筧利夫「おまえにビリビリ」


昨夜のこと。
2008新春・原田芳雄映画祭」と勝手に銘打って、
芳雄さん主演の映画“寝盗られ宗介”と“鬼火”を観た。

“寝盗られ宗介”はご存知つかこうへいの原作・脚本で、
芳雄さんとも数々の作品を創っている若松孝二監督がメガホンをとった。
芳雄さん演じるドサ回り一座の座長・宗介と、
藤谷美和子演じる看板スターで内縁の妻・レイ子との奇妙な関係を軸に、
筧利夫や柴田理恵、佐野史郎、岡本信人、
そして吉行和子さんなどが脇を固めるコメディタッチの映画である。

一方、“鬼火”は山口組の元顧問弁護士だった山之内幸夫氏の原案をもとに、
“新・悲しきヒットマン”などで知られる望月六郎監督がメガホンをとり、
芳雄さんはムショ帰りの元ヒットマン・国広を演じ、
国広を兄貴と慕う駆け出しの組長を哀川翔が、
そしてその上部団体・明神組の組長を奥田瑛二が演じた。

コメディとヤクザ映画。
実に振り幅の大きな
2本立てである。
最初に“寝盗られ宗介”から観た。

ある種、ホモセクシャルな感情を抱きつつ、
宗介さんを崇拝している筧利夫演じる劇団員のジミーが、
腎臓の病気で倒れる。
腎臓移植を行わなければ、命は危ないと医者は宣告する。
ジミーのたっての希望で、宗介は自分の腎臓を提供する。
が、ジミーはあろうことか、
この宗介の最愛の女性であるレイ子とともに劇団を離れてしまう。

宗介は地元の名士の息子で、
死の床に瀕している父親の冥土の土産として
自分とレイ子の結婚式を新設された地元ホールのこけら落としに行うことになっていたのだ。

筧利夫と藤谷美和子といえば、
2001年に『シャバダ ダバダ』というデュエット曲を発表している。
作詞は秋元康。
曲は台詞調でこんな風にはじまる。

 
 〈筧〉なんて素敵な夜なんだ 君が夜を素敵にする

 〈藤谷〉そんな風に口説くのね

 〈筧〉君を初めて見た瞬間(とき)から僕は恋におちた

男と女のシャバダバダな歌である。が、途中から状況が変化していく。

 〈筧〉ちょっと2時間休憩して行かないか?

 〈藤谷〉お友達でいたいから

 〈筧〉出た! 女の断り文句ベストテン!

 〈藤谷〉そういうのはだめ

 〈筧〉何のために終電出るまで白木屋で粘ったと思ってんだよ

    普通あんなに食わねぇぞバターコーン

 〈藤谷〉悪い人じゃないけれど

そして、最後は筧の絶叫となる。

 〈筧〉はい、そうです 俺はいい人で、一生男友達しかなれません 

    好きな女の恋の相談に乗って「頑張れよ」なんて励ましちゃうタイプです

    女の子より女の子の母親に好かれます

といった、筧の絶叫モノローグが続き、曲はエンディングを迎える。
まるで伊武雅刀さんの名曲
“子供達を責めないで”のようなドラスティックな展開である。

と、書いていて、いま気づいたのだが
“子供達を責めないで”も秋元康の作詞だった。
秋元康は筧利夫というキャラクターを得て、
“子供達を責めないで”と同一コンセプトの曲をつくろうとしたのではないか
という推測ができる。

実は僕は、この筧利夫のCDを買った。
目的は『シャバダ ダバダ』ではなく、
カップリング曲の『おまえにビリビリ』を聴きたかったのだ。

『おまえにビリビリ』をはじめて聴いたのは、
J-WAVEのピストン西沢の番組だった。
「この曲を唄っているのは誰でしょう
?」というクイズで曲が流されたのだ。

 感電したよビリビリビリ その瞳

 感電したよビリビリビリ しびれてる

  (作詞・秋元康)

唄い出しを聴いただけで、筧利夫だとわかった。
しかも歌詞がバカらしくておもしろい。
すっかり僕はこの曲を気に入り、
発売当日に新宿のタワーレコードに買いに走った。
ら、購入特典としてサイン会の招待券がついていた。
筧利夫は役者としても注目していた
1人なので、
僕はサイン会当日の夜、
会社をひょっこり抜け出してタワーレコードへと出かけた。

サイン会には100名だか200名だかが参加できたと憶えているが、
まわりは見事なまでに女性・女性・女性ばかりであった。
僕は悪いこともしていないのに、
なぜか肩身の狭い思いをしながら筧利夫にサインをもらった。

筧利夫は、僕と身長がほとんど変わらなかった。
なのに、その身長以上の大きな存在感があった。
そんな筧利夫を間近にしながら昔、たけちゃんことビートたけしが、
映画“夜叉”で高倉健と共演するにあたり、
「役者にとっていちばん大切なのは演技力じゃなくて存在感なワケで、
高倉健は高倉健の存在感があればいい。
でも、オイラに演技しろってったらできるけど、
高倉健に漫才はできないだろう」と語っていたことを想い出した。

芳雄さんもそうだが、たしかに役者にとって存在感は大切だと思う。
その人が出てくるだけで映画が締まるという俳優さんがいる。
石橋蓮司さんは、僕のなかではその代表格だ。

タケちゃんの発言には後日談がある。
タケちゃんの発言を聞いた高倉健が、田中邦衛に
「おい田中、俺と漫才の稽古をしねえか」といったというのである。
よほど、タケちゃんの発言に触発されたのだろう。
天下の高倉健をそんな風に思わせるタケちゃんもすごいが、
それを真剣に受け止める高倉健も高倉健である。
一流というのは、やはりすごい。

“寝盗られ宗介”のラストは、
父親が会場で死んでしまったあと花嫁のレイ子が現れる。
しかし、死んだと思った父親は生きていた。
宗介に嫁をとらせるための策略だったのだ。

まさに、つかこうへいならではの大どんでん返し。
だが、こう映画を最初に観たとき、
僕にとっての大どんでん返しはストーリーそのものではなく、
父親役にあった。
僕が大好きだった玉川良一さんが演じられていたのである。
ラストまで何度か登場シーンはあったのだが、
床に伏していて、
しかも酸素マスクをつけられていたので最後まで気づかなかったのだ。

大芝居を打ったあと、
してやったりといった表情で宗介に話しかける父親役の玉川良一さんの姿を久々に見て、
僕はとてもうれしい気持ちのままエンドロールを見つめた。

そして、続けて観たのが“鬼火”である。

が、これについて書くと、たぶんいまの倍以上の文字量になると思うので、
読者よ
! 友よ!! すまぬがここでいったん筆を置かせてもらうというか、
キーボードを打つのを中断させてもらう。

続きは、また明日。チャオ♪


2008.01