エリアデス・オチョア 「チャン・チャン」


「便所の隅で素知らぬ倶楽部」

これは俳優の原田芳雄さんが、
自身の音楽活動についてギャグにした言葉である。

この言葉のもとになっているのは、
1999年に公開され日本でも大きな話題を集めた映画
“ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ”である。

スライドギターの名手としても知られるアメリカのギタリスト、
ライ・クーダーがキューバ旅行に出かけた際、
キューバの老ミュージシャンたちと
セッションを行ったことをきっかけに製作されたこの映画によって
キューバの音楽を知ったという人も多いと思う。
かくいう僕もその
1人であった。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの音楽は、
ラテンの血がたぎるような激しく荒々しいものではない。
むしろ、枯れた音である。
が、その枯れ具合がなんとも素晴らしい味を出していた。
その枯れた素晴らしい音は、
若いモンがどんなにイキがっても奏でることはできない、
まさに人生の年輪を感じさせるものに聴こえた。

そもそもブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのアルバムは、
映画が公開される
2年前の1997年に発表されている。
そのアルバムの
1曲目に収められているのが
エリアデス・オチョアの『チャン・チャン』という曲である。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブを代表する
1曲として映画の宣伝でも使われ、
ラジオでもよく流れていたので記憶している人も多いと思う。

僕はこの映画が公開された当時、
40代・50代になっている自分自身など想像もできなかったし、
そんな日がくることすら信じていなかった。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの音楽も映画もよかったが、
それを自分自身に置き換えて考えようなど
これっぽっちも思わなかったのである。

ひたひたと迫りくる老いや衰えを想像すると、
年齢を重ねるのは恐怖であり、
さらにいえば堕落ぐらいに考えていたのだ。

そんな僕に生き続けるヒントとチカラを与えてくれたのが、
ある女性からの言葉である。
詳しいことは
20061128日の日記に書いたのでここでは繰り返さない。
興味がある人は、ぜひ読んでほしい。

先週の金曜日・229日。

「便所の隅で素知らぬ倶楽部」ならぬ原田芳雄&flower topによる
“原田芳雄 
17th×4 Birthday Live”が鴬谷の東京キネマ倶楽部にて行われた。
僕個人としては
14年ぶりとなる芳雄さんのライブ。オープニングは、
14年前と同じく『りんご追分』であった。

美空ひばりさんのこの曲を芳雄さんが、
ひばりさんが亡くなられたすぐあとに、
テレビで弾き語っていたのを偶然観たことがある。
そのときと同じように、
29日のライブでは弾き語りで演奏された。
まさに芳雄さんならではの、
というか芳雄さんにしかできない『りんご追分』であった。

オープニングのこの1曲だけで、
早くも先制パンチをドスン、ボカン、スコーンと喰らったようなものである。
しばし放心状態のままポカーンとしながらステージを見上げていたら、
今度はハモンドオルガンによる聞き覚えのあるメロディラインが耳に入ってきた。
あのプロコム・ハルムの『青い影』であった。
1967年の大ヒット以降、
さまざまなアーティストによってカバーされてきた名曲を、
芳雄さんはブルース風に情感たっぷりに唄い上げた。
この時点で僕は、早くもノックアウト寸前であったことはいうまでもない。

このライブではゲストが予定されていたのだが、
最初に出てきたゲストは息子の喧太くんであった。
喧太くんがステージに登場する前の
MCで芳雄さんは
「音楽的には僕なんか及びもつかない大先輩で」
30年以上の付き合いがあって」などと語っていたので、
てっきり僕はベテランミュージシャンが登場するのかと思いつつ、
芳雄さんの
MCにじーっと耳を傾けていた。
ら、芳雄さんの
MCが「16歳で家を飛び出し」と続いたので、
これは喧太くんに間違いないと確信したところ、案の定そのとおりであった。

次に登場したのは、なんと江口洋介だった。
僕は江口洋介について、彼が若い頃はあまり好きではなかったのだが、
いまはいい感じの大人の男になっているなと評価している。
江口洋介もいい年齢の重ね方をしている証拠である。
僕も負けてはいられないと、
ステージで彼の代表曲である『恋をした夜は』を
喧太くんとともに演奏する江口洋介を見て、
勝手にふつふつとライバル心を燃やした。
まあ、そんな僕のライバル心なんか、
江口洋介にしてみればどこ吹く風であろうが
()

ライブのラストはご存知『横浜ホンキー・トンク・ブルース』、
そしてビートルズと同時代のイギリスのロックバンド、
アニマルズの代表曲としても知られる『朝日のあたる家』だった。

