J・ガイルズ・バンド「堕ちた天使」


僕の知り合いに、
同級生の女の子が
AV女優になったという人がいる。
同級生のあられもない姿を、時を経てから観るというのは、
なんとも複雑な心境であろう。
それが学生時代に憧れていた女性であればなおさらだ。

それに似たシチュエーションの歌が1981年、
全米ナンバーワンヒットとなった
J・ガイルズ・バンドの『堕ちた天使』である。
ずっと憧れていた天使のような女の子が、
雑誌のグラビアでヌードになっているのを
たまたま見てしまったオトコの心情を唄っている。

 
 
My blood runs cold,(血の気が引いた)

 my memory has just been sold(想い出は裏切られた)

 Angel is a centerfold(ボクの天使が雑誌の見開きで脱いでいる)


この『堕ちた天使』の原題“
Centerfold”は
雑誌のセンターページのことなのだが、
センターページのヌード写真
(そのモデル)という意味もある。

僕は高校
1年生のとき、英語の辞書を引いて、
この意味を知った。
この曲と出会わなかったら、
この意味を知ることもなかったろう。
いいことを教わったもんだ、ウッシッシ。

いわゆる裏モノを含むアダルトビデオが話題になりだしたのは、
1982年ぐらいだったと思う。
当時は今日のように市民権を得てなくて、
アダルトビデオはアンダーグラウンドなものだった。
当時のビデオデッキはまだまだ高価で、
いまのように
1家に1台はおろか1部屋に1台なんていう時代ではなかったのだ。
もちろん、わが家にもなかった。

そんな時代だから、アダルトビデオなんて夢のまた夢。
トヨタ自動車の広告コピー「いつかはクラウン」ならぬ
「いつかはビデオデッキを買って
AV観賞」ってなもんだった。

後から知ったことだが、
松下電器が家庭用ビデオデッキの販促品として、
代々木忠監督・愛染恭子主演のアダルトビデオをつけたところ
2万台があっという間に売れたという。
松下電器は実にユーザー心理をついた
効果的なキャンペーンを行ったものだと感心したものだ。

80年代半ばから後半にかけて、
ビデオデッキの普及とともにアダルトビデオは隆盛をきわめる。
数々の名作が生まれ、人気女優も数多く誕生した。

しかし、僕はほとんどアダルトビデオというものを観ていない。
別に高潔な人間を気取っているワケではない。
本当に観なかったのだ。なぜか?

「観るより、やれ!」が僕の人生訓だからである()

いまから10年ぐらい前のことだったと思うが、
仲間たちと
80年代のサブカルチャーの話になった。
仲間たちは異口同音に代々木忠監督の“ザ・オナニー”や
村西とおる監督と黒木香の“
SMっぽいの好き”などの衝撃について、
我がポコチンよ!天まで届けとばかりに
口角泡を飛ばしながら熱く語っていた。

僕はそのどれも観ていず、
話に全然ついていけなかった。

仲間たちは僕がアダルトビデオに疎いと知るや、
いっせいに非難しだした。
僕はあの時代に
10代・20代を過ごしていながら、
アダルトビデオを見過ごしていた自分自身を責めた。

いまからでも遅くない。
とにかく“
SMっぽいの好き”を観なければと思い、
歌舞伎町に行き、中古ビデオ屋をまわった。
どこかに、中古品が出回っているのではと期待したのである。

何件かまわったところで、ついに見つけた。
はじめて手に取る“
SMっぽいの好き”のパッケージは、
ズシリと重かった。
まるで宝物を見つけたような気分で、
パッケージに張ってあった価格シールを見たら、
19,800円と記されていた。

僕は悩んだ。
このビデオを買えるだけのお金はもっていた。
しかし、この価格に見合うだけの価値が
果たしてあるのかという疑問がふつふつとわき上がっていたのである。

読者よ!
友よ!! 想像してみてほしい。
歌舞伎町の狭い店内の片隅で、
アダルトビデオのパッケージを手に、
「買うべきか?買わざるべきか?」と自問自答している
30オトコの姿を。

基本的に僕はモノを買うとき、あまり悩みはしない。
どちらかといえば即断即決型である。
その僕がこれほど悩むということは、
それは買わないほうがいいのだという結論に達し、
僕はやっと見つけた“
SMっぽいの好き”のパッケージを静かに棚に戻した。

こうして僕と“SMっぽいの好き”の短い邂逅は幕を閉じた。

人生とは面白いもので、
その後、僕は一度だけ村西とおる監督とお会いしたことがある。
その際、監督の最新作を
1本頂戴してきた。
はじめて観る村西監督作品であった。

情けないことにアダルトビデオではなく、
テレビや書物を通して僕が見聞きしていた村西節は、
その作品でも健在であった。

テレビ画面いっぱいに映るセーラー服姿の女の子を眺めながら
でもやっぱり、こういうのは
10代のころに観たかったと思ったのも事実である。


2007.07