ジュディ・オング「魅せられて」


いま、おしどり右京が熱い!!

知らない人にはいったいナンのこっちゃという書き出しであるが、
いまおしどり右京が熱いのだ、我が家では。

おしどり右京とは、
1974年に放映されていた時代劇“おしどり右京捕物車”のことである。
主演は中村敦夫さん。
敦夫さん演じる右京こと神谷右京は、
悪党どもを容赦なく追いつめる鬼与力として「北町の虎」と恐れられていたのだが、
ある日悪党一味の罠にはめられ、下半身不随の身になってしまう。
そして、あえなく奉行所を解雇される。

しかし、悪を許せぬ右京はかつての同僚、
前田吟演じる秋山左之介から
1両で悪人退治の仕事を請けおう「下請け」の仕事をはじめる。
妻のはなが押す、手押し車に乗って。

この手押し車、どんなものかといえば“子連れ狼”において、
主人公の拝一刀の息子・大五郎が乗っていたものを想像してもらうとわかりやすいと思う。
その手押し車に乗った右京が「はな、右だ
!!」「今度は左へ行け!!」と指示を出し、
悪人どもを追いつめていく。
右京の武器はムチである。
ムチで悪人どもをひっ捕らえ、手元にたぐり寄せ、
そして手押し車に仕込んである刀でとどめを刺すのだ。

手押し車に、ムチである。
こんな突拍子もない設定を考えた製作陣は、
まさに天才といっても過言ではない。

“おしどり右京捕物車”をプロデュースしたのは、
必殺シリーズでもおなじみの朝日放送
(ABC)の山内久司氏と松竹の櫻井洋三氏、
そして山内氏と同じく朝日放送の杉本宏氏である。
撮影スタッフはこれまた必殺シリーズを手がけた
京都映画
(現・松竹京都映画)の面々である。

この“おしどり右京捕物車”について、
敦夫さんは自著“俳優人生”のなかで、こんな風に記している。

ABCと松竹京都スタッフは、
〈木枯し紋次郎〉を視聴率で負かした〈必殺仕掛人〉のグループであり、
私にとって宿敵であった。
しかし、このグループの企画力と撮影能力には、
敵ながら目を見張るものがあった。
そして、その総指揮を取っているのは、
ABCドラマ班の山内久司氏であった。
この人の力量には並外れたものがあった。
(中略)私が長年接してきた社員あるいは外部プロデューサーの中で、
山内氏は最高の才能の一人だと断言できる。
その山内氏が企画を作り、主演に私を指名してきた」

スター俳優であれば普通、格とか見栄とかいろんなしがらみで、
かつての宿敵製作陣がつくるドラマになど出演してたまるかと考えても不思議ではないと思うのだが、
そんなことには頓着しないのが実に敦夫さんらしい。

こうして最高のスタッフ陣によって製作された“おいどり右京捕物車”は、
いま見ても実に迫力に満ち、映像美にあふれている。

だが、このドラマは主人公が下半身不随という設定ゆえ、
なかなか再放送される機会がなかった。
それだけに、カルト的なファンのあいだでは、
まさに「幻の名作」として語り継がれてきた。
大槻ケンヂくんも、自身のエッセイで“おしどり右京捕物車”について書いている。

観たい。でも、観ることができない。
そんな“おしどり右京捕物車”が全
26話、2003年にDVDでソフト化された。
僕は真剣に買おうかどうか迷った。
が、右京を買うなら、その前に紋次郎だ。
いやいや“俺たちは天使だ
!”ももう一度観たいし、
などとモンモンとしているうちに買いそびれたままだった。

そんなスットコドッコイの僕に今年の3月、福音がもたらされた。
ついに、とうとう、やっとこさ、
CSで再放送されることになったのである。
もちろん
CS初放映である。
以来、僕は毎日その放送を録画し、
夜ホクホク顔で右京を鑑賞しているという次第なのだ。

とにかく面白い。面白すぎる。
なにが面白いかといえば、敦夫さんの懲悪ぶりも観どころではあるのだが、
ドラマの随所に出てくる「おいおい、そんなのありかよ」というぶっ飛びシーンである。


たとえば、こうだ。
妻のはなが外出中、雨が降ってくる。
はなは外に干しっぱなしの洗濯物を案じる。
次のシーン。
なんと、敦夫さん演じる右京が、洗濯物を取り込んでいるのだ。
縁側に腰掛け、自慢のムチをビュンと飛ばして次々と洗濯物を取り込んでいるのである。
ムチは悪人どもを捕らえるためだけではないのだ。

また別の回では。
夜、右京とはなが布団に入り横になっていると、雨漏りの音が聞こえる。
「あなた、雨漏りが」というはな。
すると右京はおもむろに枕元に置いてあるムチを手にするやいなやムチを一閃し、
ムチの先で茶碗をつかみ、その茶碗を雨漏りしているところに据えるのだ。