『朝日のあたる家』は、もともとアメリカの伝統的な歌で
ボブ・ディランもカバーしている。
アニマルズのバージョンは、そのディランのバージョンをもとに
ブルース的な解釈でカバーしたものとされているが、
この日演奏された芳雄さんバージョンは本家のアニマルズバージョンを凌ぐ、
すさまじいブルースであった。

芳雄さんは自身の音楽活動について以前
「別に音楽で評価されようとなんて思ってないですよ。
こっちはただ好きなことをやっているだけですから」
というようなことを語っていたが、
僕はもっと「歌手・原田芳雄」が評価されるべきだと思うし、
「歌手・原田芳雄」としてもっともっと活動してほしいと思う。

考えてみれば芳雄さんは、ミック・ジャガーよりも年上なのである。
最近のミック・ジャガーを見ていないのでなんともいえないが、
少なくともステージで唄う芳雄さんはミック・ジャガーなんかよりパワフルで、
声の伸びや声量もまったく問題ないように思えた。


ぜひずっとお元気で、
70代・80代になっても唄い続けてほしいと願わずにはいられない。
それこそブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの面々のように、
90歳を超えても生涯現役のミュージシャンでいてほしい。
もう少し芳雄さんが年齢を重ねて、
もしライブ中にずっと立っているのがしんどくなったら座りながら唄えばいい。
この日のライブでも
I.W.ハーパーのボトルがステージのテーブルに置かれていたが、
座ってバーボンを飲みながら渋い大人のブルースを聴かせてほしいものだ。
その演奏はきっと、
若いミュージシャンには絶対に出せない味を醸し出すに違いない。

「歌手・原田芳雄」の魅力は何かと問われたら、
僕は艶っぽい歌声と答える。
芳雄さんの歌声というのは実に色っぽく艶があるのだ。
男の色気を感じずにはいられないのである。

以前、後輩にそんなことをいったら
「タカハシさんって男色のケがあるんじゃないですか
!?」と誤解されてしまったのだが、
そんな誤解をするバカヤローはほっといていい。
男をも魅了するぐらいの男の色気というものを、
芳雄さんのようなカッコいい大人の男を目指して、
僕も探求していきたいと思う。

アンコールの演奏が終わり、
芳雄さんがステージから去ろうとしたとき、
不意に「ハッピー・バースデー」のメロディが会場に流れた。
花束とバースデーケーキが運ばれてきて、
片岡仁左衛門さんが芳雄さんに花束を渡された。

芳雄さんと仁左衛門さん。
いったいどういう付き合いがあるのか、さっぱり想像もつかないが、

仁左衛門さんの登場はこの日、詰めかけた人たちにとっても
うれしいサプライズだったに違いない。


さらにサプライズはこれで終わりではなかった。
突如として『愛の讃歌』のメロディラインが会場に流れたのだ。
芳雄さん自身、数々の賞に輝いた映画“寝盗られ宗介”の終盤において、
女装姿の芳雄さんが切々と唄い上げたシーンがよみがえる。
たぶん芳雄さんも、この曲を唄うことは予定していなかったのであろう。
「ヘッ??」と驚いた表情を見せたあと、
すぐさまマイクを手にして唄い出した。
1人、ステージで『愛の讃歌』を唄い上げる芳雄さんの姿を観、
芳雄さんの歌声を聴きながら僕はもうノックアウトどころではなく、
もはや昇天していた。

2時間のライブであったが、
僕の人生のなかでも指折り数えるぐらいの、
それはもう実に実に素晴らしいライブだった。
ヘンないい方になってしまうが、
少年の頃から芳雄さんに憧れ続けてきた僕の人生は間違いじゃなかったと思えた。
そして年齢を重ねていくのも悪くないなとあらためて思うと同時に、
もっともっと素敵に年齢を重ねていきたいと強く思わされた夜だった。

ところで、この日のライブにあたり、
僕は密かにゲストは佐野史郎ではないかと考えていた。
佐野史郎は芳雄さんとも懇意にしており、
毎年年末に芳雄さん宅で行われる
餅つき大会にもよく参加しているという話を聞いていたからだ。

前述のとおりゲストは江口洋介だったので僕の予想は外れてしまったのだが、
やはり佐野史郎は会場に来ていたらしい。
残念なことに僕は確認できなかったのだが、
友だちが終演後、佐野史郎を目撃したというのだ。
僕は佐野史郎のこういう義理堅いところが大好きである。

そして明日34日は、佐野史郎の誕生日である。
ひと足早いが「おめでとう♪佐野史郎」


2008.03