ケニー・ロギンス「デンジャー・ゾーン〜トップ・ガン・テーマ」


「われに五月を」とは1957年、
寺山修司が
21歳のときに出版したはじめての作品集であるが、
僕は昔から
5月という季節が一年中でいちばん好きだった。

思いっきり深呼吸したくなるような心地よい空気、
目にもまぶしい萌えるような木々の緑、
見上げれば真っ青な大空にのほほんと浮かぶ白い雲。
5月という季節は僕にとって、
まさに「いい塩梅だ、嗚呼こりゃこりゃ」と人生を謳歌できる季節なのである。

が、今年の5月はいったいどうしたというのだ!?
寒い、寒い過ぎる。
今週に入ってからずっと打ち合わせのために外出が続いているのだが、
あまりの寒さに手がかじかむ思いである。

おまけにあちらこちらで大きな自然災害が発生したりと、
なんとも不気味な日々が続いている。
「だんだんこの世の終わりが近づいているんだよ」という寺山修司の言葉が、
やけにリアルに感じる今日この頃である。

さて、5月に入ってから、どうも不思議なことばかりが続いている。

まずは2日。
先月、退職したばかりの後輩デザイナーに会いに行ったときのこと。
このデザイナーは、
僕が去年まで勤めていた会社に去年の春入社してきたママさんデザイナーである。
聞いたところによると前々から僕と一緒に仕事をしてみたいと思っていたそうなのだが、
前の会社では一緒に在職していた期間が短すぎたということもあり、
その機会はなかった。
ので、新しい会社に移ったのを契機に、僕に仕事を依頼してきたという次第である。

仕事の打ち合わせを終え、僕とその後輩デザイナーは、
しばし前の会社について世間話をした。
1時間ほど僕が退職してからの会社の様子を楽しく聞かせてもらい
僕はその会社を後にした。
その会社から
10分ぐらい歩けば春日通りに出るので、
僕はバスで帰ろうと思い、春日通りへと出た。
そのときである。
見覚えのある車が、僕の目に映った。
その車は、前に勤めていた会社の社長のものだった。
車のなかには社長と若い営業マンが乗っていた。
2人も僕に気づいたようで、手を振ってくれた。
僕もすぐさま手を振り、元社長の車を見送った。

偶然にしては、あまりにも出来過ぎのハナシである。
ちょっと信じられないと思うが、紛れもない事実なのだ。

ハナシはこれで終わらない。
先週の木曜日、僕は再び後輩デザイナーの会社を訪れた。
当然のごとく、元社長に偶然会ったというハナシで盛り上がった。
帰り間際、後輩デザイナーが「また、誰かと会ったりして」と冗談をいった。
僕は「んな、バカな」といって笑った。

そのあと五反田で打ち合わせがあったので、
僕は山手線に乗るべく上野駅の近くをホテホテと歩いていた。
と、そのとき
!  前方に見覚えのある顔があるではないか!!
今度は前に勤めていた会社の別の営業マンだった。

よく世間は狭いというが、それでも東京は広い。
なかなかこんな偶然は続くものではない。
しかし、僕がこの後輩デザイナーと会ったときは、
いまのところ必ず前の会社の誰かに会っているのだ。
不思議といえば不思議だし、奇妙といえば奇妙。
ある意味、怖さすら感じる偶然である。
果たしてこの偶然は続くのか
? 楽しみといえば楽しみでもある。

一昨年、僕がこの日記を書き出すケッカケとなったのが
トモフスキーであると書いたその数日後、
偶然にもトモフスキーと南青山でバッタリ会ったというハナシを
ここで披露させていただいたことがあるが、
僕はどういうワケか、こういう不思議な偶然によく遭遇する。

9日の金曜日もそうであった。
とあるイベントで、有森裕子さんの話を聞く機会があったのだが、
そのなかで有森さんは印象に残った言葉として、
小出義雄監督の言葉を挙げていた。
小出監督は何かにつけ「せっかくという言葉をつけてみろ」と
有森さんにアドバイスを送っていたという。

