ジョー・ブラウン「ヒア・カムズ・ザ・サン」


昨日の午後、“コンサート・フォー・ジョージ”を観た。
“コンサート・フォー・ジョージ”とは、
ジョージ・ハリソンの
1周忌である20021129日、
エリック・クラプトンの提唱により
イギリスはロイヤル・アルバートホールで開催された
ジョージの追悼コンサートである。

このコンサートの模様は
DVDで市販もされていたのだが、
ついつい買うのをためらっているうちに月日が過ぎてしまっていた。

その“コンサート・フォー・ジョージ”が先日、CSで放映されたのだ。
それで録画しておいたものを昨日、観たというワケである。

昨日、観たのはコンサートの模様に出演者たちのインタビュー等を交えた
ドキュメンタリー番組のようなものだったのだが、それでも十分に楽しめた。


このコンサートに出演していたアーティストは
もちろんジョージと親交のあった人たちばかりで、
ポール・マッカートニーはジョージの代表曲のひとつ『サムシング』を、
リンゴ・スターはジョージも作曲を手伝った『想い出のフォトグラフ』を、
ジェフ・リンとトム・ペティはジョージもメンバーであった
トラベリング・ウィルベリーズの『ハンドル・ウィズ・ケア』を唄うといったように、
次から次へとジョージゆかりの曲を演奏していた。

ジョージ・ハリソンといえば、
やはり『ヒア・カムズ・ザ・サン』を忘れてはいけない。
この曲はジョージも敬愛していたというジョー・ブラウンが唄った。
これが実に素晴らしいパフォーマンスで、僕はその演奏を聴きながら、
明日の元旦の朝は絶対に『ヒア・カムズ・ザ・サン』を
2008年最初の曲として聴こうと心に決めた。

昨日の夜は、年末恒例の伝通院詣りをしてきた。
もちろん、例年のように除夜の鐘もつかせてもらった。
つく前に「今年の厄を祓ってくださいね」と
お坊さんからやさしく声をかけられたので僕は「後厄なんですよ」と応え、
イチニイサンで鐘をついた。
我ながらすごくいい音色だった。
つき終わった後、前述のお坊さんからも「いい音でしたね」と誉められた。

新年早々、お坊さんに誉められるなんて、
実に幸先のいいスタートだとホクホク顔で伝通院をあとにした。

僕は伝通院に除夜の鐘をつきに行くときは、
必ず身につけているものがある。
富士山のイラストとともに「不滅の男」と書かれた赤いものである。
読者よ
! 友よ!! それがナニであるか想像つくだろうか!?
むふふ、つくまいて。

実は、ふんどしなのである。

このふんどしは以前、
エンケンこと遠藤賢司のライブ会場や公式サイトで売られていたのだが、
いまはもう売られていない。
僕は
1丁を着用に、そしてもう1丁を保存用として持っている。

1丁を着用にとはいったものの、
ふんどしをキリリと締める機会などそうあるものではない。
なので僕は年に
1回、大晦日だけこのふんどしを締めて伝通院に出かけている。

こんなことを力説しても仕方がないのだが、ふんどしというのは結構いい。
やはり気持ちが引き締まるような気がするのだ。
日本男児よ!! 勝負パンツなんて、寝ぼけたことをいっている場合ではない。
ここ一番のときは、ぜひふんどしの着用をおススメしたい。

今朝は6時半過ぎに目が覚めてしまった。
カーテンを開けてみたら、実にいい天気である。
西新宿の高層ビル街の彼方には、うっすらとではあるが富士山も見えた。
僕はさっそく『ヒア・カムズ・ザ・サン』を聴きながら素早く着替えを済ませ、
一路日本武道館へと向かった。
武道館前で初日の出を拝もうと思ったのである。

自宅から東京ドーム、そして九段下に至るまで、
幸いにして太陽の姿は見えなかった。
西のそらにはまだ白い月影が残っていた。
100%の晴天に恵まれ、人も車もまばらな元旦の朝。
まさにスキップしたくなるような心地よさであった。
僕は弾むような足どりで、九段下から武道館に向けての坂を登った。

そして武道館に入る少し手前で、
2008年の初日を見た。
実に大きくて力強い太陽だった。

僕はしばし初日に見入った後、武道館の前を通り清水門へと抜けた。
新春の光に照らし出された武道館は、とても美しかった。

初日を見るちょっと前、
僕の前方で若いカップルが
2人で太陽に手を合わせていた。
縁もゆかりもない赤の他人ではあるが、
そんな姿を見ながら、この
2人が今年1年いつも元気に仲良く過ごせるといいなと思った。

皆さんにとっても、この1年が素晴らしい1年であることを心からお祈りしています。
ワッショイ♪


2008.01