泉谷しげる「翼なき野郎ども」

読者よ! 友よ!! 1984年というと、何を思い出すだろうか?
ロス疑惑なる、いまにして思えばいったいあれは何だったんだろうという
大騒動で幕を開けた年だ。

1984年といえば、国内の音楽シーンでは
吉川晃司やチェッカーズが台頭し、
松田聖子や中森明菜はまだまだ全盛期であった。

僕が大好きな佐野元春が
ニューヨークでレコーディングしてきた“VISITORS
をひっさげて
日本の音楽シーンに華々しく戻ってきたが、
我らがジュリーは低迷期に入っていた。

一方、海外では
The Boss”ブルース・スプリングスティーンの“Born In The U.S.A.をはじめ、
プリンスの“Purple Rain
、ヴァン・ヘイレンの“1984
ジョン・レノン&オノ・ヨーコの“Milk and Honey

シンディ・ローパーのデビュー作、映画“Footloose
のサントラ盤など、
大ヒットアルバムの大豊作の年だった。

さて、この年の31日、僕は高校を卒業した。
まさにこの当日に発売されたのが、
泉谷しげるの“REAL TIME
という2枚組のライブアルバムである。
このアルバムのラストに収められているのが『翼なき野郎ども』という曲で、
僕にとって
1984年、もっとも印象に残り、もっとも聴きまくった1曲である。

『翼なき野郎ども』は、
石井聡互監督の名作映画“狂い咲きサンダーロード”のエンディング曲でもあり、
1980年にリリースされた池袋は文芸坐でのライブを収録した
『泉谷しげるオールナイトライブ』にも収録されていたが、
僕はこのバージョンがいまだに一番好きだ。

東京は目黒の青葉台で育った泉谷の歌は、
東京という街と、東京という街で生活している者どもへの愛が込められていると思う。

「地鳴りする都市よ なぜ俺に力をくれる
 風にならない都市よ なぜ俺に力をくれる
 おーイラつくぜ おー感じるぜ
 とびっきりの女に会いにいこう
 とびっきりの女に会いにいこう」
(作詞・泉谷しげる)

18歳の僕は、よくこの歌を口ずさんだり、口笛で吹いたりしながら、
歌舞伎町をうろついたものだ。
そして深夜の青梅街道を歩いて、
念願のひとり暮らしをはじめた中野の超おんぼろアパートに帰った。

途中、西新宿の高層ビル群を見上げると、
夜間飛行の事故防止のためにビルのてっぺんにつけられた赤いランプが、
まるで巨大ビルの寝息のように思えた。
それは無機質な建造物とは真逆の、
体温のようなぬくもりを僕に感じさせてくれたものである。


厳密にいえば、僕は神奈川生まれなので東京人ではないが、
人生の半分以上を東京で暮らしてきた。
僕にとって、やはり東京という街がいちばん好きだし、いちばん落ち着く。

よく、東京の人は冷たいとか、東京は住みにくいという人がいるが、
それは東京が悪いのではなくて、その人個人の問題だと思う。

一昨日、取り上げた遠藤賢司の『東京ワッショイ』の歌いだしはこうだ。
「甘ったれんなよ 文句をいうなよ 嫌なら出てけよ」(作詞・遠藤賢司)


まさに、そのとおりだと思う。
泉谷も雑誌のインタビューで
「そんなに東京が嫌なら帰りゃいいんだよ。傷ついてさ」というようなことをいっていた。
また、タケちゃんのトーク番組では
「海だ、山だ、自然だなんていってるヤツより、
俺はやっぱり東京でがんばってるヤツのほうが好きだね」というようなこともいっていた。

現実に異議申し立てをするのは簡単だし、
なにかのせいにして逃避したり、自己正当化するのも楽だと思う。
でも、そんないろいろと面倒くさいことの多い現実の中で、
なんとか折り合いをつけながら、必死になって生きている人たちが僕も好きだ。

REAL TIMEに収録されている『翼なき野郎ども』のエンディングで
泉谷はこう叫んでいる。
「負けんじゃねえぞオマエら! 勝てよ
!! 負けんじゃねえぞ!
 ウダウダ生きてんじゃねえぞ! アバヨ! 泉谷だ
!!


オレは負けない。ウダウダ生きない。
この曲を何度もくり返し聴きながら
18歳のときに誓ったことは、
僕のなかでいまもしっかりと生きている。

泉谷しげるの歌には、やはり愛がいっぱい込められていると思う。


2006.11