嘉門雄三「さよならハリウッド」

先日、ストーンズは金のにおいしかしないと書いたが、
日本でいちばん金のにおいのするバンドはといえば、
僕のなかではサザンオールスターズである。

サザンのなにがイヤかというと、
なにかにつけてタイアップが多いことである。
広告業界に身を置きながら、
こんなことをいうのもヘンではあるが、
サザンの活動自体が広告代理店をまじえた
一大プロジェクトのような気がしてならない。
サザンが動くたびに億単位の金が、
純粋な音楽活動とは別のところで、
別の思惑で動いているようなところが、なんともイヤなのだ。

サザンオールスターズのデビューは、本当に衝撃的だった。
ザ・ベストテンのスポットライトのコーナーで、
ライブハウスから中継された『勝手にシンドバッド』は、
まさにパンクだった。

それまでの日本の音楽シーンのどの系譜にも属さない、
まったく新しいスタイルの音楽だと思った。
この『勝手にシンドバッド』の大ヒットにより、
サザンは一躍スターダムにのし上がる。
そしてヒット曲を連発し、不動の地位を築きつつあった。

しかし、桑田佳祐は多忙を極めるなか、
このままではいけないと思ったのであろう。
いっさいテレビには出演せず、レコーディングに集中した。
たしか
1980年〜81年ぐらいのことである。

この間、たて続けにシングルを発表したものの、
メディアへの露出不足がたたってか、
どれもスマッシュヒットにはいたらなかった。

そんななかで発表されたアルバムが“ステレオ太陽族”である。
僕はサザンのアルバムのなかで、この作品がいちばん好きだ。
このアルバムに収録されている『
Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)』は、
サザンが発表したシングルのなかでもっとも売れなかったらしいが、
いま聴いてもけっこうカッコいい。
1981年夏の、想い出の1曲である。

話は、ちょっと逸れてしまうが、
この夏は本当に素晴らしい曲にたくさん出会えた。
それらの
11曲をいつか紹介することもあると思うが、
いまでも愛聴している曲が本当に多い。
このとき、僕は高校
1年生。
夏休みのあいだ中ずっと、サッカーばかりしていたので、
華々しい想い出はなにもないのだが、
これらの曲を聴くと、あの夏の日差しや空気を懐かしく想い出す。

話をもとに戻して・・・サザンがお茶の間に帰ってきたのは、
19821月に発売された『チャコの海岸物語』のヒットによってである。
それ以降のサザンの、そして桑田佳祐の活躍については、
あらめて語る必要もあるまい。

桑田佳祐は一時期、
嘉門雄三という変名をつかって活動していたことがある。
この活動について桑田は、
ラジオ番組で「本音みたいなものが
2つあって、サザンでできないことを
嘉門雄三の活動を通して消化している」というようなことを語っていた。

僕がいうまでもないが、
桑田佳祐はすぐれたソングライターであり、
ロックンローラーである。
サザンぐらいの規模のバンドになると、
どうしても聴き手に対して最大公約数的な作品を発表し、
商業的なリスクヘッジをしようと考えるのは仕方ないのかもしれないが、
特にここ数年のサザン関連の曲は、
どれも似たようなものに聴こえてしまう。

願わくば、商業的なしばりから解き放たれて、
桑田佳祐のやりたい音楽を聴いてみたい。
嘉門雄三でビリー・ジョエルの『さよならハリウッド』や
ポインター・シスターズの『スロウハンド』を
イキイキとカバーしていたように。

エリック・クラプトンと前川清をルーツとすると語っていた、
音楽的な懐の深い桑田佳祐のことだ。
きっとおもしろいことをやってくれるに違いない。


2007.01