北島三郎「祭」

退職して10日が経過し、あらためて思うことは、
やらなければいけない雑事が多いということ。
昨日は、社会保険の任意継続の手続きのため、
千石にある文京区の社会保険事務所へ行ってきた。

千石駅へは最寄りの春日駅から都営三田線で
2駅なのだが、
春日駅まで
10分歩くことを考えると、
自宅前のバス停からバスに乗って行った方が近いのではと考え、バスに乗った。

春日通りと不忍通りが交差する手前の大塚三丁目でバスを降り、
まさに真夏のような炎天下のなか、
不忍通りをホテホテと歩いて目的地へと向かった。

が、歩けど歩けどないのである。
社会保険事務所が
!!

おっちょこちょいで、すっとこどっこいの僕である。
これはひょっとして地図を見間違えたかと不安になったそのとき、
目指す社会保険事務所が見えた。

手続きを終え、今度は文京区役所へ国民年金の手続きへ。

またバス停まで戻るのもしゃくだし、地下鉄に乗っても
2駅だ。
どうせ暑い思いをしてここまできたのだから、
トコトン暑い思いをしてやろうと、僕は歩いて文京区役所へ向かった。

時に午後2時半。
真夏のような暑さはピークに達していた。
そんななかをわざわざ歩いて行く。
僕はチャレンジャーなのである
()

で、今日も暑い。
朝から暑くて僕は
5時過ぎに目がさめてしまった。
しばらく横になりながらゴロゴロしていたのだが
「ええい
!辛抱たまらん!!」と起きた。

起きてさっそく朝刊を読んでいたら、
来年の浅草三社祭の宮出しが中止という記事が載っていた。

そもそもの発端は、
昨年の三社祭において御神輿の上に
大勢の人が乗ったため担ぎ棒が折れる事故があった。
それを受けて祭を主催する浅草神社は
今年の三社祭に際し
御神輿に乗るのは祀られている神霊を穢す行為として、
もし今年も御神輿に誰かが乗った場合は、
来年の宮出しを中止する旨を通達していたのだが、
残念なことにその通達が守られなかったことにある。

朝日新聞の記事によると昨日、
各町の代表者でつくる奉賛会は対応を協議し、
通達通り来年の宮出しを中止することにしたという。
記事には「多くの観光客が集まるイベント中止の影響や、
イメージダウンを心配する声も上がり、悩みに悩んだ。
しかし地元の人たちの祭を取り戻すには今しかないと決断した」
という奉賛会の永野章一郎副会長のコメントも紹介されていた。

三社祭はいつしか地元以外の人たちも
御神輿を担げるイベントになっていた。
僕が以前住んでいた日野市の祭を司る会長も
三社祭には御神輿を担ぎに行くと語っていた。

むやみに他の地域の人を排除するのはどうかとは思うが、
三社祭といえばやはり僕は浅草の人たちの祭であってほしいと思う。
そして僕ら、地元以外の人たちは、
それを見て浅草の人たちの心意気を感じ取ればいいと思うのだ。

だから、永野副会長の
「地元の人たちの祭を取り戻すには今しかないと決断した」という考えには
心から敬意を表するとともに賛同する。

なんか、いろいろなことがなあなあで通ってしまうこの世の中において、
今回の三社祭宮出し中止の決定は
「ならぬものはならぬものです」という会津武士道に通じる
芯の通ったものを感じさせられた。

『祭』といえば、
「親父」こと北島三郎の代表曲のひとつであるが、
北島三郎の自宅というか大邸宅がある八王子市の大きな祭は
毎年
8月の頭に行われている。

いまから
7年前、
ちょうど八王子の祭が行われていた土曜日の夜、
僕はあることから土下座をさせられるという屈辱を体験した。

この体験は、いま想い出しても腹が立つし、
本当に悔しさがこみ上げてくる。

しかし、この経験を通じて、
そんじょそこらのことでは動じないぜという肝が据わったのも事実。
人生において二度
と土下座なんかしたくはないが、
いざとなったら僕はそのぐらいのことはできるという勇気と自信を胸に、
これからも自分の信念は貫いて生きていこうとあらためて思った今日である。


2007.07