僕は知らなかったのだが、
有森さんは股関節脱臼で生まれてきたのだそうだ。
さらに子どもの頃、ダンプカーに轢かれる事故を経験し踝が変形したため、
両足の大きさが違うという。
そんなことも影響してか、有森さんはよくケガに悩まされていたそうだ。
「いままで一生懸命に練習を積んできたのに、
ケガをしてしまって」と腐る有森さんを救ったのが
小出監督の「せっかく」という言葉だという。
その言葉を受け、有森さんは「せっかくケガをしたんだから」と発想を転換。
以来、どんなこともポジティブにとらえる考え方が身についた
というようなことを話されていた。

正直いって、僕は小出監督にはあまりいい印象はもっていなかった。
しかし、この「せっかく」という言葉の使い方には、僕も感心し納得させられた。
いい言葉だな、僕もどこかで使わせてもらおうなどと考えながら、
帰宅すべく後楽園ホールの前を歩いていたら、
前方にまたまた見覚えのあるヒゲ面があった。

賢明な読者諸君はもうおわかりであろう。
その見覚えのあるヒゲ面とは、まごうことなき小出監督その人であった。

「ウソだ!!」「つくってる!!

ここまで読んで、思わずそう声を上げた読者諸君もいるかもしれない。
が、これは本当に
100%事実のことなのである。
スーツ姿の小出監督は、選手なのか娘さんなのか、
はたまた誰かなのかは知らないが、
とにかく若い女性と
2人で後楽園ホールの前にいたのである。

女子マラソンといえば数年前、
現在は解説者として活躍している増田明美さんのお話を聞いたことがある。
以前にもチラリと書いたが、そのなかで増田さんは、
マラソンランナーは走るときに頭のなかで唄うテーマソングをもっているというお話をされた。
瀬古利彦氏は村田英雄の『王将』、
有森さんと同じ小出監督の門下生で
1997年の世界陸上女子マラソンの金メダリスト・鈴木弘美さんは今井美樹の『プライド』、
そして有森さんはケニー・ロギンスの
『デンジャー・ゾーン〜トップ・ガン・テーマ』がマイ・テーマソングだというお話を披露され、
有森さんについては「やはり外国のものがお好きなんですね」といって会場を沸かせていた。

かつて有森さんは結婚直後、
夫である外国人男性の過去のことで夫婦揃って記者会見をされたことがある。
その記者会見の内容は、当時大きな話題になった。

現役を引退したいま、有森さんは妻であるだけでなく、
会社を経営し、
NPO活動なども行っている。実に多忙な毎日だと思う。
それは夫の理解がなければ、とうてい実現できないことだと思う。

59日、ステージでスポットライトを浴びながらお話をする有森さんは、
凛とした美しさを感じさせる素敵な女性であった。
どこか、いしだあゆみに通じるものを僕は感じた。
やはり、一流の人は違うなと、僕は大いに刺激を受け、帰宅した。
ら、小出監督とバッタリ会ったという次第である。

昨日は、朝から打ち合わせのために池袋へと出かけた。
待ち合わせ場所へと向かうべく池袋駅西口の通りを歩いていたら、
1人のおばさんに声をかけられた。
東京芸術劇場はどこかと道を聞かれたのだ。
僕は、親切に教えてあげた。
ささやかなことだが、
何かいいことをしたような清々しい気持ちで待ち合わせの場所へと向かった。

打ち合わせを終え、今度は池袋の東口を歩いていたら、
またしても
1人のおばさんに声をかけられた。
池袋の駅はどこかと聞かれたのだ。

1日に2回も道を聞かれるなんて、僕の42年間の人生ではじめてのことである。
というか、
1日に2回も道を聞かれるなんてこと自体が珍しいのではないだろうか?
果たしてこの偶然は、いったいなにを意味するのだろう?

できれば親切にしたご褒美に、
なにか素敵なことが待っていてほしいものである。

それよりなにより、早く天気が回復して心地よい5月になってほしいものだ。

われに5月を。
お天道さま、よろしくお願いします。


2008.05