いを実行に移し、
都民マラソン大会で優勝するまでになる。
この大会の優勝者はシドニーの大会に派遣されることが決まっており、
谷川さんは「ただただシドニーに行ってみたい」という一心で大会に臨み、
そして見事その座を勝ち取ったという。

僕はこの話を聞きながら、あらためてモチベーションについて考えた。
「陸上をやらされていた」という学生時代の谷川さんも、
「シドニーに行ってみたい。だから優勝したい」という市民ランナー時代の谷川さんも
同一人物なのだ。
講演のなかで谷川さんは座右の銘として
「忍耐は苦しい けれどもその実は甘い」という言葉を紹介していた。
都民マラソン大会の優勝を目指して練習していたとき、
たまたま自宅近くの神社に掲げられていたこの言葉を見て、
なんていまの自分にピッタリな言葉なんだろうとインスパイアされたのだという。

理屈ではわかっていても、それをやり遂げられる人は決して多くはない。
谷川さんのお話に、思わず僕は「キミはどうかな
?」と自問自答してしまった。

谷川さんには過去に2度ほどお会いしている。

ピンクリボン運動の一環として、
たしか
67年前に立川にある昭和記念公園で行われたイベントにゲストでいらしたのだ。
このとき僕はイベントの一環として開催された
5キロマラソンに参加した。
5キロを20分ぐらいで走ろうと思ったのだが、
公園内のコースはかなりアップダウンがキツく
23分台という記録だった。
このレース終了後に、谷川さんと少しだけお話しすることができた。
「今日はどうでしたか
?」とにこやかに微笑む谷川さんに僕は
「いやぁ、キツかったっす」と情けない声をあげながら、
タイムが記載された完走証にサインをしてもらった。

その前にお会いしたのが、いまから10年前のことである。
東京国際女子マラソンの
20回大会記念のシンポジウムのゲストでいらしたのだ。
このときは増田明美さんの基調講演に続き、
谷川さんや第
1回・2回大会の優勝者のジョイス・スミスさん、
日本人としてはじめてこの大会に優勝した佐々木七恵さん
(:永田さん)らによる
パネルディスカッションが行われた。

現役時代の佐々木七恵さんに対し、
僕はまるで武士のようなイメージを抱いていた。
当時、同じ
S&B食品に在籍していた瀬古利彦さんに通ずる
ストイックで寡黙な人というイメージを勝手に抱いていたのだ。
が、実際の佐々木さんは、
いまではマラソンの解説をしながら小ネタを連発している瀬古さん同様に、
明るくほがらかな方であった。

その佐々木さんも、今回のシンポジウムに参加された。
谷川さんの基調講演のあと、増田明美さんを進行役として、
佐々木さん、谷川さん、俳人の黛まどかさん、
そして第
17大会と第20回の優勝者である浅利純子さんらによる
トークセッションが行われたのだ。

当初、予定されていたメンバーはこの5人だったのだが、
ステージ上にはもう
1つ席が用意されていた。
すでに新聞でも報道されているので、もったいつけずに書けば
先日引退を表明した高橋尚子さんがサプライズゲストとして参加したしたのだ。

トークセッションは増田明美さんが冒頭で
「今日は居酒屋のノリで進めていきたいと思います」と話したように、
ぶっちゃけトーク連発の楽しい内容であった。
そんななかでとても印象的に残ったのは、かしましい面々
(!?)のなかで、
1人おとなしそうな雰囲気を醸し出していた浅利純子さんのお話である。

浅利さんが東京国際女子マラソンで初優勝した1995年の第17回大会でのこと。
浅利さんは
38キロ付近の市ヶ谷の坂で転倒し、肘と膝をすりむいた。
残り
4キロでの予期せぬアクシデント。
凡人である僕なんかは、ここでメゲても仕方がないとついつい思ってしまう。
しかし、浅利さんはこの後も力走を続け、
なんとゴール
200メートル手前で逆転し、優勝した。
このとき浅利さんの胸にあったのは
「アトランタオリンピックに出たい」という一心だったという。

