ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「スモーキン・ブギ


昨日の朝日新聞の夕刊にこんな記事が載っていた。
ナント、神奈川県の松沢成文知事が、
不特定多数の人が利用する県内すべての施設を禁煙とする
「公共的施設における禁煙条例
(仮称)」を
今年度中に制定する方針を明らかにしたというのである。

記事によると、公共的施設を
「不特定多数の人が利用する施設で、室内とこれに準ずる環境にあるもの」と定義し、
学校・病院・公共交通機関はもとより劇場や飲食店、
さらにはパチンコ屋・マージャン店などもその対象となる。
条例の素案ではこうした対象施設の利用者に対し禁煙を義務づけると同時に、
施設管理者にも禁煙の表示や灰皿の撤去を義務づけ、
違反した場合は立ち入り調査などをしたうえで、両者に罰則を科すという。

僕はこの記事を一読し、
これは民主主義の名を借りたテロだ、
現代の魔女狩りだ、と憤りを覚えた。
いまは違うとはいえ、もともとは僕も神奈川県民のはしくれ。
これはひと言モノ申しておこうと筆をとったというか、
パソコンを立ち上げた次第である。

以前の日記にも書いたが、喫煙に対する弾圧はちょっとひどすぎる。
たしかに副流煙に受動喫煙や歩きタバコ、
吸い殻のポイ捨てなど喫煙者を原因とする悪影響があるのは認める。
しかし、それはマナーの問題であり、
喫煙者たちの心がけ次第で解決できる問題と僕は考える。

僕は喫煙者だが、歩きタバコは絶対にしないし、ポイ捨てもしない。
吸っちゃいけないところでは絶対に吸わないし、
「私の前では吸わないで」という人の前でも吸わない。
喫煙が自分の身体に悪影響を及ぼすのも重々承知で、
自己責任の範囲内で吸っている。

自称ボヘミアンの僕は何事も自分の判断で自由に行動するかわりに、
他人に迷惑をかけないことを矜持としているのだ。

たしかに街を歩いていると、
後ろから人が近づいているにもかかわらず、
火のついたタバコを持った手をふり回すようにして歩いている人はまだまだ多い。
正直いって、危ない。それは僕も認める。
だから、こういう人間に対しては、
歩きタバコ禁止条例の類いでガンガン取り締まればいいと思う。

また、タバコの吸い殻を平気で路上に捨てているヤツら対してもしかりである。

週末の朝、僕がヨタヨタとジョギングをしたり、ホテホテと散歩したりしていると、
よく近所の少年少女たちが地域活動の一環として、
路上に捨てられた吸い殻を集めている光景を目にする。
この少年少女たちが拾い集めているゴミを出しているのは、
年長者である大人なのである。
僕はそうした光景を目にすると本当に心が痛むし、
大人の1人として情けなさすら感じる。

こんなことをするヤツらがいるから、排気ガスやダイオキシンなど、
タバコの煙とは比較にならないぐらい人体や環境に悪影響を及ぼしているものはほっといて、
どんどんどんどん喫煙者に対する弾圧が強まるのだ。
それはある意味、自業自得といえなくもないが、
それはあくまで一部の人間のしていることであって、
すべての喫煙者がそうではないと思う。

タバコというのは、法で認められた立派な嗜好品である。
つい
20年ぐらいまでは国家が公社をつくり、販売していた。
いまなお
1箱買うごとに、課税もされている。
未成年者でない限り、喫煙は法で保障された行為なのだ。
なーんて、
10代の頃から喫煙していた僕が偉そうにはいえることでもないのだが。

僕がはじめてタバコを自ら吸ったのは、たしか小学校4年生のときだったと思う。
ちょうどダウン・タウン・ブギウギ・バンドの
『スモーキン・ブギ』がヒットしたしばらく後だった。

『スモーキン・ブギ』では、
はじめて吸ったタバコはショート・ピースだったが、僕はハイライトだった。
父親の車の灰皿にあった吸い殻に興味本位で火をつけたのだ。

はじめて吸ったタバコの味は、とても不味かった。
正直いって、なんで大人はこんなモノを吸うのだろうと思った。
しかし、口のなかに広がるタバコの味は、
僕をちょっぴり大人びた気分にさせてくれた。
そして、性的な興奮を覚えたことをハッキリと憶えている。
とはいえ、当時はまだ子どもだったので、
その興奮がいかなるものだったのか、正体を知るのはその数年後になるのだが。


