Dr.ジョン「アイコ・アイコ」


昨年末に遅ればせながら観た
“コンサート・フォー・ジョージ”における
リンゴ・スターのパフォーマンスは実にお見事だった。
僕はこのときのリンゴを観て、
あらためてリンゴの代表曲『想い出のフォトグラフ』の素晴らしさを再確認した。

この曲の演奏中、特に印象的だったのが、
一緒に演奏に参加していたジョージの息子・ダニーくんが
リンゴと目を合わせてニッコリ微笑んだシーンである。

こんな素敵な笑顔を見たのは久しぶりのような気がした。
もちろん日々の生活のなかでは、さまざまな笑顔に接する。
しかし、そうした笑顔とは次元が違う、
本当に神々しいまでの美しい笑顔だったのだ。

ダニーくんは197881日生まれ。一人息子である。
ジョージはダニーくんを本当にかわいがっていた。
それはジョージの脇にダニーくんが写っている数々の写真からもうかがえる。

しかし、ただかわいがるだけではなく、しっかり教育されてきたのだろう。
ダニーくんには、超大金持ちの一人息子という
甘ったれな雰囲気がまったく感じられない。
“コンサート・フォー・ジョージ”のラストにおいても、
しっかり挨拶をしていた。
僕はそんなダニーくんのたくましい成長ぶりに、ホロホロと泣いた。

“コンサート・フォー・ジョージ”を観て、
最近ついつい買ってしまったのが
リンゴ・スター
&ヒズ・オールスターバンドのDVDである。
19899月にロサンジェルスのグリークシアターでのライブを収録したものだ。

このリンゴ・スター&ヒズ・オールスターバンドは、
元イーグルスのジョー・ウォルシュはいるは、
ニュー・オリンズ音楽の生き証人ともいえる
Dr.ジョンはいるは、
ビートルズのいわゆる「ゲットバック・セッション」に参加したビリー・プレストンはいるは、
サックス・プレーヤーとして長年“
The Boss”ブルース・スプリングスティーンと
活動を共にしてきたクラレンス・クレモンズはいるはの、
まさにその名の通りのオールスターバンドであった。
このバンドの成功により、以後リンゴは定期的にヒズ・オールスターバンドを結成し、
2006年には第9期を数えるまでになっている。

僕が買ったDVDにおいてDr.ジョンは
ニュー・オリンズ音楽を代表する名曲『アイコ・アイコ』を唄っていた。
この映像だけでも十分おつりが来るぐらいである。
なんてったってこの
DVD800円で入手してきたのだ!!

『アイコ・アイコ』は実にさまざまなアーティストのバージョンが存在するが、
僕のなかで一番耳に残っているのがイギリスの女性ポップバンド、
ザ・ベル・スターズのバージョンである。
映画“レインマン”のオープニングに使われた曲として知っている人も多いと思う。

“レインマン”はダスティン・ホフマン演じる自閉症の兄と、
トム・クルーズ演じる弟の心の葛藤と交流を描いた
映画史上に残るといっても過言ではない名作である。
恥ずかしながら僕はこの映画を観るまで、自閉症について何も知らなかった。

そんな僕が自閉症について身近に感じられるようになったのは、
ちょうど“レインマン”が日本で公開されていたころに生まれた、
友人の子どものミカがきっかけである。
ミカはどういうわけか僕になついて、
遊びに行くといつも僕にピッタリくっついていた。
ゴハンを食べるときも離れないので、
僕はミカにゴハンを食べさせてあげた。
僕のささやかな人生において自ら子どもにゴハンを食べさせたのは、
ミカがはじめてである。

そんなかわいがっていたミカが自閉症と診断されたのは、
たしか
2歳か3歳ぐらいのときだったと思う。
あんなにかわいいミカがどうして
!?と、僕はミカの過酷な運命を呪った。

しかし、ミカと接しているうちに、
そんな考えは実は間違っているのではないかと思うようになってきた。
たしかに世間的に見れば、ミカは障害児ということになるだろう。
でも僕と接しているときのミカは、相変わらずかわいいミカのままだし、
障害があるからといって特別視するのは
逆にミカに対して失礼なのではないかと思えてきたのだ。
ミカだって一人の人間として、人格もあれば欲求もある。
それを尊重もせず、ときどき「ギャーッ」とパニック状態になるミカに、
障害児という基準をもって接するのはやめようと思った。

そんなことを想い出させるキッカケとなったのが、
最近観た“ニワトリはハダシ”だという映画である。
「第
2回原田芳雄映画祭」の鑑賞作品として、
芳雄さん命の友人が勧めてくれたのだ。

この映画は、自閉症の少年サムを主人公に、
原田芳雄さん演じる父親との父と息子の関係、
障害児と社会、夫婦、兄と妹、母と子、在日、差別、
権力の腐敗など多角的なテーマを描いたもので、
とても簡単に論じられない複雑さをもっている。
1度や2度観たぐらいでは感想すらいえないぐらい緻密につくられた映画であった。

この映画のDVDには特典映像として、
森ア東監督のインタビューが収録されている。
そのなかで森ア監督は、自閉症の少年を主人公にしたことについて、
このように語っている。

「知的障害者の親が口を揃えて、私の生き甲斐はこの子です、という種類のことを、
表現が少しずつ違いながらも皆さん口を揃えて同じようにおっしゃる。
しかもそのことのなかには否応なく信じざるを得ないような、
ある深い何かが入っているという風に直感的に感じられる。
というものとして、この信じうる他人の、他者の言葉としてそれがあったという
・・・それはドラマをつくるなかで、物語をつくるなかで無視できなかったんですよね。
大浜イサムという少年、
15歳の少年が、ニワハリはハダシなのか、どうなのかという
普遍的な基本的な存在を問うてるわけですよね。
ですから、その問題があったからシナリオのテーマがどうのこうのという前にですね、
何となくすっかりすっぽり入っちゃったという感じがするのかな」

映画“レインマン”においてダスティン・ホフマン演じるレインマンが
驚異的な記憶力を有していたように、
この“ニワトリはハダシだ”においても、
主人公のサムの記憶力は驚異的なもので、
それがゆえにある汚職事件の捜査に巻き込まれてゆく。
そうしたあらすじのなかで、
先に書いたようなさまざまなテーマが浮き彫りにされていくのだ。

僕の友人にもう一人、自閉症の息子をもつ母がいる。
彼女も森ア監督がインタビューのなかで語っているように、
息子について「この子を産んで本当によかったと思っている」といっていた。

彼女は毎日毎日、子育てをしながら、その一方で趣味を楽しみ、
たくさんの仲間との交流を楽しんでいる。
僕から見て、実に生き生きと人生をエンジョイしているように映るのだ。
その姿は、うらやましさすら感じる。

誰もが自分の子どもが生まれてくるときは、
健康な体で生まれてほしいと願うだろう。

しかし、僕なんかが偉そうにいう資格は何ひとつないのだが、
障害がある
=不幸ではないと思う。

それぞれの人生に幸せは必ずあると思うのだ。

障害者をとり巻く社会的環境は、決して万全とはいえない。
そんななかで僕らができることといったら、
まず「知る」ことだと思う。
知りもしないで、勝手に思い込むのはよくない。

障害者は決して、別世界の生き物ではないのだ。

2008.01