ジョン・クーガー「青春の傷あと」


昨日の夜、とある広告の仕事で撮影に出かけてきた。
が、しかし、この広告制作に僕は携わっていない。
のに、何ゆえ撮影のため、
わざわざ傘を手に有楽町線に乗って要町まで出かけることになったというと、
読者よ
! 友よ!! 大いに笑ってほしい♪
ナント、モデルを頼まれたのである。

タカハシカツトシ42歳。身長170センチ、
短足・デカ頭のほぼ
6等身・・・どう考えてもモデル体型ではない。
しかし、ホントに昨日、
ある知人から依頼を受けてモデルの仕事をこなしてきたのだ。

過去にも何度か仕事で被写体になったことはある。
が、このときは勤めていた会社の仕事で、
モデルがいないからオマエやれ、といった感じのものだった。

いまから178年前のことになるが、
このときは若手青年実業家として銀座の小洒落たバーを舞台にカメラの前に立った。
とある若者向け会員制クラブの会報誌に、
クラブのサービスを利用して大成功を収めた会員のインタビューを掲載するという企画だったのだが、
モデルとしてちょうどいい
20代半ばの男性がいなかったことから
僕に白羽の矢が立ったのだ。

とはいえ、僕はこのクラブの会員でもなければ、青年実業家でもない。
なのに、どうしてこんなことになったのかというと、
実はこの号の特集がエイプリルフール企画で、
インタビューのなかで紹介されているクラブのサービスは本当だが、
あとは架空の人物によるものというオチが用意されていたからなのである。
まあ、許される範囲内のウソ広告といえよう。

僕が愛してやまないジョージ・ハリソンについて、
ジョージと親交の深かったドラマーのジム・ケルトナーはあるインタビューで
「彼はウソをすぐに見抜く、ずば抜けた能力をもっていた」と語っていたが、
僕はウソを見抜くのが実に苦手である。
どちらかといえば僕は性善説に則ったモノの考え方をするほうなので、
親しい人間がウソをつくはずがないとアタマから信じ込んでしまうのである。


この性格はなかなか直らないようで、
今年のエイプリルフールも実は友人にだまされた。

朝メールが来て、夕方ぐらいに用事が終わるので
一緒にゴハンを食べないかと誘われたのである。

普段はなかなか会うこともままならない友人が、
忙しい時間を縫ってわざわざ誘ってくれたのだ。
去年の秋からそのうち会おうといいつつ、
実現できないまま春を迎えていたのである。
これはなんとかしなきゃと思い、
僕はすぐさま仕事の段取りを整理した。
そして、友人が待ち合わせとして希望した夕方
6時ぐらいに
新宿の伊勢丹に行けるよう都合をつけ、その旨を連絡した。

ら、返ってきたメールには
「タカハシさん、今日はエイプリルフールですよ」と書かれていた。

なんと単純な!!
こんなことに簡単にひっかかってしまう自分自身に
苦笑いするしかなかった。

そんなイカレポンチの僕ではあるが、
不思議なことにインチキ商品を買わされたり、
お金をだまし取られたりしたことは幸いにしてない。
これは仕事柄、
セールストークの裏にある巧妙なウソを察知できるからだと思う。

いまでこそ「正直な広告づくり」を掲げている僕ではあるが、
20年以上にわたる広告屋人生のなかには、
いろいろとインチキ臭い仕事もやった。
自己弁護するわけではないが、
仕事を選べる立場になかったからである。
そんな苦い過去を想い出すとき、
ふと頭に浮かんでくるのがジョン・クーガーの
1982年の大ヒット曲
『青春の傷あと』である。

現在は本名のジョン・メレンキャンプで活動しているジョン・クーガーは、
デビッド・ボウイの敏腕マネージャー、トニー・デフリーズに見いだされ
メイクばりばりのグラムロッカーとしてデビューした。
このときつけられた芸名がジョン・クーガーである。

しかし、ジョン・クーガーはこの名前を気に入ってはおらず、
『青春の傷あと』を含むアルバム“アメリカン・フール”で
正統派のアメリカンロッカーとして大ブレイクした翌年の
1983年、
ジョン・クーガー・メレンキャンプと改名する。
その後は“
The Boss”ブルース・スプリングスティーンや
トム・ペティなどと並ぶアメリカンロックの第一人者として次々と名作を発表。
そして
1991年、
やっとこさ本名のジョン・メレンキャンプ名義で活動を行うようになった。

僕はついついいまでもジョン・メレンキャンプではなく、
ジョン・クーガーといってしまうのだが、
彼も意に添わない歳月を過ごしてきたことが
名前の変遷ひとつからもうかがえる。

このジョン・クーガーの『青春の傷あと』という曲は、
残念ながら映画“ロッキー
3”のテーマソング、
サヴァイバーの『アイ・オブ・ザ・タイガー』に阻まれ、
ビルボード誌のヒットチャートでは惜しくも全米
2位止まりに終わってしまったが、
僕のなかでは
1982年の全米ナンバーワンソングである。
けれん味のないギターサウンドをベースにした骨太なジョン・クーガーのロックは、
いま聴いても血がたぎる。

ところで昨日、僕が務めたモデルはパチプロという設定であった(!?)
とある開運商品の広告に使うらしい。
開運商品を購入した人たちがパチンコで大勝ちを続けているのに対し、
「なんであいつらはこんなに勝ち続けられるのだろう」と
不思議がっているパチプロという設定で写真を撮られたのである。
このパチプロという設定・・・不惑の
40を過ぎても落ち着きがなく、
どことなくインチキ臭い僕のキャラクターにぴったりマッチはしている。
たしかにこの広告のクリエイターが、
モデルとして僕を候補に思い浮かべたくなる気持ちも
同じクリエイターとして理解できなくはない。

だから引き受けたのだが、僕はパチンコを全然しないし興味もない。
でも、渡世の義理とはいえ引き受けた以上は仕事である。
モデルとしてのギャラも発生する。
僕はプロのモデルとして恥ずかしくないよう
ロバート・デ・ニーロばりの役づくりをし、
いっぱしのパチプロとしてカメラの前に立った。

この広告がいつ世に出るのかはいまのところわからないが、
そのうち全国にパチプロとして僕の顔が晒されることだろう。
果たして僕の役づくりはデ・ニーロを超えられたか
?
広告の仕上がりが実に楽しみである。

開運商品というのも実にウサン臭い商品だと個人的には思うが、
それについてとやかくいう立場ではない。
今回はあくまでモデルなのだ。パチプロ役の・・・
()

ただひとつ開運商品についていえることは、
僕は絶対に買わないということである。
ナニを隠そう、そんなモノに頼らなくても僕はここ一番というときに、
自ら運をたぐり寄せられる秘めた力をもっているのだ。

「また、そんな大ボラをこいて」と笑っている読者よ! 友よ!!
本当なのである。

この実例を、近日中にまたここで紹介したいと思う。

けど、すごく小さな運なので、あまり期待しないように()


2008.06