一風堂 「ブラウン管の告白」


“発掘!あるある大事典2”のインチキ問題で
関西テレビが揺れているが、
僕はこの番組を一度も見たことがない。
なので、そんなことは別にどうでもいい。
放送倫理がどうだとか、
番組の制作体制がどうのこうのなんてのは、
他の人に語らせておけばいい。

で、僕は何を語るのか!?
“発掘!あるある大事典
2”と同じ枠で、
関西テレビがかつて制作していた“花王名人劇場”についてである。

僕は子どもの頃からお笑いが大好きで、
お笑い番組をよく観ていた。
いまだに日曜日は“新婚さんいらっしゃい!”と
“笑点”は都合がつく限り観ている。

花王名人劇場は、関西テレビの制作だけあって、
上方落語の大御所もたくさん出演していた。
この番組で僕は米朝師匠を知り、故枝雀師匠を知った。
この番組によって、僕はいろいろと新しい世界を知ったのだ。

“花王名人劇場”のエンディングでチラリと流れていた曲が
『ブラウン管の告白』である。

『すみれ
September Love』の大ヒットでおなじみの、
あの一風堂の曲だ。

『ブラウン管の告白』は
1980年に発表された
一風堂のデビューアルバム“NOMAL
に収められている名曲であるが、
広く一般に知られている曲ではなかった。
その曲をエンディングに使用するなんて、
なかなかのセンスである。
なにを隠そう、僕は一風堂のなかでは、
この曲がいちばん好きなのだ。

一風堂は土屋昌巳(VoG)、見岳章(Key)
平田謙吾
(B)、藤井章司(D)4人でデビューしたが、平田謙吾が脱退。
『すみれ
September Love』のヒット当時は、3人編成であった。

しかし、その直後、藤井章司も脱退。
土屋昌巳と見岳章の二人だけで活動を続けていたが、
1983年にリリースされた初のライヴアルバム“live and zenを最後に活動を終了。

解散後、土屋昌巳は“夕やけニャンニャン”や“オールナイトフジ”に出演するなど、
度肝を抜くような活動の傍ら、ミュージシャンとしても活動を続け、
いまなお高い評価を得ている。

一方、見岳章は作曲家に転身。
秋元康とのコラボレートで、数々のヒット曲を生み出した。
美空ひばりさんの『川の流れのように』も、そのひとつである。

花王名人劇場は終了した。
一風堂は解散した。
虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残すというが、
制作者はもうひとつ、作品を残すことができる。

であれば制作者は、
真摯に作品づくりに取り組まなければならない。

亡くなった杉山登志さんの言葉どおり、
ウソはバレるのだ。

 

2007.02