河島英五「竜馬のように」


今日は文豪・川端康成の命日である。
川端康成が亡くなられたのは
1972年、
僕が
6歳のときであったのだが、

どういうワケかこのニュースをあまり憶えていない。
同じ年の
2月に起きた浅間山荘事件は鮮明に憶えているのにである。
だから、川端康成が僕と同じ時代を生きていたという感覚は僕には乏しい。

同じ416日に亡くなられた方に、
フォークシンガーだった河島英五さんと高田渡さんがいる。
僕は河島英五さんのステージは一度も経験したことがないのだが、
高田渡さんのステージは一度だけ観たことがある。

渋谷のリキッドルームで行われた
早川義夫さんと中川五郎さんとのジョイントライブを観たのだ。

はじめて観た高田渡さんのステージは、
代表曲『自衛隊に入ろう』の世界そのままに、
辛らつななかにも温かみを感じるいいステージであった。
ぼやくように話すトークも冴えていて、
あっという間のとても楽しい時間だったことを憶えている。
これまた代表曲のひとつである『自転車にのって』が特に素晴らしかった。

高田渡さんは2005年、ツアー先の北海道でライブ後倒れ、
そのまま入院先の釧路市内の病院で亡くなられた。
享年
56歳。
亡くなる直前に入院していた病院で洗礼を受けられたという。

428日、高田渡さんのお別れコンサートが、
小金井市公会堂で行われた。
僕はこのコンサートには行けなかったのだが、
実に
40()を超すアーティストが一堂に会したという。

このコンサートで井上陽水は『傘がない』を唄い、
エンケンは『夢よ叫べ』を唄ったそうだ。
高田渡さんが亡くなった日
(つまり今日)が誕生日のなぎら健壱は
アルフィーの坂崎とともに高田渡さんの『三億円強奪事件の唄』を披露したという。

このコンサートに行った人は異口同音によかったといっていた。
高田渡さんがいかに多くの人たちから愛されていたかが、
このコンサートの話を聞いただけで理解でき、
僕も行きたかったもんだと猛烈に思った。

高田渡さんは僕にとって、ほとんどリアルタイムで触れたことはない、
いわば伝説の人であったが、
河島英五さんはリアルタイムでその代表曲の数々に触れてきた。

河島英五さんは『酒と泪と男と女』『野風僧』『時代おくれ』など、
いまなお多くの人に愛聴・愛唱されている代表曲が数多くあるが、
僕が今日とり挙げたい
1曲は『竜馬のように』である。

この曲がリリースされたのは
1981年。
僕が高校
1年生のときである。
たしかこの曲はビールの
CMに使われていたような気がする。

「茜の空にたちむかえ 心を斜め
15度に傾けて
 嗚呼竜馬のように 嗚呼竜馬のように」
(作詞・荒木とよひさ)
というサビのフレーズが実に印象的に曲だった。

河島英五さんの竜馬好きは有名で、
晩年には竜馬を模した写真も撮影されていた。

僕は新撰組を心から愛する男であるが、
坂本竜馬と高杉晋作は好きである。
竜馬も高杉晋作も、新撰組の近藤さんや歳さんも、
幕末の主人公たちはみんな
30歳前後の青年たちであった。
そして、短い命を志半ばで散らせた。

薩長主導で組織された明治政府が発足してから139年。
奇しくも今日の日本を率いている総理大臣は長州人だ。

僕はいまの内閣が向かおうとしているところが怖くて仕方がない。
改正というからには、すべて改善でなければならない。
しかし、どう考えても、現内閣がやろうとしていることは
改悪のような気がするのだ。

国民投票法案にしてもそうである。
総理大臣はこの法案を今国会で成立したいらしいが、
これほどの重要な法案を、そんなに性急に、
国民的な議論を交えることなく可決成立してしまっていいのだろうか。

坂本竜馬や高杉晋作が目指していた国づくりは、
こんなものではなかったと思う。
今週末には統一地方選挙の後半戦が行われ、
夏には参院選がある。
しかし、選挙でいまの世の中の仕組みが変わるとは思えない。

この硬直した国のシステムを本気で変えようと思ったら、
クーデターを起すぐらいの覚悟がないと難しいと思う。

川端康成と親交が深かった三島由紀夫は
自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデターを呼びかけ、
その望みかなわずと知るや自決した。
実質的に、この三島由紀夫の自決が
この国の政治の季節の終焉だったように思う。

坂本竜馬のような人間は、
もうこの国には現れないのだろうか?

いや、そうは思わない。
歴史は循環する。

坂本竜馬がそうであったように名もなき一市民のなかから、
きっと現れると思う。
いまの日本の政治状況を見ると、そう願わずにはいられない。


2007.04