と、僕の個人的エロリビドーのことなど、どうでもいい。

話をもとに戻す。

我が国の法で保障されているはずである喫煙を、
イチ地方自治体である神奈川県は条例で規制しようとしているのである。
この条例案に対し、
神奈川県民と神奈川県議会はどういう反応を示すのかはわからないが、
僕はもしこの条例が制定されたら、とるべき行動を心に決めている。

仕事などのやむを得ない場合を除き、
神奈川県には絶対に行かないということである。
そんなところに誰が行って、誰が金を使ってやるかってなもんだ。
僕はその行動で、神奈川県に対し断固抗議するつもりだ。

だいたい「不特定多数の人が利用する」という不特定多数の定義がわからない。
では、この条例案で対象施設とされている飲食店やパチンコ屋などを会員制として、
特定多数の人だけが利用するようにすればこの条例は適用外になるのだろうか
?
それならいい。
「会員制喫煙居酒屋」という新しい飲食店スタイルが誕生する。
これは結構流行るかもしれない。
それなら僕も、前言を撤回して
神奈川県内で飲んだり食べたりしてお金を使うことに異を唱えない。
そういう気骨のあるお店は、積極的に応援したいぐらいだ。

いまから20年前、
さる高貴なご一家の家長さんのご病気により歌舞音曲が自粛されたとき、
仕事が激減した
3組のコントグループによって結成されたのがザ・ニュースペーパーである。
この集団については、
これまた以前にも書いたことがあるので詳しくは省かせていただくが、
1988年の晩秋、
新宿のスペース
107という小さな会場で行われた旗揚げ公演でこんなコントがあった。


自粛ムードで街中から笑いが消えたなか、
1人のサラリーマンが歩いていると怪しげな男に声をかけられる。
まるでドラッグディーラーのような怪しげな男は、
あたりを気にしながらサラリーマンの耳元でこう囁く。「笑い、あるよ」

驚く、サラリーマン。「大丈夫なんですか? そんなことをして」

怪しげな男は「心配いらねぇ、オレについてきな」といって、
サラリーマンを路地裏に案内する。

そこにあるのは、オフィスにあるようなロッカー。
その前で怪しげな男は「さぁ、金を出しな」といって、
サラリーマンにお金を要求する。
サラリーマンがお金を渡した次の瞬間、
ロッカーのなかから別の男が飛び出してきて、
「ガチョ〜ン」という往年のギャグをかます。
それを見て、大笑いするサラリーマン。

「どうだい、すげえだろ。もっといいネタもあるよ」と再び怪しげな男にいわれ、
「出します、出します」といってお金を払うサラリーマン。

僕はこのコントを観て、
ザ・ニュースペーパーが表現していることは正しいと思った。
なぜに、世の中が自粛ムードにならなければならないのか。
さる高貴なご一家の家長さんのご病気と、お笑いは本来まったく関係ないのに、
自粛により次々と仕事がなくなってしまったザ・ニュースペーパーの面々の
怒りと疑問が凝縮された傑作コントだと思う。


あの当時もヘンな世の中だなと僕は僕なりに感じていたが、
いまももっとその「ヘンさ」加減が加速度を増している。

こんな世の中が進めば、
そのうち喫煙できる場所がだんだんだんだんアンダーグラウンド化して、

「タバコ吸える飲み屋あるよ」なんてボッタクリバーも出現するだろう。
明朗会計で健全な「会員制喫煙居酒屋」は問題ないが、
タバコが吸えるボッタクリバーはまた別の意味で悪の温床にならないのだろうか
?

先日書いたことの繰り返しになってしまうが、
本当にこの国の民主主義は、いったいどこに向かおうとしているのか。
僕は今回の神奈川県の条例が、
ひとつのリトマス試験紙的役割を果たすのではと考えている。


2008.04