ジェイムス・ブラウン「サムシング」

その本の存在を知ったのは、先週の金曜日のことだった。
去年の
9月に出版されていたらしいが、
不勉強な僕はその本のことを知らずにいた。
が、知ってしまった以上は居ても立ってもいられなくなった。

僕はその本を手に入れるべく、
土曜日の朝いちばんで神保町へと向かった。

その本のタイトルは“パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ”。
発行元はシンコーミュージック・エンタテイメントである。

パティ・ボイドといえば、かのジョージ・ハリソンの妻だった人であり、
かのエリック・クラプトンの妻だった人である。
いわばロックンロール音楽の歴史を語る上で欠かすことのできない女性であるにもかからわず、
その肉声はほとんど公にされたことはなかった。


2001
1130(日本時間)にジョージが亡くなった際も、
僕が知っている限りでは短いコメントが発表されただけであった。

そのパティ・ボイドの自伝である。
ジョージを愛してやまない僕が読まぬワケにはいくまいて
!!とヘンに息巻きながら、
まるで夏を思わせる強い日差しのなかイソイソと神保町へと向かった次第である。

で、さっそく読んだ。全444ページの分厚い本だったが、
とにかく早く全部を読みたくて読みたくて仕方がなかった。
で、昨日はほぼ徹夜状態で今朝がたついに読破した。

この本にはパティの両親の離婚や初体験、
ジョージそしてクラプトンとの出会いと別れ、
ドラッグ体験などかなり赤裸々なことが綴られていた。
当然、僕も知らない話もたくさんあった。
特に驚いたのは、ジョージとクラプトンの女性関係である。
まあ、ロックスターなのだから、
派手な女性関係も致し方ないのかも知れないが、
それにしてもと思えるエピソードが満載であった。
それはいうなれば仁義なき戦いならぬ「仁義なき情事」といったものだった。


これらのエピソードを読みながら
「ジョージもクラプトンもいいなぁ〜ウッシッシ♪」などとは、
まったく思わなかったことを僕の名誉のために記しておきたい
()

正直にいえば痛々しさすら感じた。

さらに著者であるパティ・ボイドの名誉のためにつけ加えれば、
これはいわゆる暴露本の類いのものではない。

パティ本人も序文に書いているが、
まさに「話すときが来た」という決意のもとに書かれた本という印象を僕は強く受けた。

以前の日記にも書いたことがあるが、
ジョージとクラプトンは
1991年に一緒に来日公演を行っている。
その公演開始
1週間前に放映された“すばらしき仲間U”において
「あのぉ〜大変恐縮なんですが、
2人ともパティ・ボイドさんに曲を捧げていますね」という質問に対して、
ジョージはこう答えている。

「僕が書いたのは、別に彼女についてじゃないんだ。
みんなそういってるけど、違うんだ。ここではっきりさせとくけど。
みんなは『サムシング』だっていうんだろうけど、
そうじゃない。『
Isnt it a pity』って曲は書いたけどね()

「じゃあ、『サムシング』は誰?」とすかさずつっこむクラプトン。

それに対しジョージは「別に…ただの歌だよ」とすっとぼけている。

僕はこの言葉をずっと信じていた。


しかし、パティの本によるとどうも違うらしい。
ジョージがこの曲を書いたのは、
ビートルズが通称“ホワイト・アルバム”をレコーディング中のときで、
ジョージはパティに対し「君のために書いた」と淡々と教えてくれたという。


『サムシング』は、約
150曲のカバーバージョンがあるといわれているが、
ジョージがいちばん気に入っていたのはあの“
JB”こと
ジェイムス・ブラウンのバージョンだという。

ちなみに、僕自身はこのバージョンはあまり好きではない。
なんかジョージの曲特有の繊細さがなく、暑苦しい印象を受けてしまうのだ。
スマヌ、
JB!!

さらにいえば、ジェイムス・ブラウン版『サムシング』は
この話の本筋とはまったく関係がない。
許せ、
JB!!