谷川さんにしても浅利さんにしても、
やはり何かをなし遂げる人の意志の強さは違う。

なんて、他人事のようにいっている場合ではない。
あらためて僕もしっかりやらねばと思いつつ、会場をあとにした。

翌日の土曜日、今度は有楽町の朝日ホールで行われた
“第
29回 朝日健康ゼミナール”に出かけてきた。
「楽しい生活は健康から 〜自分で管理する健康づくり〜」と題されたシンポジウムのトークゲストは、
相本久美子さんだった。

僕が生まれてはじめて間近で会った芸能人が、
なにを隠そう相本久美子さんなのである。

僕が小学
6年生のころ、
相本さんは某時計メーカーの
CMに出演されていた。
で、キャンペーンの一環として
近所の時計屋さんに相本さんがいらっしゃったのだ。
僕は友だちと
2人でさっそく出かけ、一緒に写真を撮ってもらった。
間近で見た相本さんは、
小学生のタカハシ少年から見てもそれはそれは素敵な女性だった。

そんな想い出があることから、
僕はずっと相本久美子さんの隠れファンであり続けた。

余談になるが、
僕は秘かに元シェイプ
UPガールズの中島史恵さんの隠れファンでもある。
生の中島さんには
1度だけお会いしたことがある。
5年前の奇しくも118日土曜日のことであった。
そのことに気がついたのは、帰りの電車のなかだった。
僕はこの奇妙な偶然に驚かずにはいられなかった。
なぜなら僕が中島史恵さんの隠れファンになった理由というのが、
どことなく相本久美子さんに似ていたからなのである。

118日土曜日。
偶然にしては神さまも粋なはからいをしてくれたものだと、
僕は電車のなかでニヤリとした。

と、それはさておき、
30年ぶりに生で見た相本さんは相変わらず素敵な女性だった。
相本さんは
1958年の527日生まれなので、50歳である。
アイドル歌手として近藤久美子の名で『小さな抵抗』でデビューしたのが
1974年。
その後、人気テレビ番組“
TVジョッキー”の司会や
“びったしカンカン”“霊感ヤマカン第六感”といったクイズ番組の解答者などを経て、
いまでは女優としても活躍されている。
その一方で、
20歳の娘さんの母親でもある。
土曜日に聞いた話によると、相本さんは現在、
娘さんとお母さんと
3人暮らしをされているそうだ。

女優として母として娘として、
忙しい毎日のなかにあって相本さんは多趣味で知られている。
最近ではホットヨガに凝ってらっしゃるということだった。

趣味について相本さんは
「興味をもったら
3か月間のカルチャースクールでも無料体験でもなんでもいいから、
まずやってみることが大切なのでは」とおっしゃられていた。
たとえばお茶にしても、たとえ少しだけでもかじることによって、
本格的にはできないにしても基本作法ぐらいはできるようになる、
というスタンスで取り組めばいいと思うということを話されていた。

谷川真理さんのように皇居のまわりを走り出すにせよ、
相本さんのように次から次へと新しい趣味にチャレンジするにせよ、
共通しているところははじめることに対して気負いがないことである。

誰かが走っている。気持ち良さそう。
じゃあ、私も走ってみよう。

こんな無料体験がある。なんとなくおもしろそう。
じゃあ、私もやってみよう。

実に軽やかで、しなやかである。
こういう発想に、
人生をより楽しく彩るためのヒントが隠されているような気がした。

相本さんのトークのテーマは
「いつまでも美しく健康に」というテーマであった。
このテーマにのっとり、できれば相本さんに聞いてみたいことがあった。
それは「若いころに比べて、女性としての美に対して考え方が変わってきましたか。
もし、変わったのであれば、それはどういった点においてですか」ということである。

このシンポジウムでは、
ゲストの方に聞いてみたいことがあったら
質問をお書きくださいということが事前に案内されていた。
僕はこれ幸いとばかりに、その質問を書いて提出した。
ら、採用され、ステージ上で僕の質問が読み上げられた。
僕はちょっぴり恥ずかしくなりつつも、
この幸運に感謝しながら相本さんの回答を待った。

相本さんの回答を要約すれば、
女性としての美に対して「若いころに戻りたいとか、戻ろうとは考えず、
いまを維持しようというように考えている」ということだった。

5歳若返ろうではなく、いまを維持しよう。
素敵に年齢を重ねている相本さんらしい答えだなと、僕は思った。


2008.11