吉川晃司「モニカ」


明日からわが社では社員旅行である。
が、僕は行かない。
現在、進行中の“オアシス”という名の地獄仕事の
原稿チェックをしなければならないからだ。

この仕事は僕が勤務している会社のメインクライアントのもので、
いつもいつも泣かされる。
たいていこの仕事に携わっているときは、
多忙のあまり昼食をとらずに仕事をすることが珍しくない。

当然、痩せる。
ベルトの穴
2つ分ぐらいは痩せるのだ。
これを僕は「
2週間で効果テキメン! 夢のオアシスダイエット」と称し、
まわりの人間から笑いをとっている。

この仕事・・・いまも、きついことはきついが2年前のいまごろが、
いちばんきつかった。
やってもやっても修正が入り、
制作スタッフの疲労は心身ともにピークに達していた。

ある日、僕はスタッフ全員を早々と帰した。
もうこれ以上、無理して制作を進めていても作業効率が悪いので、
ひと晩リフレッシュして翌日からまた仕事にとり組んでもらおうと思ったのである。

しかし、とはいえ締め切りのある仕事なので、
早く帰った分のしわ寄せは確実に生じてしまう。
そこで、スタッフに対して朝
7時に集合を命じた。

「朝
7時に出社だなんて、起きられませんよ」というデザイナーには、
モーニングコールをかけてあげるから、と説得した。

翌朝、目が覚めたのは7時だった。
いい出しっぺの僕が寝坊してしまったのだ。

僕は文字通り飛び起きた。
そしてスグ会社に電話をした。
素晴らしいことに全員が出社していた。
僕はモーニングコールをかけてあげると約束したデザイナーに詫びた。
そのデザイナーは笑いながら
「タカハシさんも疲れてるんだよ、とちょうど今みんなで話していたところです」と
僕を労ってくれた。

基本的に僕は寝坊をしない。
4時半に起きると決めたら4時半にはキッチリ目が覚める人間である。
その僕が、無意識のうちに目覚まし時計を止め、
起床予定時間から
2時間も寝過ごしていたのだ。
たしかに疲れているなと、実感せずにいられなかった。

今回の“オアシス”でも1回、
寝過ごしてしまったことがすでにある。
2年前と同様に、目覚ましを止めていたらしい。
幸い寝過ごしたのは
20分ぐらいだったので何も問題はなかったのだが、
それにしても、少しずつムリがきかなくなってきたなと実感させられた。

吉川晃司が『モニカ』でデビューしたのは、1984年。
僕も吉川も
18歳であった。
そうなのである、僕と吉川晃司は同学年なのである。

デビュー前の吉川は水球の日本ジュニア代表の1人で、
テレビで観る吉川はまさにその経歴どおり躍動感にあふれていた。
テレビで唄い躍る吉川を観て、すごい新人が出てきたと思ったものだ。

吉川のライブは一度だけ観たことがある。
デビューした年の夏に、
西武球場で行われたサマーフェスに吉川も出演した際に観たのだ。
このとき吉川は、
1981年〜82年にかけてのミック・ジャガーのような格好、
というかそのまんま真似ましたという格好でステージに登場した。
しかし、そのライブパフォーマンスは、
正直いってまだまだ地に足が着いていないように思えたものだ。

以来、23年。
吉川晃司はまだ現役でがんばっている。
先週、別に吉川のファンでもなんでもないという僕の友人が
吉川のコンサートに行ってきたそうなのだが、
すごくよかったといっていた。
吉川もいい年齢の重ね方をしている証拠であろう。

吉川は自分の衰えを感じることがあるのだろうか?
吉川晃司と競ってもしょうがないのだが、
同じ
41歳としてそれが気になる。

 

2007.05