一方“すばらしき仲間U”においてクラプトンは同じ質問に対し、こう答えている。

「僕は2曲書いてる。いや、もっとだな。
彼女と別れてからも『オールド・ラブ』を書いてる。
いい歌だよ。彼女は僕にインスピレーションを与えてくれた。
僕たち
2人の大切な友人です。いまでも大切な人です」

クラプトンのいう2曲のうちの1曲は、
いわずと知れた『いとしのレイラ』のことである。

「日本公演では『レイラ』を一緒に唄いますか?」という質問に対してクラプトンは
「ジョージはウクレレでやりたいっていうんだけどそれじゃシラけちゃうから、
ジョージがソロでやってもいいんじゃない。僕はスプーンでグラスをたたくから」といい、
ジョージと楽しげに笑い合っていた。

この2人の関係はよくわからない。

『いとしのレイラ』について、パティはこのように書いている。

※筆者注:【 】内の引用はすべて
“パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ”
(シンコーミュージック・エンタテイメント刊より)


1970年の春から夏にかけて、エリックと私は折にふれ二人きりで会った。
(中略)それは、またしても、ロンドンで逢い引きを楽しんでいる時だった。
エリックは、作った曲を聴いてもらいたいと言って私を家に連れて帰った。
(中略)その曲を23回聴かせ、その都度、反応を確かめるために私の顔をじっと見つめていた。
私の頭に最初に浮かんだことは
「ああなんてこと
! これじゃ誰のことを歌っているのかバレバレじゃない」、だった。
望んでいるかどうか自分でもわからない方向に、
彼が私を追い込もうとしているような気がして不安だったのだ。
だが、自分の存在がこのような情熱と創造力を導き出したのだという実感とともに、
その曲は私を打ち負かしたのだった。私はもう抗うことができなかった。】

その夜、というか翌早朝、クラプトンは
「実は白状するけど、お前の奥さんを愛してしまったんだ」とジョージに切り出したという。

パティはこのときのことについて「私は死んでしまいたかった」と書いている。
ジョージは怒り狂い、パティにこういったという。
「それで、君は彼と一緒に行くのか。それとも僕と一緒に来るのか、どっちだ
?

「あなたと帰るわ、ジョージ」とパティ。

パティを車に乗せたジョージは猛スピードで発車させ、
家にたどり着くとパティはそのまま寝室へ向かい、
ジョージは自宅内のスタジオのなかへと消えたという。

さらに“すばらしき仲間U”において。

「たしか『ワンダフル・トゥナイト』もそうでしたよね?」という質問に対し、
クラプトンは「あの曲そうだね」と答えている。
パティとのやりとりを曲にした甘々なバラードだ。

すかさず今度はジョージがつっこむ。
「マネージャーのロジャーのことを唄ってんだろ
()

つられて笑うクラプトン。

本当によくわからない2人である。

パティはこの『ワンダフル・トゥナイト』について、このように書いている。


【それはごくシンプルな曲でありながらとても美しく、
これを聴いては、胸が張り裂けんばかりの思いを、私は長年味わうことになる。
エリックに、その前はジョージに、曲のインスピレーションを与えたことはすごくうれしかった。
といっても、確かに私の何かが彼らにペンを取らせたのかもしれないが、
実際に素晴らしい曲を書いたのは彼ら自身なのだと、やがて感じるようになった。
そんな彼らが鬱状態に陥るのは、物を作り出す過程と関係していたのかもしれない。
クリエイティヴな人なら誰でもが持つ、自分の内面を深く掘り下げ、
それを作品で表現したいという欲求が、きっとそうさせるのだろう。
「ワンダフル・トゥナイト」は、
私たちのあいだがうまくいっていた時のことを痛烈に思い出させる曲だ。
関係が悪くなった時、この曲を聴くのは拷問に等しかった。】

パティはジョージの浮気とヒンドゥー教への傾倒、
そしてクラプトンの浮気とアルコールやドラッグの依存症に悩み、苦しみ抜いた末、
彼らとの別れを決断した。
それは本当につらい決断であったであろうことは男性の僕でもわかる。

