エリック・クラプトン「いとしのレイラ」

20011130日、ジョージ・ハリソンが亡くなったとき、
エリック・クラプトンは日本にいた。
クラプトンは「私的なことすぎて、答えられない」と
ジョージ・ハリソンの死について公式に語ることなく、
ジャパンツアーの日程をこなした。

さて、エリック・クラプトンといえば、
やはり『いとしのレイラ』である。
僕はこの曲は、ロケンロール史上もっとも切ないラヴソングだと思う。
親友の妻を愛してしまった男の苦悩と、
それでも抑えきれない愛がこれでもかとにじみ出ている。

15年前の1991121日は、
クラプトンを従えたジョージ・ハリソンのジャパンツアーの初日であった。
この
1週間前、TBSの番組に
ジャパンツアーを前にしたジョージとクラプトンが一緒に出ていた。
音楽番組でもない日曜日の夜の
30分番組に
この二人が出ていたのでビックリしたのだが、
もっと驚いたのはこの番組のインタビュアーが、
二人共通の元妻であるパティ・ボイドについて質問したことだ。

ジョージはビートルズの“
Something”はパティについて書いた曲じゃないと語り、
クラプトンはパティが与えてくれたインスピレーションについてひとしきりしゃべった後、
「僕たち二人にとって、今も大切な友人です」と真面目な表情で語った。

ジョージとクラプトンの関係は、本当に理解不能である。
僕なんぞは、愛する人の元夫どころか元カレにだって会いたくないし、
話を聞くことすら嫌だ。
ジョージとクラプトンのような関係は、とうてい無理なのである。

1991年のジョージのジャパンツアーは、
クラプトンがジョージを説得し実現した。
前述の番組でクラプトンはジョージについて、
「ジョージという存在が僕の支えになっている」と語っていた。
友情という言葉を超えた、たとえようのない絆を僕はこの二人から感じる。

このジャパンツアーは宣伝の仕方も悪く、
ジョージとクラプトンのジョイントコンサートという捉えかたをしていた人が多かった。
だから、コンサートでクラプトンが
ジョージと一緒に『いとしのレイラ』を歌うのかが注目された。

結果からいえば、『いとしのレイラ』は歌わなかった。
が、そのかわりパティとの甘い生活を歌った『ワンダフル・トゥナイト』と、
パティとの別れを歌った『オールド・ラブ』を臆面もなく披露した。
うーむ、恐るべしクラプトンといったところである。

クラプトンはいま来日中である。
1991年や2001年と同じく121日を日本で迎えているクラプトンは、
果たして何を思っているだろうか?

きっと僕と同じように、
ジョージについて考えているに違いないと思いたい。


2006.11