ジャム「ビート・サレンダー」


今日は大塚の阿波踊りである。

が、僕は行かない。
静かに「あれから、もう
1年になるのか」と追憶にふけっている。


僕が先月まで勤めていた会社のメインクライアントの本社は大塚にあった。
創業当時からお世話になっている、
そのメインクライアントの
Y社長と元勤務先の関係は、
まさに親分子分のようであった。
親分のいうことは絶対で、
子分はどんな無茶な注文にも「ハイ」と大きな声で返事をして、
すぐに実行しなければならない。
当然、仕事は混乱と困難を極めた。

僕はY社長と元勤務先との関係を
なんとか正常なビジネスの関係にしたいと常々思っていたのだが、
元勤務先の社長および
GMはビジネス以外でもY社長にベッタリだったので、
とてもそんなことは不可能であった。

去年の夏、
このメインクライアントの営業担当だった
GMY社長の逆鱗に触れ、
出入り禁止を申し渡された。
しかし、仕事は進んでいる。
というか、納期が決まっている仕事だ。
進めないとまたエライことになる。

本来であれば元勤務先の社長が営業担当として動いてくれればいいのだが、
元勤務先の社長は社長で巧みにその役目から逃げた。
お鉢がまわってきたのは、僕である。

Y社長のもとには何度か一人で行ったことがある。
しかし、その度になんやかんやと修正指示を出され、
トホホな気分で会社に戻った。
そんな経験を何度か繰り返すうちに、
僕はひとつの野望を抱いた。
Y社長から、一発OKを絶対にもらってやる」

メインクライアントの社長に怒られ、
担当営業が出入り禁止と会社としてはピンチであったが、
僕にとっては千載一遇のチャンスである。
いまこそ積年の恨みを晴らす、
否、積年の野望を果たすときだ。
本能寺を襲うと決意したとき
「時は今 天が下しる 五月かな」と詠んだ明智光秀ではないが、
まさに「時は今」であった。

しかし、Y社長はそんなに甘くない。
難攻不落であった。
何度か単身乗り込んでいったものの、
そのたびに「ああせい、こうせい」というご指示を頂戴して帰ってきた。
が、そのご指示は、いつものように理不尽なものではなく、
僕はある種の手応えを感じていた。
「次は絶対にいける」

夜も朝も昼もずっとデザイナーたちの真後ろにつきっきりでこと細かに指示を出し、
完成させたデザイン案を持って、
僕は去年の大塚の阿波踊り当日、
Y社長のもとへと乗り込んだ。

Y社長は、僕が差し出したデザイン案を黙ってずっと見ていた。
僕は身じろぎもせず
Y社長のリアクションを待った。
長い沈黙が続いた。
その間ずっと、
Y社長は何かと闘っているようであった。

「ええんやないの」とY社長が観念したように、
僕にデザイン案をつき返した。
僕は「ありがとうございます」といって深々と頭を下げた。

「どうも今回は気合いが入らんわ」とY社長は誰にいうともなく
負け惜しみのような言葉を吐いた。
しかし、僕はそれが
Y社長なりの僕に対する労いの言葉に聞こえた。

Y社長が社長室に入ったあと、
ことの成り行きをかたずを飲んで見守ってくれていた社員の方たちが、
僕のまわりに次々と集まってきて
「よかったね」「おめでとう」と口々にいってくれた。
こんなにスムーズに
Y社長からOKをもらえるのは、
奇跡に近いのである。
それだけにまわりの社員の方たちも心から僕を祝福してくれたのだ。

阿波踊りでにぎわう大塚の駅前を歩きながら、
僕はある感慨にふけっていた。
「もうこの会社で、やるべきことはやり尽くした」と思ったのだ。

1982年、
ポール・ウェラー率いるジャムは人気絶好のなか、解散した。
解散理由についてポール・ウェラーは
「ジャムでやるべきことは、すべてやり尽くした」とコメントした。

ジャムのラストシングルとなった『ビート・サレンダー』は、
とても解散するバンドの音とは思えないほど躍動感に満ちていた。
続けようと思えばいくらでも続けられる。
しかし、それを自分の信念に基づいて惜しげもなく捨てる。
僕はポール・ウェラーの潔さと勇気に武士道を見たような気分になったものだ。

ジャムを解散後、ポール・ウェラーはスタイル・カウンシルを結成。
成功と挫折の後、ソロとして再スタートを切り、
いまも多くのミュージシャンやロックンロール音楽ファンからリスペクトされている。

いつのときもポール・ウェラーという人は、ポール・ウェラーであった。
人間としてブレがないのである。
それを頑固という人もいよう。
でも、ポール・ウェラーを愛する人たちは、
そのポール・ウェラーの頑固さを愛し続けてきたように思う。

やるべきことはやり尽くしたと感じた去年の夏から丸1年。
季節はひと巡りし、僕の環境も大きく変わった。
やるべきことをやり尽くしたどころか、
いまの僕にはやるべきことが山積みである。
仕事においても、また新たな無理難題が次々と生じてくるやも知れない。


でも、あの
Y社長と正々堂々とわたり合えたのだから、
僕はきっと大丈夫だと思う。
その自信と誇りは、僕のなかの大きな財産である。
その財産を与えてくれた
Y社長には心から感謝しているし、
いつかまた一緒に仕事をして恩返ししたいなと思う。

その日がくるまで、
僕は僕で、自分を偽ることなく、成長を続けたい。


2007.08