フォーリーブス「涙のオルフェ」


早いもので今週末はゴールデンウィークである。
僕は
4月下旬から5月中旬にかけてあたりが
1年中でいちばん好きだ。
とにかく風が心地いい、
陽射しが気持ちいい。
以前はよく、この季節に
多摩川の川べりを走ったり、歩いたりしたものだ。


ゴールデンウィークといえば、
かつて僕には
2つの年中行事があった。
ひとつは
54日のお墓参りである。
寺山修司の命日がこの日で、
寺山のお墓がある高尾霊園まで自転車で行ったものだ。

そして、もうひとつは
55日のくらやみ祭の見物である。
くらやみ祭は府中大國魂神社の例大祭で、
5日に御神輿が渡来するのだ。
歳さんこと土方歳三の生涯を描いた
司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』の冒頭にも、
このお祭りのシーンが出てくる。
新撰組を愛する者の一人として、
くらやみ祭は要チェックのお祭なのだ。

しかし、ここ数年はこの2つの年中行事から足が遠ざかっている。
多摩地域に住んでいなくなったことと、
つい他の予定が入ってしまうことが原因である。
特に寺山のお墓まいりは、
たくさんの人が来ないうちにと早朝に行っていたので、
いまは以前と同じようにお墓参りに出かけるのが
なかなか難しくなってしまったのだ。

もし、行くとしたら…始発に乗って高尾駅まで行くのはいいが、
そこから徒歩で行くのは高尾霊園の場合、距離的にきつい。
タクシーがうまくつかまればいいが、
つかまらなかったら最悪である。
まさか天狗にさらわれることはないと思うが、
歩道も満足にないような道をひたすら歩かなければならないのだ。

何年前だったか忘れたが、
僕が例によって早朝、寺山のお墓参りに行ったら先客がいた。
その人は女性で、寺山のお墓の前に座り込んでいた。
熱心な寺山のファンだということはわかるが、
いったいどうやってこんな朝早くからここに来たのだろうと思った。
僕がお墓に近づいていくと、その女性も驚いたような顔をして僕を見た。
むこうにしてみれば、僕に対して同じように思ったのだろう。

寺山の墓前にお線香をたむけたあと、
僕はその女性と言葉を交わすこともなくそそくさとお墓をあとにした。
同じ寺山を愛する者同士、共通言語は数多くあったと思う。
しかし、僕は声をかけようとは思わなかった。
きっと、その女性だってそうしてほしかったと思う。

だいたいお墓で話を弾ませるなんて不謹慎だと思う。
新撰組のファンのなかには、そういうタイプの人が少なからずいる。
そんなことも関係してか六本木にある沖田総司のお墓は、
一般人は立ち入れなくなった。
墓参する新撰組ファンのあまりにもな傍若無人ぶりに、
お寺がキレたのだ。
それでも年に
1度だけお墓参りが許される日があるのだが、
それはそのお墓参りを主催している出版社の商業行為のようで、
とても故人を偲ぶといった雰囲気ではない。
僕は一度だけ行ったのだが、以来二度と行っていない。

5月は歳さんの命日もある。
きっと歳さんの生まれ故郷・日野には
今年も多くの新撰組ファンが集まるのだろう。
僕はかつて新撰組愛好者の私設団体の代表を務めていたのだが、
代表を辞してからは、いっさい新撰組に関する公の催しに参加していない。

でも新撰組はいまも大好きだし、
土方歳三の生き方は僕の生きる指針であることに変わりはない。
寺山にしてもそうで、
いまなお大好きな文筆家の一人であることには変わりない。

故人の偲び方も、いろいろある。
寺山も歳さんも、ここ数年と同じように
自分がいるところから静かにひっそりと偲ぶことにしよう。

奇しくも寺山修司のはじめての出版物のタイトルは
“われに五月”をである。
もうすぐ
5月、ひょっとしたらサラリーマンとして迎える
最後のゴールデンウィークになるかもしれない。
うーん、そう考えると感慨深い。
ぜひ、素敵な想い出をたくさんつくりたいものである。

寺山修司といえば、あしたのジョーの主題歌や
カルメン・マキの『時には母のない子のように』の作詞家としてもしられているが、
他にもさまざまなというか雑多なジャンルの
アーティストというか歌手に詞を提供している。

そんななかで気になるのが1968年、
フォーリーブスに提供した『涙のオルフェ』。
僕はこの曲、聴いたこともなければ、詞の内容も知らない。
いったいどんな歌だったのだろう?


2007.04