川本真琴「DNA」


この週末、ケータイが再び壊れた。
今年
7月のアタマに液晶画面がまったく映らなくなって修理に出したのだが、
2か月ちょっとでまた壊れてしまったのだ。
症状は前回と同じで、液晶画面はブラックアウトしたまま。
これではケータイの用をなさない。

前回壊れたとき、
僕は翌朝イチバンで修理をお願いすべくショップへとかけ込んだ。
よくも悪くもケータイはいまや重要なライフラインのひとつである。
1日も早く修理してもらわなければ、
さまざまなことに支障をきたしてしまう。
僕は懇願する気持ちで、ショップの店員さんに窮状を訴えた。

しかし、このときの店員さんは、
たぶんマニュアル通りの対応だと思うのだが、
とてもお客さんの側に立っているとはいえないものだった。
壊れたことに関する責任の一切を、
まず使用者である僕に押しつけようとした。
水に濡らしたのではないか
? 落としたのではないか?
踏んづけたのではないか?といってきたのだ。
僕はそのすべてを否定した。
事実、電話を切ろうとしたら、
液晶画面が映らなくなっていただけなのだ。
濡らしてもいなければ、落としてもいない。

次にこの店員さんは、
やたらと「メーカーが」ということをいい出した。
製造元であるメーカーの責任を語り出したのである。
ここで僕はキレた。
口調は穏やかに、しかし眼光鋭く、
僕は店員さんに向かって自分の主張を語った。

僕らにとってケータイは、
あくまでそのケータイ会社から買うのであって、
メーカーから買っているワケではない。
だから、僕らにとってメーカーがどうのこうのなんて関係ない。
僕らにとっては直接の取引先であるケータイ会社が相手なのだ。
あなたのそのいい分は、
顧客に対する販売責任を放棄したモノいいだと僕はいった。
自分たちだけは絶対に間違ってはいない、
という態度が言葉の端々から聞いてとれたのだ。

モノは壊れる。
それは当たり前だ。
しかし、そのときの対応いかんによっては顧客を逃がす。
本田技研工業の創始者である本田宗一郎さんは生前、
修理にこられたお客さまへの対応を厳しく訓示していたという。
ただでさえ使っているモノが壊れたら、お客さまはショックを受ける。
だから、製品をしっかり修理するだけではなく、
修理にこられたお客さまの心もケアしてあげなければならないと
常々語っていたそうだ。

売ったモノが壊れて、買った人が直してくれといってきたら、
会社として修理するのは当たり前である。
しかし、本田さんはさらにもっと踏み込んだ、
人と人との心のつながりをわかっていらしたのであろう。
モノは売ったときよりも、売ったあとが大切なのだ。

修理に出したケータイは10日ぐらいで修理から戻ってきたのだが、
僕はもうこの会社のケータイを使う気がなくなっていた。
そのため別の会社のケータイを新たに申し込んだ。
壊れたケータイはすぐに解約したかったのだが、
11月以前に解約するとベラボーな違約金を取られるので、
仕方なく新たに申し来んだものと併せて、
2つのケータイを持っていた。
そしたら先週末、壊れたという次第である。

わずか2か月で再び壊れるケータイ。
そんな会社のケータイはもう
2度と使いたくない。
なので修理に出す気もない。
僕はその会社に対して、いい印象はもはや何ひとつない。


僕がケータイを使い出したのは、
1995年ぐらいだったと思う。
まだいまのように誰もがもっている時代ではなく、
インフラも整っていなかった。
ケータイはまさに電話であって、
いまのようにメールやネットもできるものではなかった。

この当時、僕はまわりの人たちに
「ケータイの着信音がセックス・ピストルズの
『アナーキー・イン・ザ・
UK』だったらすごいと思わない?」といっては
バカにされていた。
誰もそんな着信音にこだわらないだろうと、みんなは口々にいっていた。
しかし、いまやどうだ。
着信音はひとつのビジネスにすらなっている。
僕は着メロというのが世に出てきたころ「やられた」と思ったものだ。

アイディアというのは、ほんのちょっとしたところから生まれる。
「こうしたらみんな喜ぶんじゃないだろうか
?」というのがその根っこである。
使う人を無視したそのはアイデアではない。それはただの自己満足である。

生活者を無視した政治や顧客を無視した企業活動に未来はない。
人々は、それほどバカではないのだ。

ケータイといえば以前『DNA』などのヒット曲で知られる川本真琴が、
イタズラ電話がかかってきたことに腹を立てて
ケータイを川に投げ捨てたというハナシをテレビでしていたことを憶えている。

このハナシを聞き、川村真琴に対して、
カワイイ顔をしてけっこう激しい性格の子なんだろうなと思ったものだ。
実際はどうだか知らないが、
たしか川村真琴は一時期、音楽活動を停止していたことがある。
何が彼女をそうさせたのかは知らない。
でも彼女は彼女なりに、腹を立てたり悩んだりした末に、
音楽業界から足を洗おうと一度は決意したのだろう。

僕の壊れてしまったケータイに未練はない。
このケータイには、ビートルズが来日したときに泊まった
キャピタル東急
(元ヒルトンホテル)のプレジデンシャルスイートを訪れたとき
(といっても泊まったワケではない。
昨年、ビートルズ専門店『ゲットバック』による招待で、
見学しに行っただけだ
)に撮った数々の画像が入っているが、
そんなものはもういい。
そんなのはただの画像でしかないのだ。
大切なのは、画像ではなく想い出なのである。

ビートルズのメンバーが過ごした空間で、
たとえわずかな時間であろうと、
僕も人生のひとときを過ごしたという想い出だけで十分である。
ひょっとしたら、その経験は僕の
DNAのなかに
しっかりと刻み込まれているかもしれないし。

それにしても腹が立つケータイである。
11月に解約するまで、ただの金喰い虫でしかないのだ。
あまりにも腹が立つのでいっそのこと僕も
川本真琴のように川に捨ててやろうかと思った。

しかし、やめた。
川を汚してはいけない。
僕はこう見えても、環境にやさしいオトコなのだ。


2007.09