ジャックス「花が咲いて」


1994
年の311日は、今宵訪れる初体験の瞬間に
朝からドキドキしていた。
早川義夫さんのライブが行われるからである。

早川さんは日本で最初のロックバンド、
ジャックスで
1968年にレコードデビュー。
オリジナルアルバム
2枚を発表したあとジャックスは解散し、
早川さんはソロアルバム
“かっこいいことはなんてかっこ悪いことなんだろう”を
1969年に発表した。
その後、早川さんはレコードディレクターとして
岡林信康、加川良などを担当した後、音楽業界を引退。
川崎市内で本屋さんを経営していた。

僕がジャックスを知ったのは1985年のことである。
この頃、ジャックスの再評価ブームが起き、
その後過去の音源をまとめたレコードや資料本などが次々と発売された。

当時、遠藤ミチロウが
ジャックスの『マリアンヌ』をカバーしていたことも関係あってか、
ジャックスは日本のパンクの元祖的な喧伝のされ方をしていた。
これは僕もチェックしておく必要があると思い、
さっそくジャックスのレコードを購入してきた。

針を下ろした瞬間、
全身に冷水を浴びせられたかのようであった。
背中をスーッと冷たいものが走り抜けた。
こんな曲はいままで聴いたことがなかった。
ドアーズよりすごいと思った。
僕はいっぺんでジャックスに夢中になった。

書店を経営していたとき、
早川さんは“僕は本屋のおやじさん”という本を出版した。
この本はベストセラーとなり、
たぶんいまも絶版にはなってないと思う。

しかし、音楽については常に距離を置いていた。
僕は早川さんが再び唄いはじめてくれることをずっと願っていたものの、
それは叶わぬ願いだと思っていた。

そんな僕に、
「昨日テレビで早川義夫がピアノを弾きながら唄っていた」
と教えてくれたのは、友人のキクティーニであった。
僕は、まさか
!?と思った。
しかし、キクティーニはそんなことでウソをつくような人間ではない。
僕からイヤになるほどジャックスの素晴らしさを聞かされていた人間なのだ。
そんな人間が、僕に対して間違った情報を与えるワケがなかった。

僕は知らなかったのだが、
この時点で早川さんのカムバックは着々と進んでいたのだ。


当時はいまのようにインターネットで
いとも簡単に情報収集ができる時代ではない。
僕は五感を研ぎ澄ませて、
早川さん関連の情報にアンテナを張りめぐらせた。
そしたら、雑誌“太陽”の新聞広告に早川さんの名前を見つけた。

僕はその日のお昼休み、すぐに書店へと走った。
“太陽”には早川さんの写真とともに、
インタビューが掲載されていた。
夢中で読んだあと、
最後に別枠でライブ情報が掲載されていることに気がついた。

なんと!
312日、
江古田の
Buddyというライブハウスで
早川さんのライブが行われるというではないか
!!
待ちに待った瞬間だった。
早川さんの歌が生で聴けると思ったら、
全身が震えてきた。
大げさな表現でもなんでもない。
僕にとって早川義夫というのは、
そのくらいのアーティストであったのだ。
ある意味、ジョン・レノンが
“ダブル・ファンタジー”を出したときより興奮するニュースだった。

さっそく“太陽”の記事に掲載されていた、
お問い合わせ先に電話をしてみた。
電話に出た人は、
312日のチケットはもうソールドアウトだと僕に告げた。

読者よ!友よ
!!
このときの僕の落胆ぶりを想像してみてほしい。
わずか数分の間に、
僕は人生のなかでも指折り数えるくらいの最高と歓喜と、
最悪の落胆を体験したのだ。

僕は
受話器を握りしめたまま、
「はあ〜、そうですか」と力なく返事をし、
受話器を置こうとした。

次の瞬間、
受話器の向こうから弾んだ声が聞こえてきた。
「いやあ、実はですね、
12日の分は売切れてしまったのですが、
あまりに反響がすごいので急遽
11日に
追加公演を行うことになったんですよ」


聞けば、
11日のチケットはまだ余裕があるという。
僕に再び歓喜の瞬間が訪れた。
天は我を見放してはいなかったのだ。
僕が弾んだ声で、
すぐさま予約手続きをとったのはいうまでもない。

で、迎えた311日。
僕は仕事もそっちのけで、江古田へと急いだ。
しかし、
Buddyの場所がわからない。
焦るタカハシ
28歳。
仕方なく、近くにあった交番で場所を聞いた。
「あ〜あそこだよ」といって指さされた先に、
煌々と光る
Buddyの看板があった。

きっと僕以外にも何人かが尋ねたのだろう。
交番の警察官は「今日はなにかあるの?」と聞いてきた。
「何かあるのも何も、早川さんのライブがあるんだよ。
今日はどえらい日なんだぞ」といってやろうと思ったが、
開場時間も迫っていたので僕はお礼をいうなり
Buddyへと走った。

急いで店内に入ろうとしたら、
店員同士の話し声が聞こえた。
「早川さんて、そんなにすごい人なんですか?」と
若い店員が先輩店員に聞いていた。
僕はその声を聞きながら、
いまにわかるって、と心の中でその店員に声をかけた。

店内は後ろの方は椅子席で、
前の方は桟敷席になっていた。
僕はせっかくなんだからと、
早川さんが座るであろうピアノの真ん前のスペースを確保した。

ステージまでは距離にして
23メートルである。
そんな至近距離で早川さんの歌を生で聴けるなんて。
僕はまだ自分がその場にいることが信じられない気持ちであった。

7時半、
バックを務めるメンバーがステージに出てきた。

しばしの静寂のあと、
ステージへと向かう早川さんの足音が聞こえてきた。
僕の心臓は、
その足音に合わせて高鳴った。
この瞬間をずっと夢見てきたのだ。

数秒後、
ビートルズのようなエリなしのスーツに
Tシャツ姿の早川さんがステージに現れた。
そして静かにピアノの前に座った早川さんは、
深呼吸をしたあと、鍵盤に手を置いた。

流れてきた音は、
ジャックスの
2枚目のアルバム
“ジャックスの奇跡”に収録されている『花が咲いて』であった。

演奏する早川さんの指は心なしか震えていた。
僕は早川さんの指先を見つめながら、
この日本のロック史上最大の奇跡といってもいい、早
川さんのカムバックに立ち会えたことを心からうれしく思った。

 深いどこかで花が咲いて 鳥も虫も飛んできて

 花が咲いて咲き誇り 夢をつぶしたとき

 足でつぶしたとき 悲しい僕が 悲しい僕が咲いた

 深いどこかで花が咲き終わり 鳥も虫も去ってゆき

 花が咲き終わり 花が咲き終わり

 僕は死ねないのさ 僕は死ねないのさ

 花でも鳥でも何でもないのさ

  (作詞・早川義夫)

僕は、あとにも先にも、
これほど聴く者を圧倒するライブのオープニングを経験したことがない。
ライブ中、ひと言もしゃべらず唄い続ける早川さんは、
神々しいほどであった。

「いつかこんな日がくるのを信じて、ずっと待っていました。」

終演後、ライブ会場で配られたアンケートに僕はこう書き、
なんかすごいものを目撃してしまったような高揚感に包まれながら会場をあとにした。

あれから13年。
季節はまた、春がやってきた。


2007.03