フォーク・クルセダーズ「イムジン河」


今月5日の日記にエンケンと遠藤ミチロウの
ジョイントライブが見てみたいと書いた。
先週の
22日、エンケンのホームページ上に、
来月
9日それが行われるという情報が掲載された。
以前にも書いたが、不思議と僕はこういうことが多い。
書いたり、思ったりしたことが、直後に現実になるのだ。

こんなことがあるたびに僕は
「オレが騒げば、世の中が動くんだ」と吹聴しては
まわりの人間から鼻で笑われている。

念願のエンケンと遠藤ミチロウのジョイントライブ。
いざ鎌倉
!!とばかりにはせ参じたいところではあるが、
場所が新潟なのである。
どうやら
FM-NIGATAの番組がらみのライブのようだった。
僕は新潟は一度も行ったことがない。
新潟どころか、日本海側で行ったところといえば山形ぐらいではないだろうか?
エンケンの歌に『寝図美よこれが太平洋だ』というのがあるが、
僕は日本海というものを一度も見たことがない。

日本海のその先には朝鮮半島や中国大陸がある。
今月
18日の日記にも書いたとおり、
僕は差別問題というものが存在することを高校生になるまで知らなかった。
中国や韓国・北朝鮮と日本との間の歴史的な背景も、
ちゃんと知ったのは高校生になってからである。
本当に無知な少年だったと思う。

そんな無知なバカ少年が小学校の頃、
近所に引っ越してきた女の子に「ちょーせん」というあだ名をつけた。
甲高い声で早口でしゃべるその子を見て、
思い浮かんだ言葉がそれであった。

僕は子どもの頃、いろんな人にあだ名をつけた。
しかし、それは「ハゲ」とか「カッパ」とか「ゴリ」とか「スズメ」とか、
呼ばれた人はあまりというか、かなりうれしくないであろうという類のものだった。
そして、その最たるものが「ちょーせん」である。

僕が子どもの頃は、戦争経験者がまだまだたくさんご健在であった。
僕らがその子のことを「ちょーせん」と呼んでいるのを、
近所の人たちやその子の家族も知っていたはずだ。
それを、まわりの大人の人たちはどんな思いで聞いていたのかと思うと、
僕は深い反省の念にとらわれる。
知らないということは、本当に恐ろしいことだと思う。

今日も休日出社しているのだが、
いま誰もいない会社のなかでフォーク・クルセダーズの『イムジン河』を聴いている。
僕はよく休日出社したときは、この歌を聴く。
日曜日の早朝、休日出社という状況下で
『イムジン河』がお似合いかどうかはわからないが、
なぜか聴きたくなるのだ。

誰もいない会社のなかで一人この曲を聴いていると、
なんとなしに郷愁がわいてくる。

世界中にはあらゆる差別がある。
でも目の色や髪の色、肌の色が違っていたって
人間に流れる血の色は変わらないはずだ。

差別なんてくだらないものは、
とっととこの世からなくなればいい。
それが人類の進化となるのではないだろうか。


2007.05