上條恒彦「誰かが風の中で」

あけまして、おめでとうございます。

このブログを呼んでくださっている皆さんにとって、
2007年が素敵な一年となりますようお祈りしています。

お正月といえば、やっぱり駅伝。
元旦の今日はニューイヤー駅伝である。
上州路を舞台に、今年も熱戦がくり広げられることだろう。


僕が上州という言葉を知ったのは、
中村敦夫さんの“木枯らし紋次郎”がきっかけである。

テレビドラマ史上に残るこの名作は、
1972年の元旦に第1話が放送された。
以来、時代劇好きだった祖父の影響を受けて、
僕も毎週のように観ていたものだ。
そして、紋次郎のような長い楊枝を竹籤でつくって、
紋次郎ごっこをしたものだ。
もちろん決めのセリフは「あっしには関わりのねえこって」である。


中村敦夫さんには、個人的にもたくさんの想い出がある。
僕は敦夫さんが立ち上げた政党の創設メンバーのひとりであり、
敦夫さんが開講した政治塾の第一期生、
しかも学生番号
1番の男である。
だから僕は、敦夫さんの一番弟子だと勝手に思っている。


敦夫さんはニヒルなイメージが強いが、
実はおちゃめなところもたくさんある。
ある日、敦夫さんの事務所に行ったら、
敦夫さんが一生懸命、悪魔のような絵を描いていた。
ちょうど踊る大走査線が流行っていた時期であった。

敦夫さんは僕を見るなり「タカハシくん、今度さ
“躍るダイオキシン”っていうダンス劇をやろうと思うんだ」と、
唐突にいった。
ダイオキシンの怖さを、
ダイオキンが不気味に躍りまくる劇によって人々に訴えようというのだ。

さすがは元俳優座の若手のリーダーである。
そのしなやかな発想には、驚かされた。

さらに、敦夫さんは僕にびっくりするようなお願いをしてきた。
“躍るダイオキシン”の劇中歌の作詞をしてほしいというのである。
敦夫さんに作詞を依頼された人間なんて、そう何人もいないだろう。
いや、ひょっとしたら僕が最初かもしれない。
ものすごく光栄なことである。
僕は二つ返事で引き受け、
Dancin’ Dancin’ Dioxin”というフレーズではじまる歌詞を
ひと晩で一気に書き上げた。

そして、敦夫さん自らも演出に参加した
“躍るダイオキシン”の稽古によく立ち会ったものだ。

稽古が終わった後は、
敦夫さんを囲んでワイワイとビールを飲みながら、
政治的な真面目な話からバカ話まで、いろいろなことを語り合った。


ほかにも敦夫さんにまつわるエピソードは
書ききれないほど、たくさんある。
敦夫さんには、本当にたくさんの想い出をもらった。
僕が敦夫さんと一緒に過ごした時間は、
人生の大きな宝物のひとつとなっている。

敦夫さんは、信念の人だと思う。
俳優座に反旗を翻し
原田芳雄さんや市原悦子さんなどと独立したのも、
自らを「電波芸者」といい放ち超人気番組だった
“地球発
23時”を降板したのも、
某宗教団体と対立しその組織の内幕を徹底的に暴いたのも、
政治家になったのもすべて敦夫さんの信念、
つまり己の信ずるところに拠った結果のような気がする。

さすがは原田芳雄さんの兄貴分だった人である、
気骨が違うのだ。
議員はやめたが、まだまだ老け込む年ではない。
敦夫さんの今後の活躍に期待したい。

去年、久々に“木枯らし紋次郎”を観た。
「どこかで誰かがきっと待っていてくれる」(作詞・和田夏十)と歌われるオープニング曲、
上條恒彦の『だれかが風の中で』が流れただけで、気分が高揚したものだ。


こんな経験を今年もいっぱいできるといいな。
いい歌をたくさん聴き、いいライブにたくさん行き、
いいドラマや映画をたくさん観るのだ。
そしていい仕事をたくさんして、充実した
1年にしたいと思う。
そのためにも、まずは健康第一だ。

「健康が才能を呼ぶことはあっても、才能が健康を呼ぶことはない」
たしか村上春樹が、こんなことを書いていた。

2007.01