ゴールデン・カップス「長い髪の少女」


先週の金曜日、とある知り合いからこんな仰天話を聞いた。
とある女医さんが、
毎月
50万円をあることのために用意しているという。
月に
1回その女医さんのもとを訪れ、
その女医さんにあることをされると
50万円もらえるというのだが、
そのあることとはナント
!爪を剥がされることだという。
この女医さんはサディストなのだ。

読者よ
!友よ!! 
月に
1回爪を剥がされて50万円。
果たして高いと思うか
?安いと思うか?
ちなみに僕なら5億円もらってもイヤである。
痛いのは大嫌いなのだ。

このハナシ、いわゆる都市伝説の類いかもしれないが、
世の中にはいろいろな人がいる。
まったくあり得ないハナシではなかろう。

日曜日はお彼岸の中日ということもあり、
朝から増上寺にお詣りに行ってきた。
自宅から走ってである(!!)

恒例の週末ジョギングの一環として、
せっかくだから走って増上寺まで行ってみようと思い立ってしまったのだ。
春日通りから白山通りに入り、
内堀通りを通って増上寺まで行ったのだが、思った以上に苦しかった。
走っている最中、
何度も「なんでオレはこんな苦しい思いをしなきゃならないのだろう」と自問した。
しかし、走るのはやめなかった。
カッコいいことをいえば、自分に負けたくなかったからである。

爪を剥がれて、その代償として50万円もらう人もいれば、
一銭にもならないのにわざわざ走って増上寺までお詣りに行くモノ好きもいる。
世の中は、いろいろだ。

増上寺に着いたとき僕はTシャツが汗でビッショリになり、
素肌がスケスケのなかなかセクシーな姿であった。
誰も見たくないであろうが
()
汗だくの姿で本堂をお詣りし、
14代将軍家茂公やその奥方・和宮様が眠る徳川家廟所の門前で手を合わせ、
今度は外堀通りを通って帰ってきた。
おかげで昨日から軽い筋肉痛である。

暑さ寒さも彼岸までというが、土曜日はまさに猛暑だった。
僕は土曜日中にどうしてもしておきたかったことがある。
夏が完全に去りゆく前に、
以前から読みかけだった村上春樹訳の
“グレート・ギャツビー”を読み終えたかったのである。

春樹版“グレート・ギャツビー”が発売されたのは、去年の
11月。
それからズルズルと読むことなく月日ばかりが過ぎ去っていった。
別に誰かに強制されているワケではないので、
読まないなら読まないでいいのだが、なんとなくそれはイヤだった。
自分自身のなかでケジメをつける意味でも、この夏中には読み終えたかった。
そして、ギリギリでなんとか間に合った。

“グレート・ギャツビー”は、
新潮社から出版された野崎孝氏版と
角川書店から出版された大貫三郎氏版をかつて読んだことがある。
両著とも一言一句憶えているワケではないので確かなことはいえないのだが、
春樹版の“グレート・ギャツビー”を読んでみて、
なんとなく違和感を覚えた。
ていねいに訳してあるとは思うし、文章も美しい。
なのだが、なんか記憶にある“グレート・ギャツビー”とは違うのだ。
いったいナニが違うのだろうと思っても、明確な答えは見つからない。

しかし、なんかこのままでは消化不良を起こしそうだ。
なんとなく自分のなかで気持ちが悪い。
この違和感をこのままにしていると、
ただ読んだだけという事実だけが残るような気がした。
で、僕はその違和感を解消すべく、
春樹版の“グレート・ギャツビー”をいま再び読み返している。
過去の名著のリメイクとしてではなく、
ひとつの新作として春樹版“グレート・ギャツビー”を咀嚼しようと考えているのだ。

もう
1回読み返してみて、
春樹版“グレート・ギャツビー”について自分なりに整理した上で、
今度は過去の野崎氏版や大貫氏版を読んでみたいなと思う。

とはいえ、また日々の忙しさにかまけてしまい、
あと回しあとまわしになってしまいそうだ。
期限を切らねばということで、
今年中にはなんとかこの
3冊の読み比べを達成したいと思う。

以前、30歳になる前に、
なにか生涯の想い出となるような読書体験をしようと考えたことがある。
そこで僕が選んだのは、
谷崎潤一郎版の“源氏物語”にチャレンジすることだった。
現代語訳なので、スラスラ読めるかなと思っていたのだが、
想像していた以上に難儀なものであった。
僕は源氏物語のガイドブックを片手にしながら、
なんとか
30歳になる直前に源氏物語を読み終えることができた。

僕は基本的に快楽主義者なので、
あまり努力というものが好きではない。
苦労も苦痛もイヤだという人間だ。
しかし、こういう人間だからこそ、
自分自身にナニか負荷をかけないと
ダメなほうダメなほうへといってしまうような気がしてならない。
その負荷があることによって背筋がシャンとするような気がするのだ。

誰に誉められるワケでもない、報酬をもらえるワケでもない。
でもそんなことに対して真剣に取り組むことも、
人生には必要な気がする。
まあ、モノ好きといわれればモノ好きなのであるが。

今日はこれから、撮影に出かけてくる。
とあるクライアントの、年末年始用宣伝物の撮影である。
もう
9月も今週でおしまいだ。
年末年始なんて、アッという間にやってくるだろう。
その間に“グレート・ギャツビー”をなんとかせねば。

そういや金曜日の朝刊を見たら、
ゴールデン・カップスのライブの広告が出ていてビックリした。
先週木曜日の日記に書いた
『横浜ホンキー・トンク・ブルース』の作曲者であるエディ藩さんや
元ゴダイゴのミッキー吉野、デイブ平尾らが在籍していた伝説のバンドである。
とはいったものの僕は、
ゴールデン・カップスの曲といえば『長い髪の少女』ぐらいしか知らないので、
あまり多くは語れない。

『長い髪の少女』については、ひとつだけ想い出がある。
元ドリフターズの見習いであった、すわしんじ氏の替え歌である。


すわしんじ氏の替え歌といえば以前、
内山田洋とクールファイブの『東京砂漠』のネタをこの日記で披露したことがあるが、
今回も一発芸なのでお見逃しのないように。


では
5

4

3

「長い顔の少女」

 

失礼しました。では、真面目に働いてきます。

2007.09