キッス「ハード・ラック・ウーマン」
僕は、ほぼ毎日夢を見る。
エクスタシーを覚えるような幸せな夢もあれば、
「あ〜夢でよかった」と思える悪夢もある。
そんな悪夢のなかで
生涯ベスト10には確実にランクインするであろうものが、
僕がKISSのギタリスト、
エース・フレーリーとなってステージに上がった夢だ。
コンサートのオープニング。
曲はいつものように『デトロイト・ロックシティ』である。
ジーン・シモンズのベースのリフが会場に鳴り響き、幕が上がった。
エース・フレーリーの僕は、ギターをかき鳴らそうとした。
が、僕はKISSの曲なんか演奏できない。
猛烈にあせった。
どうしよう、と思っていたら、
ジーン・シモンズがまさに
世紀末に降り立った地獄からの使者のような形相で、
「おまえ、エースじゃねえな」と僕にすごんだ。
ここで、目が覚めたのである。
起きたとき、僕の鼓動は16ビートどころの騒ぎではなかった。
夢でよかったと、心から思った。
KISSというバンドは、小学生の頃から知っていたが、
なんとなく、というかかなりキワモノっぽくて、
あまり好きになれなかった。
おまけに僕はハードロックが大嫌いなロック少年として成長したので、
KISSの音楽をほとんど聴くことなく大人になった。
そんなKISSの曲の中で、僕が唯一好きだったのが
ドラムのピーター・クリスがリードヴォーカルをとる
『ハードラック・ウーマン』であった。
KISSにしてはかなり珍しくアコースティックなナンバーで、
おまけにメロディラインもきれいだったので好きになったというわけだ。
それにしても、この“Hard luck
woman”という言葉は、
なかなか強烈な響きがある。
数年前、KISSが来日したとき
「一緒に行きましょうよ」と誘ってくれた女友だちがいるのだが、
彼女もまた“Hard luck
woman”の1人だった。
まともな職についてなかったその子のダンナは、
非合法な映像ソフトの販売に手を染め、逮捕された。
それ以前に夫婦関係は破綻しており、彼女は別の男性と交際していた。
そのオトコは僕も知っているヤツなのだが、
僕から見てもあんなヤツはやめといたほうがいいんじゃないの、
というオトコだった。
しかし、恋は盲目とよくいったもので、
彼女は離婚した後、そのオトコと結婚できる日を夢見て、尽くし続けていた。
その後、彼女が幸せになったかどうかは、
最近すっかり連絡をとっていないのでわからない。
そのオトコとであれ、別の男性とであれ、
幸せに新しい人生をスタートしているといいなと思う。
KISSを毛嫌いせずに聴けるようになったのは、
ここ7〜8年ぐらいのことである。
人間、変われば変わるものである。
しかし、僕はいまだにレッド・ツェッペリンや
ディープ・パープルにはまったく興味がない。
わが家には、ディープ・パープルのCDが1枚だけあるのだが、
そのCDは開封すらされていない。
いつかは、聴くことがあるのだろうか?
ディープ・パープルといえば、
前述の彼女が仲間うちの忘年会で
『ハイウェイスター』をカラオケで歌っていたことを思い出した。
そのとき僕は、大槻ケンヂくんの『オンリー・ユー』をシャウトし、
みんなを凍てつかせた。
20世紀、最後の年末のことであった。