ジグソー「スカイ・ハイ」
昨日は朝から大雨であった。
こんな日に限って用事が立て込むもので、
僕は朝から神保町→春日→六本木とかけずり回り、
午後からは立教大学へと出かけてきた。
朝からの雨は午後からますますひどくなり、
おまけに風が強くなってきた。
おかげで僕は池袋駅から立教大学へ向かう道中で、
傘をさしていたにもかかわらず濡れネズミと化した。
そんな荒天から一転、
今朝は朝からスッキリとした秋晴れである。
僕は6時半に起きて、
恒例の週末早朝ジョギングへと出かけた。
ふと上野公園に行ってみたくなり、
まぶしい朝の日差しに向かいながら、
自宅から東に向けて歩を進めた。
不忍池をグルリと1周し、上野公園へと向かった。
公園内では、老若男女さまざまな人が走ったり、歩いたり、
おしゃべりしたりしていた。
雲ひとつない秋晴れの日曜日の朝。
気持ち良くないはずがない。
僕は弾む心でヨタヨタと走りながら、
子どもの頃から大好きだった国立科学博物館に向かった。
博物館の前に展示されているD-51も、
シロナガスクジラの像も朝日を浴びて気持ち良さそうだった。
上野から御茶ノ水に出て、
さらに神楽坂を経由するという意味不明の遠回りをし、
9時半ぐらいに自宅に戻った。
僕の自宅からは歩いて15分ぐらいで飯田橋に出られるのだが、
その途中で以前、気になるお店を見つけた。
“かぶき うぃず ふぁみりぃ”というお店である。
看板のイラストを見る限り、
どう考えてもこれはかつて一世を風靡したプロレスラーのグレート・カブキである。
同じくプロレスラーだったキラー・カーンが
焼き鳥店を営んでいるというハナシは知っているが、
グレート・カブキが居酒屋を経営しているというハナシは知らなかった。
しかし、あり得ないハナシではない。
気になる。どうしても気になる。
しかし、なかなかお店を訪れるチャンスがないまま、時だけが過ぎていた。
先日、撮影の待ち時間にスタッフとお茶を飲んでいたとき、
プロレスの話題となった。
その席上で僕は、この“かぶき うぃず ふぁみりぃ”の話題を出した。
ら、デザイナーが「それ、グレート・カブキの店ですよ。
プロレス雑誌にも載ってましたっす」といった。
そうか! やはりグレート・カブの店だったのか!!
ずっとアタマのスミに抱え続けていた疑問が一気に氷解した瞬間だった。
グレート・カブキは口から緑色の毒霧を吹くことがシンボルであった。
毒の霧である。
読者よ! 友よ!! そんな恐ろしいモノを吐ける人間がこの世に存在すると思うか?
思わんだろう。そう、キミは正しい。
しかし、プロレスの世界ではアリなのである。
グレート・カブキが全日本プロレスに登場した当初、
正体不明のレスラーという触れ込みであった。
実況するアナウンサーも、解説者も「いったい何者なのでしょうかね」と
すっとぼけた発言をしていた。
しかし、みんな知っていたのである。
グレート・カブキが何者であるかを。
でも、プロレスを愛する者どもは、そんな野暮はいわない。
かつて初代タイガーマスクが話題をさらっていたとき、
雑誌フォーカスがマイガーマスクの素顔の写真に
200万円を払うといっていたらしい。
多くのプロレスファンはタイガーマスクの正体が
佐山聡であることを知っていた。
過去のプロレス雑誌等に、その素顔はいくらでも載っていたはずだ。
にもかかわらず、
誰一人としてフォーカスにその写真を渡す者はいなかった。
プロレスを愛する者どもにとって、
何が大切なのかを教えてくれる心温まるエピソードである。
覆面レスラーといえば、
僕はやはりミル・マスカラスを筆頭にあげる。
ミル・マスカラスの覆面のデザインを僕は小学生のころ、
よく教科書やノートに落書きしたものだ。
たぶん、40を過ぎたいまも描けると思う。
ミル・マスカラスの華麗なる空中殺法と、
「千の顔を持つ男」と形容された
試合ごとに異なる覆面デザインのバリエーションは、
少年の僕を夢中にさせた。
プロレスに限らず、ボクシング、K-1など格闘技の試合で
選手が自分のテーマソングに乗って入場してくることが今日では当たり前となっているが、
僕の記憶が間違いでなければ
最初にテーマソングに乗って入場してきたレスラーは、
ミル・マスカラスではなかったかと思う。
曲はジグソーの『スカイ・ハイ』。
いかにも、華麗なる空中殺法を得意とする
ミル・マスカラスにふさわしいタイトルである。
さっそく僕もシングル盤を買い、
マスカラス気分で心躍らせながら聴いていたものである。
しかし、この曲が失恋ソングだったと知ったときは、愕然とした。
これから闘いの場に向かう者が、
なんでトホホな失恋ソングに乗って出て行かなければならないのだ。
きっと、この曲をミル・マスカラスのテーマソングにしようと決めた担当者も、
タイトルだけで決めてしまったのだろう。
その表現に対し、間違いはないか?不都合はないか?裏はキチンととろう。
広告づくりをする上で、
大切な姿勢を僕はこの『スカイ・ハイ』の失恋ソングの一件で学んだ。
正直いってグレート・カブキのお店には、
行ってみたいような、行きたくないような複雑な心境である。
夢は夢として大切にしまっておきたいという無垢な心と、
会いたい、話してみたいという好奇心が自分のなかで、
まさにがっぷり四つ状態で闘っているのだ。
昨日、立教大学で僕は「生きることの意味」について学んできたのだが、
そんなことはそう簡単に答えが出せるものではない。
人生なんて1+1の世界ではないのだ。
それを無理に答えを見つけようなどとするから、
「生きる意味がわからない」といって自殺してしまう人が出てくるのだと思う。
わからなければ、わからないままでもいいじゃないかと思う。
そして、どうしてもわかりたいのであれば、
わかるまで探求し続ければいいと思う。
つくづく思うのだが、現代はまさに2進法の時代である。
ある意味、二者選択を強いられながら人々は生きているような気がするし、
10進法のように123456789という数字の積み重ねがない。
常に0か1かで人は物事を決めなければ気が済まない世の中になっているような気がする。
プロレスは八百長か否かから、
おまえはグレート・カブキのお店に行きたいのか、行きたくないのかまで、
性急に答えを求めようとする世の中に対して
僕は「そんなのどっちもありだと思う」と、のほほんと答えたい。