恐るべし、右京のムチ技。

必殺シリーズにも共通していえることだが、
山内氏たちがつくるドラマはこうしたちょっとした遊び心をとり入れるのが実にうまい。
“木枯し紋次郎”と視聴率を争っていた“必殺仕掛人”において
林与一演じる仕掛人の一人・西村左内が
紋次郎の楊枝よろしく草をくわえていたことをはじめとして、
数々の印象的なシーンが想い出される。

さらに“おしどり右京捕物車”では、こんなシーンも何度も登場する。
基本的に右京は、はなに手押し車を押してもらって行動するのだが、
時としてはなに押してもらえぬ状況に遭遇してしまうことがある。
そんな時、
目の前にいる悪党どもを逃がしてなるものかと右京は奥の手を出す。
それはナント、
手押し車に仕込んである
2本の木刀をスキーのストックのように扱って、
自ら前に進むのである。
ある時、そのようにして前に進んだ右京が、
手押し車に乗ったまま
悪人ども目がけて急勾配の坂を滑降していくというシーンがあった。
僕はそのあまりにもな展開に、
しばし唖然とし、そしてゲラゲラと笑ってしまった。

残念ながら“おしどり右京捕物車”は当時、
視聴率的には大成功とまではいかなかったが、
その特異な内容ゆえ、前述のようにカルト的なファンを生んだ。
思想家の吉本隆明氏もこのドラマの大ファンだったという。

それにしても、と思うのが、
なぜこのドラマが長らく封印されてきたのかということである。
大きな理由は、先にも述べたように主人公が下半身不随ということなのだろう。
下半身不随の右京に対し、
悪党どもが罵る言葉のなかにはいわゆる差別用語も含まれている。
だが、ドラマの内容を観る限りにおいて、
僕は決して差別を助長するようなものではないと思う。
むしろ体の自由を奪われても、あるいはリストラされても、
不屈の精神で困難に立ち向かう強い人間像を描いているヒューマンドラマだと思うのだ。

もちろん僕は体のどこかに障害を抱えている人間でもなければ、
リストラされた元サラリーマンでもないので、
そうした方々がこのドラマを観てどのように感じられるのかはわからないが、
少なくても僕は差別的なドラマではないと思う。

ところで、この“おしどり右京捕物車”において、
右京の妻・はなを演じているのがジュディ・オングである。
そう、あの『魅せられて』で一世を風靡したジュディ・オングなのだ。
このジュディ・オングについて、
敦夫さんは先に挙げた“俳優人生”において、このように記している。
ちょっと長いが再び勝手に引用させていただく。

「ジュディ・オングのキャスティングは意外と思われたが、
実は物理的な条件が大きかった。
私が箱車に座るので、立っていても同じぐらいの高さ、
つまり、背の低い女優でないと、
二人の顔が一緒の画面におさめられなかったからだ。

それにしても体重75キロの私を乗せた箱車を、
激しく押しまくらねばならなぬジュディ・オングの労力は大変なものだったろう。

ジュディは、容貌に関するかぎり紛れもない美女である。
時によって、ゾクッとするほど妖艶な雰囲気を漂わせる。
しかし、体が小さいので、まだ子供のような感じもあった。
(中略)私のことを、『お父ちゃん』などと呼ぶので、
どう対していいか面食らったものだ。
頭も勘もよく、ギターやドラムをこなすし、絵も上手い。
英語もスペイン語もできるし、理解力も早い。
一種の天才少女タイプなのだが、年齢からすれば大人のはずだった。
こういう不思議なタイプの女優と共演したのは、後にも先にもない経験だ」

記憶されている方もいると思うが、
『魅せられて』が大ヒットしている頃、
ジュディ・オングはアメリカのテレビドラマシリーズ
“将軍 
SHOGUN”への出演依頼を受けている。
しかし、歌手活動のスケジュールがつまっていたため、この出演を断念。
もともとジュディに依頼がきたヒロイン役は島田陽子が演じ、
それによって島田陽子はアメリカで大人気を博した。

敦夫さんが後にも先にもない経験だという不思議なタイプの女優ジュディ・オングが、
もし“将軍 
SHOGUN”に出演していたら。
このことを思うと、つくづく運命って時には皮肉だなと思わずにはいられない。


現時点で“おしどり右京捕物車”は
16話まで観た。
この
16話には、元祖怪優といっても過言ではない故・岸田森さんが出ていた。
子どもの頃から大好きな俳優さんだった。
岸田森さんが亡くなられたのは僕が高校
2年生のときだった。
享年
43歳。死因は食道ガンだった。
若い。実に若すぎる死であった。
懐かしい岸田森さんの姿を久々に観て、
おーオレも来年は
43歳かあとしみじみ感じた。

岸田森さんについては、いつかまた改めて書きたいと思う。

では、ごめんなすって。

2008.04