石野真子「狼なんか怖くない」


昨日は早起きして
朝からジョギングに出かけたまではよかったが、
全然仕事のアイディアが浮かばず
資料になりそうなものを片っ端から見ながら、
ただただ時間だけが過ぎていった。

当然、何をしても楽しくない。
こういうときは本当につらい。
いままでの経験からして、
何もアイディアが浮かばず迷惑をかけることはないと信じていても、
やはり「今度は本当にダメなんじゃないか」と不安になってしまう。

昨日もそうであった。
焦る自分に何度も何度も「大丈夫、大丈夫」と自己暗示をかけた。

焦っていても仕方がないので、昨夜はグッスリ寝ることにした。
余計なことは何も考えぬようにして、ただひたすら眠った。
ら、目が覚めたときには
日課にしていた“独眼竜政宗”がすでに始まっている時間だった。
どうせ録画しているのである。
慌てて途中から見ることもあるまいと悠然と構え、身支度を整えた。

今朝は8時半に飯田橋で用事があったため、
8時ちょい過ぎに家を出た。
ひと駅だけ電車に乗るのも面倒だったので、
やや小雨まじりのなか、歩いて飯田橋へと向かうことにした。

飯田橋へ向かっている最中も、ずっと仕事のことを考えていた。
春日通りを右に折れ、地下鉄・後楽園駅の改札前を横切り、
東京ドームに向かってヒョコラヒョコラと歩いていたとき、
ついに待ちに待った瞬間が訪れた。

神が降りてきたのである。
ずっと悩み続けていた企画のアイディアが
マトリックスで浮かんできたのである。
もう、これで大丈夫だ。
僕は軽やかな足どりで東京ドームの前を通り抜けた。

用事を済ませ自宅へと戻り、さっそく企画書づくりをはじめた。
アイデアさえ浮かんでしまえば企画書づくりなどはサクサクいける。
あとはひと晩寝かして明日の朝チェックをし、
問題がなければそのまま打ち合わせに持って行くだけである。

広告づくりにおいて、
この「ひと晩寝かす」というのは実に大切なことだと考える。
つくっているときは、あまりにもそのことに集中しすぎてしまっているため、
客観視できないことが多々あるからだ。
これを僕は「真夜中のラブレター状態」と名づけている。

読者よ
!友よ!!
真夜中に一生懸命に書いたラブレターを翌朝読んでみたら、
こっ恥ずかしくて読んでいられなくなったという経験はないだろうか
?
僕はあるぞ()

気持ちが先走ってしまっているため回りくどい表現をつかったり、
独りよがりな言い回しをしたりすることが往々にしてある。
それを仕事でやってしまうと、
クライアントの
OKはまずもらえないし、
仮に何かの間違いでクライアントの
OKをもらったとしても
消費者の心には響かないと思う。

僕らの仕事はいってみれば、
最終的に消費者とクライアントが付き合えることをサポートする
口説き代行業である。
そのためにまずはクライアントを
「こういうやり方でいきましょうよ」と口説き落とし、
僕らが考えた戦術にのっとり今度は消費者の口説きにかかる。

そのためのツールが企画書やコピー
&デザイン案なわけで、
その役割はまさにラブレターと同じようなものである。

苦しんで考え抜いた今回の企画書が、
ひと晩寝かすことでいい感じに熟成されることを願うばかりだ。
そして多くの人がこのラブレターを目にし、
それによって
ちょっとだけでも人生が楽しくなってくれることを祈らずにはいられない。


古今東西、ラブレターをタイトルに関した名曲は多い。
僕がパッと浮かぶのはジュリーの『渚のラブレター』であるが、
今日はジュリーが主役ではない。

何年前だか忘れてしまったのだが
LOVE LETTERS”という朗読劇をパルコ劇場に観に行ったことがある。
これはアンディとメリッサという
2人の
50年以上の長きにわたるラブレターのやりとりを朗読するというもので、
これまで何度も舞台化されているので観たことがあるという方も多いと思う。

なにゆえ僕が“LOVE LETTERS”を観に行こうかと思ったかというと、
女優の森口瑶子さんが観たくてである。
僕は彼女の大ファンなのだ。

憧れの女優さんを生で観られるのだ。
これは行かねばなるまい。

このときは出演者が日替わりで何日間か上演されていた。
僕は森口瑶子の出演日をちゃんと確認してチケットを手配した。

はずなのに…ナンと僕が手配した公演日の出演者は、
黒田アーサーと『ジュリーがライバル』などという
フザけた歌を唄っていたことのある石野真子であった。
なんたる不覚。
おっちょこちょいですっとこどっこいなのにもほどがある。
なぜ僕はこうも慌てん坊で落ち着きがないのだろうと我が身を呪いつつ、
仕方なしに黒田アーサーと石野真子が出演する“
LOVE LETTERS”を観るため、
ホテホテと渋谷の公園通りを歩き、パルコ劇場へと向かった。

石野真子が『狼なんて怖くない』でデビューしたのは
僕が中
1のときである。
以来、僕のまわりには熱烈的な石野真子ファンが多かったのだが、
僕はまったく夢中になれなかった。
「どこがいいのよ、石野真子」などと友だちに憎まれ口をよく叩いては
顰蹙を買ったものだ。
ので、この“
LOVE LETTERS”にもまったく期待していなかった。

結論からいえば、生で観た石野真子はめちゃめちゃキレイだった。
僕は舞台の上の石野真子をポカーンと見上げながら、
ひょっとしたら石野真子ファンの友だち連中をずっとバカにしていた僕は
間違いだったのではないかと思った。
以来、僕は石野真子に対して否定的な発言はいっさいしないようになった
()

それにしても、こんなにかわいい女性の昔からの大ファンで、
念願かなって嫁にしたというのに、
DVの限りを尽くしあっという間に離婚した長渕剛という男も
なんだかなという気がする。
男と女である以上、ケンカするのは仕方ない。
許せないぐらい腹を立てるときもあるだろう。
でも、
DVはよくない。
絶対によくない。

いま現在、DVに苦しめられている女性たち、
そして過去に苦しめられた女性たちに対して僕個人ができることなど、
ほとんどないに等しい。
できたとしてせいぜい、そうした女性の1人と付き合って
傷を癒してあげられるよう努力するのが関の山だ。

しかし広告を通じてなら、
そうした人たちを元気づけてあげられるかも知れない。
DVの経験を通じて心に傷を負った人たちの人生が、
僕がつくった広告を通じて少しでも人生が楽しくなったら素敵なことだと思う。

それは決して夢物語ではない。
現実に起こりうる話である。

知らないどこかの人たちの人生にコミットする仕事…それが僕の仕事だ。

アイディアが浮かばないという苦しみをひとつ通り抜け、
躁的なまでにやる気になっている今日の僕である。


2007.08