KAN「愛は勝つ」


今日は朝から2件ほど売り込みに行って来た。
独立以来、仕事はなんとか頂戴できてはいるが、
それだけでは将来の発展が期待できない。
僕の野望は別にフリーになることではなくて、
日本の広告界を変革することなのである。
今日も訪問先で僕が掲げる「正直な広告づくり」について、
正直に話をさせていただいてきた。
先方の反応は上々で、
ぜひ前向きに検討させていただきたいとのことであった。

しかし、現実を考えれば状況はそんなに甘くない。
景気がやや上向いてきたことを受けて、
各広告代理店や制作会社はどんどん社員を増やし内制化している。
ちょっと前のように外部のスタッフをうまく使いながら仕事をまわすより、
社員を雇って自社ですべて企画・制作を行うという傾向が強まっている。
この背景には、クライアントに対する守秘義務も関係していると思う。

広告づくりはクライアントの機密情報を預かる仕事でもある。
その機密情報を外部スタッフに委ねることを嫌う風潮が
高まっているのではないだろうか
?

広告代理店を通さず、
僕がクライアントと直接取引をするにしても、
この機密保持がネックになってくる。
取引開始にあたっては、
あらゆる信用調査を避けて通ることはできないだろう。

プロである以上、自分の仕事に対しては自信をもっている。
だが、それだけで世の中が通るほど甘くはない。
でも、僕はそんなことで凹んだりはしない。
天の邪鬼のようだが、だからこそ面白いと思えるのだ。

サラリーマンで、そこそこ偉くて、
そこそこ安定したお給料をもらえるという立場を捨て、
あえてフリーランスという困難な道を自ら選択したのだ。
僕はいま、これまでとはまた違った意味で
仕事が面白くて面白くて仕方がない。
何をしているときよりも楽しいのだ。

先日、師匠の西尾先生より
、こんなアドバイスを頂戴した。
アメリカのとある広告代理店が創業した当時、
その創業者は将来クライアントになってほしい狙いをつけた企業の社長のところへ
毎月、自社が手がけた広告と手紙を送ったという。
そして
10年後には、すべて取り引きしてもらうことに成功したというのだ。
クライアントは
IBMやロールス・ロイスなどである。

これを海の向こうの古き良き時代の夢物語ととるか、
リアルな成功譚ととるかは人それぞれである。
僕は無謀かもしれないが、
これを僕にできない理由は何ひとつないと考えている。
ヘンに自分の可能性にリミッターをかける必要などないのだ。

その一方で、僕は今日あるオファーを受けた。
企業名は公表するワケにいかないが、
名前を聞けば誰もが知っている会社である。
その企業が、新たな企業ブランドイメージを構築してくれる
社内責任者を探しているというのだ。


この企業、ちょっとした不祥事を起こしてしまい
企業イメージは最悪の状況である。
しかし企業を存続させていくからには、
なんとか悪いイメージを払拭し、消費者に受け入れられ、
社員が誇りをもって生き生きと働ける企業へと再生をはからなければならない。
その責任者になる気はないかという話だった。

あちらこちらに話をもっていき、
いろいろと面接を重ねているらしいのだが、
どうもコレは
!!という人材がいないという。
そこで回りまわって僕のところに、
その話が転がり込んで来たという次第である。

大まかな数字ではあるが、条件的には悪くなかった。
仕事の内容も魅力的である。
しかし、最終的に僕は断った。
社員として働くのが、絶対的な条件だったからである。

なんでもその会社のトップの考えでは、
今回の企業イメージの再生にあたっては、
外部の人間ではダメなのだそうだ。
自分の会社という視点と立場で取り組んでもらいたいということであった。


たしかにそれは一理あると思う。
だが、すべての企業トップがこの考えに基づいてしまえば、
広告代理店はその存在意義をなくしてしまう。
僕が思うに広告代理店に必要なのは、
クライアントと同じ目線でものを見て、
違った視点でものを考えることだと思う。
そのためにはクライアントに同化してはダメだと考える。
常にどこか一定の距離を置いてものを考えないと、
結局はクライアントのいいなりになってしまい、
消費者不在の広告となってしまう。
僕はそれを恐れる。

広告のプロとして
僕がどこまで理想を現実化できるのか、本当にわからない。
でも、僕はこの立場で生きていくことを選んだ。
誰にすすめられたワケでも、強要されたワケでもない。
ならば全うしたい。
その答えはきっと、いいカタチで現れると信じている。

昨日のお昼過ぎ、自宅前に御神輿がやってきた。
昨日も暑かったが、とても気持ちのいい日曜日だった。
御神輿が出て行ったあと、僕は近くの本屋さんへと出かけた。
その帰り道、ふと文京区役所のあるシビックセンターを見上げたら、
白い雲が心地よい風に乗って流れていた。
その景色を見ていたら、何かいいことがあるような気がした。
根拠は何もない。
ただ、そう感じただけである。
僕は自分の勘を信じる。
きっといいことが待っている。

KANもこう唄っていたではないか。
「どんなに困難でくじけそうでも信じることさ
 必ず最後に愛は勝つ」
(作詞・KAN)と。


『愛は勝つ』が流行っていた当時、
僕が懇意にしていたコント集団“ザ・ニュースペーパー”のライブで、
サダム・フセインに扮した元ドリフの付き人・すわしんじ氏が
「必ず最後に俺は勝つ」という替え歌を歌っていた。
サダム・フセインは亡くなったが、僕は生きている。
人生はまだまだ続くのだ。

2007.09