はる「むらさき」


以前、はるというバンドがあった。
このバンドを知ったのは、
僕の先輩が出場した学生バンドコンテストの地区予選であった。

『むらさき』という雅楽調の歌を、
お能のような唄い方で唄っていたバンドで、
僕はそのユニークなスタイルと高い音楽性に注目した。

結果は、はるが
1位、
そして僕の先輩バンドが
2位で地区予選を通過した。

そして全国大会でも、はるがグランプリ、
そして僕の先輩バンドが準グランプリとなった。

僕はロックンローラーではあるが、
実は子どものころ笛や太鼓を少しかじっていたことがあるせいか、
日本的な音楽に弱い。
ついつい聴き入ってしまうのだ。

すっかり気に入ってしまった
はるの演奏をもう一度、観られないものかと
当時発行されていた「シティロード」という
月刊情報誌のライブハウス欄を見ていたら、
渋谷のエッグマンで昼間ライブを行うという情報が小さく掲載されていた。

ライブ当日、僕は1人エッグマンへと足を運んだ。
観客はまばらで、全部で
30人ぐらいだったと思う。
そのライブのなかでヴォーカルの人が、
「今度“大奥十八景”という映画の仕事をもらった」といい『むらさき』を唄った。


僕は、これでまた『むらさき』が聴けると大喜びしながら、
エッグマンをあとにした。

『むらさき』のシングル盤が発売されたのは、
1986年のちょうどいまごろだった。
僕は仕事帰りに新宿のいまはもうなき新星堂でこのレコードを購入し、
何度も聴いた。
仕事で銀座に行った際は、
東映の劇場前で映されていた“大奥十八景”の予告編を
立ち止まって何度も観た。

この“大奥十八景”は、
ひと言でいえばおバカなエロ映画であった。
将軍・家綱役にあおい輝彦、
女性陣も人気アイドルだった辻沢杏子や
まだ新人だった野村真美をはじめ多数出演し、
まさに「大奥十八景」とばかりに艶を競っていた。

この映画で印象的なシーンがオープニングである。
鷹狩りに出かけた家綱が、
たまたま見かけた農家の娘おなつ
(伊織祐未)を野原で手篭めにするのだが、
カメラは途中まで
2人の姿をアップで映していたかと思うと、
どんどんカメラ位置が上昇していき、
将軍と娘の姿はやがて空撮により
緑の生い茂る山野の一部と化してしまう。
そしてバックに『むらさき』のイントロが流れるというシーンは、
実にカッコいいものであった。

が、他には辻沢杏子や野村真美のお色気シーン以外、
たいして観るべきところのない映画だったのが痛い
()

結局この映画は、大ヒットにはいたらず、
はるの音楽もセールス的には成功しなかった。

以来、はるの噂を聞くこともなくなっていたのだが、
その
23年後、内田裕也さんの“ニューイヤー・ロックフェスティバル”に
+Bというバンド名で、
はるのヴォーカルの人が出ているのを観てビックリしたことがある。
音楽性ははるとはだいぶ異なっていたが、
ヴォーカルスタイルは、どことなくはるを彷彿とさせ、うれしくなったものだ。


はるのような音楽は、
バンドとして世に出るために行っていただけなのか、
はるのような音楽が受け入れられないことから
バンドとして生き残るために
+Bに路線を変更したのかはわからない。

デビュー早々、
映画音楽を担当させてもらうという幸運なデビューを飾りながらも、
なかなか音楽の世界で生き残っていくのは難しいものだとそのときに思った。


映画“大奥十八景”が公開されたころ、僕は
20歳だった。
まだまだ駆け出しのアドマンではあったが、
将来に不安はひとつもなかった。

広告業界でこのままなんとか生き残っていけると思っていたし、
これからいい仕事にたくさん携われると思っていた。
名声は得ていないけれども、
この
20年における僕のアドマン人生に悔いはない。

問題は過去20年ではなく、これからの20年である。
20年後も悔いはないと思えるような毎日を
これからも送っていきたいとあらためて思う。

2007.07