あれは、なんのときの写真かは憶えていないのだが、
ある本にジョージが女性と手をつないで仲良く船を降りている写真が載っていた。
その
3歩後ろにパティが写っていた。
写真で見るパティの顔は、深く沈んでいた。
僕が少年時代に憧れたキュートなパティの表情はどこにもなかった。

ジョージを愛してやまない僕も、
さすがにこのときばかりは言葉を失ったことを憶えている。

ジョージと別れ、クラプトンと別れたパティはその後、
フォトグラファーとして活躍している。

1人のプロとして、その充実した毎日は次のパティの言葉からも見て取れる。

【長いあいだ、私は有名な男性の妻だった。
扉が開かれ、レッド・カーペットが敷かれるのは、私自身のためではなかった。
誰もがジョージとエリックを敬う時、私は二歩後ろを歩いていた。
私と話すことはあっても、それはたいてい私の夫たちに近づく手段としてだった。
こうして自分がプロとして認められ、まじめに作品を取り上げてもらうのは、
なんて気持ちのいいものなんだろう。】

さらに、パティはエピローグでこうも語っている。

【二人の並外れて創造性豊かなミュージシャンのミューズとなり、
美しく、力強いラヴ・ソングを書いてもらえたことは言葉にならないほどうれしい。
でも、おかげで世間の期待を一気に背負う羽目にもなった。
本当の自分は違うということを、私は密かに知っていたのだ。
だけど、完璧で穏やかで、どんな状況も理解し、
何も要求しないが、あらゆる幻想を実現する存在でなくてはいけなかった。
それは主張をもたない人間だ。しかし、そんなものは現実的ではない。
そんな完璧さを満たす人など一人もいない。
今の私は自分らしくいられると感じているが、
そのことを発見するのにかなり時間がかかったし、
自分は誰なのかという答えを見つけるのには、さらに時間が必要だった。
なぜなら、私の中の“私”は随分長いあいだ姿を隠していたからだ。
(中略)人生のほとんどを他の人たちが期待する私として生きてきた。】

そして、エピローグの最後はモデル時代の自分といまの自分を対比した
こんな言葉で結ばれている。

【モデルとして成功すればするほど、自分の不完全さが気になって、不安が増していくのだ。
他のモデルを見れば、目に入るのは彼女たちの完璧さばかり。
つまり、常に自分より遥かに魅力的な、もしくは魅力的に思える人たちと一緒にいることになるのだ。

でも、私はそういう風に考えるのをやめたし、心配するのもやめた。
いまだに靴には目がないし、服を買うことはこれからも大いに楽しむだろう。
外出する時は、自分の容姿を整えることに労を惜しまない。
でも、今は中身の方が遥かに大事だということを知っている。
今の私は、近所の店にジャージ姿でノー・メイクのままで行ってもまったく平気だ。
実際時々、知らない誰かに「パティ・ボイドじゃない
?」と言われることがあるが、
にっこり笑ってこう答えることができる。「そう
! 私はパティ・ボイドよ!」と。】

素敵である。素敵すぎる。

僕はこの本を知ってつくづくよかったと思った。
そして、これは男性の僕が読むよりも
女性が読んだ方がきっとインスパイアされることが多いのではないかと思った。

この444ページにも及ぶ本のなかで、
いちばん印象的だったのがジョージとの別れについてパティが語った言葉である。

パティはジョージとは別れるべきではなかったといっていた。
なぜならジョージとは魂でつながっていたから、という。

女性が男性に対して、あるいは男性が女性に対して、
それがたとえ誰であれ「魂でつながっている」と思える相手がいる
(または、いた)人は
いったいどれだけいるのだろうか
?
そんな風に思える相手を持てる人生は、
まさにジョージ・ハリソンの歌ではないが「美しき人生」だと思う。

ジョージ・ハリソンの『美しき人生』のサビの部分はこんな歌詞である。
 And tell me
  
What is my life without your love?

 And tell me

    Who am I without you by my side?

『美しき人生』は美しきパティに捧げられた曲だと、僕は信じている。


2009.04