ハーブ・アルパート「ビタースウィート・サンバ」


ハーイ、夜更けの音楽ファンこんばんは。
朝方近くの音楽ファンおはようございます。
君が踊り僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれる。
太陽のかわりに音楽を!
青空のかわりに夢を!! 
新しい時代の夜をリードするオールナイトニッポン。
Go Go Go and Goes on


これは伝説の名
DJ、糸居五郎さんの
オールナイトニッポンで使われていたオープニングコメントである。
オールナイトニッポンのオープニングテーマ曲であった
ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスの
『ビタースウィート・サンバ』を聴くと、
僕はどうしても糸居五郎さんを想い出す。

糸居さんがオールナイトニッポンを引退したのが1981年、
僕がオールナイトニッポンを聴き始めたのは
1978年であるから、
実質的には
3年間ぐらいしか聴いていない。
しかし、糸居さんの
DJは僕に鮮烈な印象を残した。

僕が糸居さんを知ったきっかけは、
当時、ナウなヤングがよく読んでいた月刊明星という雑誌である。
そこに主なラジオ番組のパーソナリティ一覧が載っており、
オールナイトニッポンの全パーソナリティも紹介されていた。
タモリを筆頭に知っているタレントやミュージシャンたちが名を連ねるなかで、
異彩をはなっていたのが糸居さんである。

名前も聞いたことがないし、
年齢も明らかに他のパーソナリティより上だ。
いったいこの人は何者なんだろう?
少年の好奇心は眠気をも吹き飛ばす。
僕はさっそく夜中
3時に起きて、糸居さんの放送を聴いた。


その放送は、それまで僕が聴いたことのあるラジオ番組とはまったく違っていた。
とにかくレコードをがんがんかけまくり、
英語のようなリズムで語る糸居さんの曲解説がポンポンポーンと入る。
そのDJスタイルは耳に心地よく、実にカッコよかった。
以来、僕は糸居さんの番組を通じ、音楽について多くのことを学んだ。


いつの頃だったかは忘れてしまったが、
テレビ朝日の驚きももの木
20世紀という番組で糸居さんがとり上げられた。
糸居さんの映像を見るのは、はじめてだった。
それだけでも十分価値があるものであったが、
内容も“
Less talk,More music”という糸居さんのDJ哲学が
きっちり表現された素晴らしいものであった。

この番組では、糸居さんが50歳の誕生日を記念して企画した
50時間マラソンジョッキーについても紹介していた。
糸居さんがこだわり続けてきた、自分で選曲・構成し、
自分でレコードをかけ、曲を次々と紹介するというワンマン
DJスタイルを
50時間にわたりノンストップで続けたという伝説の特別番組である。

番組中はトイレにまでマイクを持ち込み、
糸居さんは
50時間すべてをひとりで仕切った。
番組のなかでかけたレコードの数は、実に
809曲。
スタジオには万が一に備えて、医師が待機していたという。

僕はこの番組を見ながら、すごい
50歳もいたものだと感服したものだ。

70年代初頭、ラジオはパーソナリティがリスナーからのハガキを紹介したり、
時には人生相談にのったりといった番組が主流になっていた。
そんな風潮も影響したのだろう、
糸居さんは一度オールナイトニッポンを去る。

しかし
3年間の空白期間を経て、
糸居さんはオールナイトニッポンに戻ってきた。

佐野くん
(佐野元春)の『悲しきレイディオ』のように、
「おしゃべりな
DJもういいから いかしたミュージック続けてもっと」
と渇望していたリスナーたちの思いが、
糸居さんをオールナイトニッポンに呼び戻したのだと思う。

そして
1981630日、60歳で番組を引退するまで、
糸居さんは自分のスタイルを貫き通し、
多くのリスナーにたくさんの想い出を残した。
日本で最初にビートルズの『ラヴ・ミー・ドゥ』をラジオで紹介したのも、
糸居さんなのだ。

今日、1228日は糸居五郎さんの命日である。
そして今日は、ディスクジョッキーの日に制定されている。


2006.12