イーグルス「テイク・イット・イージー」


今日
517日は
新撰組局長・近藤勇の新暦における命日である。
近藤さんが板橋で斬首された慶応
4425日を新暦に直すと
517日なのだそうだ。

そして今日は高杉晋作の新暦での命日でもあるというからビックリだ。

高杉晋作が肺結核により亡くなったのは
近藤さんが斬首される前の年、慶応
3414日である。

それにしても歴史というのは時として妙な偶然をつくってくれるものだ。

大の薩長嫌いの僕ではあるが、
高杉晋作だけは不思議と昔から好きだった。
どことなくその人物像に遊び心が感じられるからである。
それから大政奉還前に死去してしまったということもあるのかもしれない。
もし大政奉還後も高杉が生きていたら、
それこそ新政府軍の中枢にいたであろう。
となると僕にとっては不倶戴天の敵ということになる。

薩長びいきの人たちから見たら惜しい人を早くに亡くしたとなるであろうが、
僕にとっては早くに亡くなってよかった人ということになる。

不思議と僕のまわりにいた新撰組好きに、
高杉について悪くいう人はいなかった。
その分、伊藤博文や桂小五郎はボロクソである。
僕は伊藤博文みたいな
女体盛りを好物とするような男が初代総理になったことが、
そもそもの間違いだったと思う。

明治時代には、政治家の品格は問われなかったらしい。

亡くなったウノ元ソーリや元副ソーリのヤマタクも明治時代に生まれていれば、
女性スキャンダルによって失脚することがなかったかもしれない。
実に残念だ。
もちろん嫌味でだけど
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高杉晋作が詠んだ辞世の上の句
「おもしろきこともなき世をおもしろく」というのは、
なんともボヘミアンチックで、
僕のなかでは好きな言葉のひとつである。

僕はこの高杉の辞世を思うとき、
なぜかイーグルスの『テイク・イット・イージー』が頭のなかに流れてくる。

高杉晋作が何を思ってこの句を詠んだかわからないが、
「おもしろきこともなき世をおもしろく気楽にいこうぜ」
といっているように僕は思える。

ところで高杉晋作は病死したにもかかわらず靖国神社に祀られているのだが、
近藤さんは祀られてはいない。
戊辰戦争での賊軍扱いだったからだ。

僕が靖国神社を嫌う原因がここである。
同じ民族で、ともに国のためを思って戦ったのだ。
なぜ勝ったほうだけが祀られて、
負けたほうは祀られないのだ?
靖国問題を語るとき、
僕は
A級戦犯合祀がどうのこうのより、
この戊辰戦争における矛盾をまず語るべきだと思う。

長州出身の現ソーリが靖国神社の春の例大祭において、
ポケットマネーで供物を贈ったというニュースが先日流れていたが、
ソーリは戊辰戦争の敗者たちに対してどう思っているのだろうか?

もし僕がソーリにインタビューする機会があったら、
絶対に聞いてみたい。


2007.05