広瀬香美「愛があれば大丈夫」

昨日、第
2回ワールド・ベースボール・クラシックに出場する
日本代表のメンバーが発表された。
そのことについて先週、
ニュースを観ていたらイチロー選手がインタビューのなかで、
こんな発言をしていた。

28人の代表枠に生き残ることしかいまは考えていないと、
イチロー選手はすごく真剣な表情で語ったのだ。

それに対し、インタビュアーは
「イチロー選手が代表枠を外れることはないでしょう」ということをいった。
それは至極まともな意見に聞こえた。

しかし、その言葉に対してイチロー選手は毅然とした態度で、
「いや僕はそんな風には思っていない。他の人たちがどう思おうが、
少なくとも僕のなかでは生き残ることしか考えていない」と答えていた。

そこに謙遜の空気はまったくなかった。
イチロー選手は本気で、
いまの自分は代表候補
33人のなかの1人にしか過ぎないと考えていることが
ひしひしと伝わってくる、鬼気迫るようなインタビューであった。

イチローという選手は、もちろんすごい選手だということは理解していたつもりだが、
あらためてこの言葉でイチロー選手の「凄み」を知ったような気がした。

先週の金曜日、
午前中一緒に打ち合わせに出かけたデザイナーがいみじくもこんなことを話していた。
昨今の厳しい社会状勢を受けて
「これまで大丈夫だったから、これからも大丈夫だなんて保証はどこにもない」と。

言葉は違えど、イチロー選手とそのデザイナーがいっていることは同じことに思えた。
そして慢心してはいけないのだ、とつくづく思わされた。
危機感をもっと持たなくてはダメと思わされた。

僕は楽天家である。
何ごとに対しても、まずは大丈夫、大丈夫とノーテンキに考える人間である。
これは長所である反面、致命的な短所にもなり得ることを、
僕はしっかりと認識しておかなければならない。

あのイチロー選手でさえ「自分に“絶対”はない」と思っているのだ。
僕が“絶対”である保証など、限りなくゼロに等しい。賭けてもいい。

イチロー選手といえば、
ちょうど先日とある仕事で
1994年について調べていたとき、
彼が選手登録名をイチローとしたのもこの年であることを知った。
あれから
15年である。

15年前といえば、僕はあるスポーツ新聞に載ったある写真を、
システム手帳のなかにしまっていまも大切に持ち歩いている。

以前この日記にもチラリと書いたと思うが、
その写真とは
1994116日、
Jリーグの初代年間王者を決める鹿島アントラーズと
ヴェルディ川崎のチャンピオンシップ第
2戦で、
ヴェルディ側に与えられた
PKの判定に対し、
ジーコがボールにツバを吐いたその瞬間のものである。

僕はやるせない怒りを覚えたとき、この写真を見る。
そしてこのときのジーコの心中を思う。

多少の浮き沈みはあったとはいえ、
それでもこの
15年間、僕は好きな仕事を続けてこられた。

それは自分でも幸せなことだと思っている。

しかし、問題はこれからである。
まさに
15年間、これまで大丈夫だったから、
これからも大丈夫なんて保証はどこにもないのである。
そう考えると、さすがのノーテンキ野郎の僕も、恐怖を覚えずにはいられない。
不安という名の雲が、もくもくと心のなかにわき上がってくる。
さしたる蓄えもバックボーンも何もない僕にとって、
いまの仕事がうまくいかなくなるということは即、
生活が立ちゆかなくなることに直結する。

もともと僕はお金のかかる人間ではないと思っているのだが、
それでも家賃は払わなければいけないし、
税金だって収めなければいけない。
光熱費や保険料だって支払わなければならない。

たとえ1日中まったくお金を使わなかったとしても、
支払うべきお金は日々確実にチャリーンチャリーンとカウントされているのである。

それは夢や理想以前の、リアルで切実な現実なのである。
立ちはだかる壁なのである。

だけど、だけれども、である。

悲観するのはよくない。
イチロー選手だって冒頭に挙げたインタビューに答えている最中、
自分自身に対して悲観はしていなかったと思う。
危機感を抱くことと悲観することは違うのだ。

そんなことを考えながら昨日の朝、
まるで春の訪れを感じさせるようなポカポカ陽気のなか、
春日通りをホテホテと歩いていた。
頭上には雲ひとつない、
100%の青空が広がっていた。
僕は
4月になるのを待ち遠しく思いながら、
無限に気持ち良さそうに広がる日曜日の朝の空を見上げつつ、
10代のころに初めて読んだとある短編小説のことを考えていた。

ら、そこでまた、ふと脈略もなく15年前のことが想い出されてきた。
僕がまだかろうじて
20代だったころのことだ。
あれこれとアタマのなかで想い出をかき回していたら、
唐突に
15年前の4月、参列させていただいたとある結婚式で
新婦の友人が広瀬香美の『愛があれば大丈夫』を唄っていたことが
数珠つなぎのように蘇ってきた。

「宇宙の果てから届くメッセージ 
 どんなに迷っても泣いても 愛があれば大丈夫」
(作詞:広瀬香美)という歌だった。


僕はアタマのなかでその歌詞の部分のメロディを奏でながら、
再び心地よい日曜日の朝の空を見上げた。
するとキレイなひこうき雲が真っ青な空に一直線に描かれていた。


ついさっきまで、そんなものはどこにも存在していなかったのに。

僕は奇跡を見たような気分で、しばし立ち尽くした。


2009.02